2月2日
昨日から味噌作り第1弾が始まりました。
昨日は、お米研ぎや育苗器のセット、道具のセットなどをみんなで進めました。
お米研ぎは、2升の場合は、50回を5セット、そして、3回すすぎをしました。
お米が割れてしまうと、糀菌が繁殖しにくいと教えてもらって、みんなで手早く、丁寧にお米研ぎを進めて、お米の研ぐ音が心地よくも感じました。
3回すすいだあとに水の色を、ゆりかちゃんやちさとちゃんに確かめてもらって、樽のなかに入れていきました。
「次の2升いきます」など、みんなで声をかけあって、お米研ぎを進めて、1時間くらいで、みんなで30升のお米を研ぎ終わりました。
今朝は、蒸米と種付けをしました。
昨日研いだお米を、蒸籠で耳たぶくらいの硬さに蒸していきました。
朝食前から、お湯の準備が始まり、8時から蒸米がスタートしました。
ゆりかちゃんが蒸す時間や段取りをしてくれて、随時、蒸し上がるお米の硬さをみんなでチェックしました。「うん、良い具合だね」蒸したお米を手で触ってみると、耳たぶくらいの硬さで弾力があって、こしのある感じでした。
今回使用しているミルキークイーンは、糀作りには向かない品種のようですが、ぱらっとするくらいの蒸し加減でゆりかちゃんが考えてくれていて、みんなで蒸し加減を大切にしながら、種付けを進めていきました。
蒸されたお米は、種付け台へと移動し、ほかほかの湯気とともに、台の上へ広げていきました。
私は、よしみちゃんと、ももかちゃんと、ゆりかちゃんと一緒に種付けをして、しゃもじで広げていくと、お米の粒が輝いていて、今から米糀の始まりなのだと思うと、すごく楽しみでもあるし、成長する糀を見ながら、私も一緒に頑張りたいと思いました。
糀菌は緑色をしていて、こし器でお米の上に振りかけると、抹茶のようでした。台の上に押しつけながら、糀菌をお米につけていき、何回も繰り返していくと、手がすべすべしてきました。
糀作りは温度管理が命だと感じたので、種付けをするときも、40度くらいがちょうどよく、冷めすぎても、熱すぎても菌が死んでしまうので、温度管理に十分注意しながら、種付けをしていきました。
種付けが終わって、糀箱に、お米をなまこ型において、その上に濡れ布巾をかけて、育苗器のなかへ。
ももかちゃんと「いってらっしゃい」と声をかけて、これから、糀の旅が始まるのだと思いました。
味噌となる未来が待っている糀は、味噌になることを夢みて、そして、3年後のまだ見ぬだれかの笑顔に繋がるように、糀は旅をするのだと感じました。
私も、糀が3年後のまだ見ぬだれか、そして、未来のだれかのために、美味しい味噌になるために、私も精一杯力を尽くして、出糀へと向かっていきたいです。
すべてのお米に種付けが終わって、育苗器のなかへと糀の種がセットされました。
「チーム名を考えよう」ゆりかちゃんが声をかけてくれて、まだチーム名は考えられていないのですが、みんなで素敵なチーム名を考えて、お父さん、お母さん、みんなに発表できたらいいなと思いました。
午後は、見回りをして、夕方17時の時点の見回りでは、33度~35度で、緩やかに温度が上昇してくれているのが嬉しかったです。
夜の20時半に仕込みがあるので、そのときに35℃に達してくれているように、この後もしっかり温度管理をしていきたいです。
夜の仕込みは、今日お仕事に行っていた、なるちゃんも帰ってきてくれて、みんなと一緒に仕込みができることが楽しみです。
見回りのときに、家庭科室に入ると、しんとしていて、糀たちが静かに呼吸をしているように感じます。
みんなとの味噌玉作りが成功するように、美味しい味噌が作れるように、これからも、糀のお母さんを頑張りたいです。
今日の1日目の仕込みも、みんなの笑顔があったり、みんなと力を合わせて作っていく時間が嬉しかったです。
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夜のお母さんのお話が、とても大切なお話でした。
その話のなかで、「一人ひとり、回復の仕方は違うけれど、回復できないとは言わない」
言葉は少し違うかもしれませんが、お母さんが話してくださいました。
一人ひとり、立ち直り方が違うから、私もみんなの回復記も、まだ見ぬだれかの希望になれるのだと思いました。
自分たち一人ひとりの回復記がまだ見ぬだれかのため、なのはなファミリーのために繋がって、そのことが、いつもお父さんが教えてくださる、自分のサクセスストーリーを作る、まだ見ぬだれかのために回復することなのだと感じました。
自分のためでは生きていけなくて、人のために、という気持ちを、なのはなファミリーに来て、お父さん、お母さん、みんなと過ごすなかで感じています。
なのはなに来たばかり、依存に引っ張られていたときに、そのままの気持では、社会に戻っても、また苦しくなってしまうことをお父さん、お母さんが教えてくださいました。
そのときに、私は、今まで苦しくて、命がけで病気をやってきたのだから、また病気に逃げるのではなく、命がけで回復するんだ。お父さん、お母さんが教えてくださることをまっすぐに自分のなかに入れるんだ、と思いました。
回復の道筋を、まっすぐに自分のなかに入れて、私の回復記が、まだ見ぬだれかの希望となるように、祈る気持ちで立ち直っていきます。
お母さんが、あんなちゃんとお話したなかで気がついたこととして、話してくださって、みんなの答えが自分の答えとなり、自分の一つの材料が、みんなのためになることを感じて、今度のミーティングを真摯に向かっていきたいです。