「りかちゃんとまなかちゃん」 ほし

2月4日

 今日、とても、とても嬉しいことがありました。
 さっきまで、今度のセブンブリッジ大会のリーグの絵を図書室で描いていた時、りかちゃんが、自分から私のすぐそばに来てくれて、たくさんお話をしてくれました。
 りかちゃんが、「私も絵を描くのが好きなんだ」と話してくれたり、集合でお父さん、お母さんが話してくれて思った事を素直に話してくれたり、そこから、話しかけてくれて、
「私、ほしちゃんの絵が大好き、ほしちゃんにたくさん聞いているけれど、好きな人のことを知りたくなっちゃう」
 と話してくれて、そんな、りかちゃんが可愛らしい人だな、と思ったし、こうして傍に来てくれることが嬉しいな、と思いました。

 お話ができた時間が、凄く楽しくて、心が癒されました。
 りかちゃんも、「この時間がずっと続いてほしい」と言っていて、私もそう思いました。
 りかちゃんが純粋に、私の事も大好きだと思ってくれていて、みんなのことも大好きで信じているんだな、ということが伝わってきました。
「みんな、それぞれだけど、みんな凄く素敵に思う」
 とりかちゃんは、話してくれていて、すごく優しくて、そんなりかちゃんが素敵だなあ、と思いました。
 また、まなかちゃんも、
「ほしちゃんと絵を描けて、絵画教室みたいで楽しかった」
 と言ってくれて、そんなまなかちゃんがすごく優しいな、と思いました。

 最近、気持ちがギスギスとして、悲しくなったり、自己否定や自分を疑う気持ちが出て、人の事も否定的に見てしまっていたけれど、りかちゃんやまなかちゃんに、私は心を解してもらったな、と思います。
 ぽっかりと穴が開いた心が、温かく満たされていく感じでした。
 りかちゃんやまなかちゃんのように、みんなのことを肯定的に見て、誰の事も素敵だと思って大好きでいて、優しい気持ちでいたい、と思いました。
 その気持ちが一番大切な事だよなと思いました。
 2人に、とても感謝しています。

 私は、今まで人との関係も正しく築けなかったんだなと思いました。
 今までなんとなく恥ずかしくて告げづらかったことですが、小学5年生からなのはなに来る前、目の前の人、周りの人じゃなくて、好きなアーティストを一番に好きになって、最初は純粋にシンプルに好きだったけれど、段々、好きが深まると、(私はその人の事が好きだけれど会えない、なら好きにならなければよかった)と思うくらい、恋をするようなレベルで好きだったりして、アーティストじゃなくて、人として好きになっていました。

 そのアーティストの希少なCDを物凄い高額で落札したり、部屋中にポスターを張ったりしていて、好きなことは確かで好きだけれど、無理やり好きになっている部分がありました。
 そのアーティストが出るテレビ番組を録画してそれを全部見るのも義務的になっているところがあって、苦しい気がしていたし、それは、好き以上に、縋っていたのだと思いました。今は、そのことを素直に苦しかったと言えるけれど、その当時は、無理やり思わないようにしていました。
 周りに好きで心を満たしてくれる相手はいないから、そのアーティストが私の心を満たしてくれた経験から、そこに全部求めてしまっていたのだと思いました。
 そのアーティストを応援できないから、なのはなに来たくない、となのはなに来る前に思ったりしていました。
 そのアーティストは、寂しさや悲しさを埋めるため、生きていくための命綱になっていました。

 病気になって、何も生き甲斐が無くなったとき、唯一好きでいられたのが、それでした。
 私は、小さい時から、凄く悲しくて寂しくて辛かったんだな、と今思います。
 ミーティングでは、自分の心の傷に、しっかり向き合っていきたいです。