「恵方巻き」 ほし

2月3日

 

〇節分 恵方巻きづくり

 

 今日の午後の作業発表のとき、思いもよらず恵方巻きづくりに呼ばれて、みんなと河上さんに教わりながら、恵方巻きづくりをさせてもらえて、そのことがすごく嬉しかったです。
 始めに河上さんが、基本的な恵方巻きづくりについてのことを教えてくださいました。
 恵方巻きに使う海苔は、焼き海苔ではなく、すし海苔という焼いていない海苔だと教えていただいたり、伊達巻きを作るときは、常に酢で手を湿らせておくことを話して下さいました。
 酢飯が手につっくつかないようにというのと、水だと酢の味が薄れてしまうためだということでした。

 

 午前中に台所さんが、酢飯を鉄板の上に用意して下さっていて、一人分で区切ってくれていました。
 今回使った具材は、キュウリ、卵焼き、かんぴょう、しいたけ、桜でんぶの5種類でした。その具材を見ると、目にも色が鮮やかでそれだけで心が弾みました。

 

 河上さんが最初に巻き方のジェスチャーをしてくださって、その傍でその様子を、ももかちゃんがインスタグラムに投稿する用の動画を取っていたり、カメラを向けられると、みんながそっちの方を向いて笑顔でいて、その明るくて温かい空気の中にいれたことが嬉しかったです。
 巻きすを使って恵方巻きをまくときは、少しコツがいるけれど、おせちづくりで作った伊達巻と一緒の巻き方だと思いました。

 一本目は、緊張したけれど、思いのほか上手くいって、どんどん巻いていくのが楽しくて、夢中になりました。

 自分の前で恵方巻きを巻いていたさきちゃんが、「上手く巻けた!これは自己肯定感が高まるね」と言っていて、さきちゃんがいつの間にか、ももかちゃんやななほちゃんからから師匠と呼ばれていて、そうみんなが言っているのも、嬉しかったな、と思います。
 隣では、ゆきちゃんとつきちゃんとまりこちゃんが、黙々と恵方巻きを巻いていて、その姿が、職人のように見えました。
 途中でつきちゃんが「物凄い長いかんぴょうが出てきた」と嬉しそうにそのかんぴょうを見せてくれて、それがたいちゃんよりも長いんじゃないか、と思うくらいの長さだと思いました。
 恵方巻きは、一人7本巻きました。その巻いたものは、誰のところにいくか分かりません。
 河上さんが「みんな期待以上に上手」ということを言ってくださって、節分にみんなで食べる恵方巻きを上手に巻くことができて、みんなと成功体験にもできて、嬉しかったです。
 河上さんが、「このメンバーでお惣菜屋さんができるんじゃないか」と話してくれたりもしていて、さきちゃんやみんなと、「そこで働きたい!」と言ったりもしていて、その時間はが、本当に楽しくて、嬉しかったです。

 4時までには、全て巻き終えることができて、あと3時間くらいずっとやっていたいような気持ちになるほど、楽しかったです。
 河上さんに教えて頂けたことも、本当にありがたくて嬉しくて、今日教わったことをしっかり覚えておきたいな、と思いました。
 今日の経験がとても、嬉しかったです。ありがとうございました。

 夜には、その恵方巻きと鰯と煎り豆を夕食にいただけて、凄く美味しかったし、豆まきもみんなとすることができて、こうして、季節の行事をみんなと経験させてもらえることが、とてもありがたくて、身が足りていく気持ちになりました。
 豆まきの豆は、さきちゃんが用意してくれていて、一つだけ黒豆が一粒入っているパックもあると話してくれて、その遊び心が、嬉しいな、と思いました。

 

 昨日から、悲しいと思ったことや引っかかることや、気付きがありました。

 一昨日は、気が荒立ってしまって、日記の文章もそうなってしまって、すみませんでした。
 作業に出る前にまえちゃんが、私の状態を知ってくれていたからか「いってらっしゃい」と声をかけてくれて、その事が、涙が出るほど嬉しかったです。

 

 少し考えがまとまったので書くと、私は、ある一人の人と接するとき、いつもストレスを感じてしまっていました。(以前、その人のことで、一度、お父さんにもお話させてもらったことがありました。)
 その人には、上から目線で心ないことを平気で言われたり、そういった態度を取られることがよくあります。
 そのたびに、グサッときたりカッとしがちです。

 でも、私はその人に対して、まだ地に足がついていない人なんだな。と思っていましたが、でも今日、周りの人もその人の事をそう思って、その上で接しているんだな、ということが分かりました。
 また、別の人で、引っ掛かることがありました。
 その人は、とても美意識が高くて、そういったプライドを持った人だと思います。
 その人と一緒にいて、私は、きつい言葉を投げかけられることがあって、(この人は、私の悪いところや未熟なところを見ているんだな)と思ってしまいました。
 その人は本気で私の事を嫌いだとは思っていないと思うけれど、私自身、悲しく思ってしまっていました。
 でも、それをちゃんと分かった上でいると、その人と接するとストレスになることもないし、その人の悪いところだけに目が付くことも無くて、その人を理解することが出来て、敵視しなくて大らかなところで見られて、その人のいいところも見れると思いました。

 私は、小さいころから、非常に心が脆くて、ちょっとしたことですぐに傷にしてしまいまったり、誰ともいい関係を築きたいといったように求めすぎる部分がありました。

 その都度、真に受けていたり、求めすぎていたら、もたないし、ちゃんと人を評価して、今の自分とコンディションが合わない人がいたら、深入りしないようにすればいいのだと思いました。

 

 昨日は、お母さんが、「性悪説じゃなくて、性善説じゃないと治れないよ、お前たちは、感性が鋭くて、傷ついたんだから」と話して下さったことが、凄く嬉しくて、その時、涙が出ました。
 あまり考えをこねくり回したくはないですが、上に書いたことも、その話と通じると思いました。
 私も小さいころは、周りの人はみんないい人で、自分の周りにいてくれる人は、みんな大事な人で、大好きだと思っていました。
 ずっと信じていたから、意地悪をしてきた相手でも、謝ってくれた時は素直に許せました。
 でも、いつからか、それが全く真逆の考えになっていました。
 いつしか私には、求める気持ちも、プライドも、何にもなくなって、ただ一応生きているだけの人になっていました。
 あれだけ好きだった絵を描いていても、みんなと一緒にいても、作業をしても、何をしても、求める気持ちがなくなっていたな、と思います。
 真面目でありたい、良くありたい、質高くなんでもしたい、優しくありたい、という気持ちが、やけになって、無くなっていました。
 そういったこともあってからか、私は、物凄く意欲も気力も、稀薄だったんだと思ったし、あまりにも社会性が無くなっていたと思いました。

 社会性が無いことが、とても恥ずかしくて、時々、物凄く恐ろしく感じます。

 別の方向の話ですが、自分の頭の中で、考えをこねくり回しすぎて、自分の感情も、考えも、訳が分からないことになっていました。

 

 でも、最近、全部が全部上手くいくわけではなくて、調子が悪くて頭が働かなくて力を出し切れなくて申し訳ないと思うこともあるけれど、みんなと一緒にいて凄く楽しいという気持ちを感じます。

 情緒が深くなると、共感、理解も深まっていくのだと思いました。

 ひとりぼっちでいたら、心も空っぽで、情緒も育たないと思いました。

 明日は、りゅうさんやお仕事組さんがいてくれる土曜日が楽しみで、大切に過ごしたいです。