「バディの存在」 ほし

3月3日 

 

 

 昨日の午後は、昨日から引き続き、りんねちゃんとイチジクの作業をしました。
 昨日剪定した枝を切って、挿し目にしていきました。

 りんねちゃんが、枝の太すぎるところは避けて、下を斜めに剪定し、下から3節残して切る、ということを教えてくれました。切っていると、覚えのあるいい香りがしてきました。イチジクの実の香りでした。実だけではなく、枝にもその匂いがすることが新発見でした。この匂いを嗅ぐと、心が安らぎます。

 それからはポットに土を詰めて、切った枝を刺していきました。
 りんねちゃんが、赤玉土と牛肥と落ち葉堆肥を配合した土を作ってくれていて、そんな風に、研究して取り組んでいるりんねちゃんの姿が、やっぱり美しくて大好きだな、と思いました。
 そんな風に、りんねちゃんの丹念さや、何かを好きになる気持ちが見えて、キラキラとしている姿が眩しいです。

 りんねちゃんと作業していると、心が安らいで、穏やかな安心した気持ちになります。

 この日の交換日記では、りんねちゃんがこの時の事を書いてくれていました。

 挿し目を置いている場所は、ユーノス畑で、さとみちゃんが「ここをつかってもいいよ」と言ってくれて、その場にイチジクが仲間入りしました。

 私も、以前からユーノス畑に植わっている矢車草を見ていたこともあって、りんねちゃんが「3人の思い出の場所だね」と日記に書いてくれてあって、その文章を読んで、涙が出そうになりました。

 

 最近、(解決しないんじゃないか)、(上手くいかないんじゃないか)と悩みすぎて、心も体も重くなって、今朝も身体が重い気持ちで起きました。
 けれど、りんねちゃんの日記を読んで、一人で悩んでいた心が、ふんわりと守られたようになって、前に引っ張っていってくれるのを、じっくりと実感しました。

 一人じゃないんだな、バディの二人がいるから絶対に大丈夫、と思いました。

 最近の不調は私には必要なことだと思いました。

 そうならないと、2人がいてくれる大切さにも気づけなかったと思います。
 無理に頑張らないといけない、と等身大でいられなくなって、誰の前でも気を張って、取り繕った自分になってしまっていました。

 本当に、さとみちゃんとりんねちゃんをバディでいられることが、心強くて、幸せです。悩むより、どうしたらいいか前向きに考えて、お互いに良かれの気持ちで、みんなで引っ張り合っていきたい、と強く思いました。

 

 今日の午後にも、りんねちゃんとイチジクの作業をしました。

 今日は、駐車場のイチジクの剪定と誘引をしました。

 りんねちゃんが、イチジクの枝の向きなど、丹念に向き合っているのが素敵だな、と思いました。

 私が、「イチジクの木の剪定ってかなりばっさりいくんだね」と話すと、りんねちゃんが「剪定せずにいると、12mくらいになるんだ、アメリカではそれで育てていることもあって、そのくらい高いとドライイチジクになって、それを主にしてるんだ」、「日本では生のイチジクで珍しい」ということを話してくれて、イチジクの世界が、とても興味深くて、面白いなあ、と感じました。

 りんねちゃんが、「今日でやりたい作業は終わる、やったー!」と、ジャンプしていたり、作業中もイチジクの事について話しができたり、日に日にお互いに心を開けていっているのを感じて、話し合えることがありがたいな、と思いました。

 今日の日中は、雲一つなく晴れていて、春の陽気を感じて、心地よく、気持ちも和やかになりました。

 遠くの方で、雪をかぶっている那岐山が、凄くきれいに見えて、りんねちゃんと「絵にありそうだね」と話していました。

 駐車場のイチジクの木の周りで作業していると、永禮さんがダンプで通られて、その隣には、さきちゃんとももかちゃんが座っていて、とびきりの笑顔で、手を振って下さり、そのことが凄く嬉しかったです。