「答えを見つけるまで」 ななほ

2月16日

(朝)

 昨日のミーティングを通して、改めて摂食障害という病気は、本当に回復しなければ、人生が始まらないし、生きてはいけないということを強く感じました。

 私自身も作文を書く中で、なのはなに来る前、こんなにも人生が成立しない、生活が成り立たないくらいに症状や依存中心の生活になり、家庭が崩壊していったのかと驚きました。

 また、みんなの作文を読ませていただく中でも、1人ひとり、抱えてきた症状や育ってきた環境は違うけれど、もし、そのままなのはなファミリーに出会えずに、症状を出し続けていたら、誰もが、そのさきの道がなかったと感じていることがハッキリ分かりました。

 そして、本当に回復しなければ、本質のところで自分が何に苦しんで、これからどう生きていくのかをハッキリさせて、希望や目標を持って走り続けなければ、必ずまた、どこかで躓くということは私達の経験からも、摂食障害という依存症の怖さからも目に見えています。

 昨日、作文を書く中で、お父さんやミーティング実行委員さんが、よい作文の例として、私の作文を読んでくださったけれど、私自身も、その言葉を表面的だけではなく、ちゃんと理解したいと強く思いました。

 私達は、オートバイで泥道を走り続けなければ、生きられないこと。でも、これは苦しいことではありません。

 ある人の質問で、「一生走り続けるというのは、泣きながら苦しくても走り続けるというように過酷なイメージがしてしまう」とあったのですが、お父さんが、「それは過酷でも、苦しくもなく、反対に楽しく、笑顔で走り続けている」と話してくれました。

 本当の意味で利他的な目標に向かって走り続けているとき、私達は希望を持って生きられること。症状を出さずに、前向きに生きることは本当に楽しくて、私は走り続けることに生き甲斐を感じるのだと思いました。

 そのお話がとても嬉しかったし、私達のすぐ後ろに依存という穴が開いていたとしても、摂食障害になったからには、回復した人として、良い生き方しかできないのだということを思い、楽しく笑顔で生きていくイメージをすると、力が湧いてきました。

 そして、本当に回復しなければ、自立することもできなければ、社会に出て働くこともできず、他人と助け助け合う、理解し理解される関係を築くことは絶対にできないです。

 ちょっとでも症状を持って、上手に付き合っていこうとかいうことはなく、30パーセント症状を持っていたら何かのストレスを感じたとき、それが簡単に100パーセントへ振り切ってしまうということを、作文を通して改めて感じました。今回のミーティングを通して、自分を研いで、磨いて、ピカピカになれるように頑張りたいと思いました。

 私は摂食障害になったとき、自分の症状を止めることは自分にもできないことが分かり、できるだけ、周りに被害が及ばない程度に、症状を小さくし、ちょっとずつ症状を出しながら生きていく、症状を隠しながら生きていくのだと思っていました。

 でも、なのはなファミリーに来て、それまで翻弄されていた症状から離れることができました。
 その理由の1つには、症状を出さずに元気で過ごしている人がたくさんいて、私と同じ症状の人達が自立して、働いて、家庭を持って生きているのを見て、回復することに希望を感じました。

 そして、今、なのはなファミリーにいる私も、誰かの希望になれるのだと思うと、ちゃんと回復したいと思います。なのはなファミリーで畑や音楽をする中でも、ホームページを見ている人や、新しくなのはなファミリーに来る人、なのはな内の仲間同士でも、お互いに希望をもらい、助け助けられる関係を築いていけるのかなと思い、嬉しくなりました。

 そして、初めて誰かに理解してもらい、自分も自分の病気についてを理解したということも理由の1つです。(まだ、理解を深めないといけないことも、たくさんあります)
 上記に書いた2つとも、重なる部分が多いのですが、これまで摂食障害という病気についても誰からも理解されなかったし、理解できないから理解されたいとも思っていませんでした。

 だから、症状を隠しながら人と関わるしかないと思っていたけれど、なのはなファミリーに来て、どうしてこの病気になったのか、自分はどんなストレスを抱えてきたのかを教えてもらい、すごく安心しました。

 また、何をしてもしなくても、能力が低くて発展途上で、できないことや失敗が多くても、生きられる場所があることに、安心して、症状を言い訳にしたり、症状を持った弱い自分でいなくても、誰かに助けてもらえる、生きられる場所があることを感じて、症状を出さないでいられるように感じます。

 

 このミーティングで達成したいことを考えると、たくさん課題が出てきてしまうのですが、その大元となるのは何かなと思ったとき、答えは1つだなと思ったし、バディのチームと一緒にお父さんの所に行ったとき、お父さんが、「ななほの場合は、こういう理由でこれが、引っかかっているんだよ」と話してくださり、その答えにものすごく納得したし、その話を聞くだけで、まだ解決していないのにものすごく視界が開けたような気がしました。

 表面的な症状はないのに、人間関係で時々、分からなくなったり難しいと案じる原因は、全部、お父さんの答えが根本にあったのだと気がつきました。

 スプリング、ウィンターコンサートを終えてから、私は個人的に乗り越えなければいけない壁や課題がたくさん見えてきて、ミーティングが始まる前から、その課題に向き合う度に、(この課題は解決するだろうか)(これは自分の性格や、心持ちがいけないんだ)という気持ちもあったのですが、昨日、お父さんが何に困っているのかを教えてくださったら、それらも全部解決するような気がして嬉しくなりました。

 いつの日か、お父さんが私に、
「解決しない悩みなんてないんだよ。紙とペンを持って、左側に悩みを書く。そうしたら、右側に答えが書ける。もし、答えが出ないのならば手の届かない悩み事はしないことだし、僕は、求め続ける人には答えを教えることができる。もし、すぐに答えが出ないとしても、答えを見つけるまで諦めないよ」
 と話してくださりました。

 それは、いつでもそうなのを感じて、私も自分が課題に思っていることを1つひとつ、言葉にして整理し、答えを見つけるまで諦めずに向かい、自分の中から雑味を綺麗さっぱりなくし、なのはなの利他心、価値観を、ストンと落とし込みます。