「永禮さんのお誕生日」 ななほ

2月27日

(朝)

・永禮さんのお誕生日

 今日は私たちの大好きな、永禮さんのお誕生日です。
 朝、各教室に置かれているカレンダーを見る度に、永禮さんの嬉しそうな笑顔が浮かんで、私までにやけてしまいました。

 最近は冬だったり、ミーティングがあったりして、永禮さんにお会いする頻度も少なくなっているのですが、昨年の夏も、毎日のように、畑の水やりやタンク補充に来てくださったり、永禮さんが夕食にいてくださる日もあったり、追肥ツアーや伐採にも来てくださっていました。

 また、当たり前のようになのはなのイベント、播種や田植え、稲刈りなども手伝ってくださったり、真夏の暑い日も、なのはなへ草刈りをしに来てくださったり、そのことがとてもありがたくて、幸せなことだなと感じます。

 永禮さんは、いつも、誰かのために、なのはなのために良かれと力を尽くしてくださって、なのはなのみんなと動いて、笑って、それを楽しみにしてくださいます。

 明日は、古吉野なのはなで永禮さんのお誕生日会があって、みんなと作った菜の花の飾りや、私たちの演奏とダンスを喜んでいただけたら良いなと思うし、セブンブリッジ大会も予定していて、とっても楽しみです。

 また、春が近づくにつれて、永禮さんにお会いできる機会も増えていくと思うと明るい気持ちになるし、永禮さんと、セブンブリッジやオセロもしたいです。いつでも、永禮さんがなのはなに来てくださることを楽しみにしています。

・目的のない会話と信頼関係

 お父さんが、
「依存を断ち切り、ちゃんと摂食障害から立ち直って自立して行く時に大切なのが、どうでも良いときにする無駄話」
 だということを教えてくださり、少し驚きました。
 なぜ、驚いたかというと、私はこれまでの半生で無駄話を無駄だとしか思ってこなかったし、今、ミーティングをする中で自分が乗り越えなければいけないと感じている壁は、誤解を恐れずに言えば、その無駄話で解決されてしまうからです。

 無駄話=目的のない会話。

 私は今もどこかで、目的がないと行動できない。
 意味のない会話、雑談、無駄話は時間の無駄だと思ってきたし、目的のない会話だと、何を話したら良いのかも分からない、自分がこれを言って良いのか悪いのかが判断できなくて、手持ちぶさたになったり、常にうっすらとした不安を感じていました。

 それは、上手に目的のない会話ができていないこと。目的のない会話を、誰かと他愛もなく話すことをしてこなくて、そのお手本も見てこなかったからなんだなと、お父さんの話を聞いていて思いました。

 お父さんが話してくださったように、私は正しい人間関係のありかたや、信頼関係、人との距離感のお手本、モデルを知らないために、今でも、今までの価値感の中や枠組みの中での関係の取り方しかできていないように思います。

 それを抜け出すには、今、なのはなのみんなやバディのみんなと一緒に、どうでも良いときにどうでも良いお喋りをすることなのだと思い、すごく嬉しくなりました。

 本来、家族はどうでも良い日常の、どうでも良い会話の中に楽しみや幸せがあること。そして、その会話では何を言ってもよくて、どんなことをしても良くて、例え、間違ったことや恥ずかしいことがあっても、家族はその人を嫌いになったり、仲間外れにしたり、馬鹿にしたりしないものだと教えていただきました。

 そう思うと、自分がいかに日常の中で無駄話ができない環境だったかが分かったし、今では、なのはなのみんなとたくさん話して、雑談もするけれど、(これを言ったら嫌われてしまうんじゃないか)(自分が間違ったことを言ったら怒られるんじゃないか)など、判断したり、言葉を選んで気を遣いすぎたりする必要はないんだなと思い、少し不思議な気持ちです。

 もちろん、時と場所と人が違えば答えも変わってくるし、気を遣う場面や、礼儀正しくする場面も必要だけれど、なのはなのみんなは家族だから、まずはバディのりなちゃん、ももかちゃんと他愛もない話をして、信頼関係を築いていきたいなと思いました。

  本当になのはなでたくさん遊んで、情緒を深めていけたり、正しい人間関係か考え方を教えてもらえることがありがたいし、私もなのはなの子として強く生きていきます。