1月28日
〇若き数学者のアメリカ
数日前に、藤原正彦さんの『若き数学者のアメリカ』を読みました。
前回のハウスミーティングで、心の硬さを柔らかくするには、ジャック・スパロウのような飄々とした人物に憧れを抱く、ということを教えてもらっていました。この本の藤原正彦さんは、飄々としているというか、心に柔らかさがあって、自分にはないものを持っていることを感じました。
読めば読むほど、藤原さんの人柄が奥深く、素敵だなあと思い、この本に出会えて嬉しかったです。
アメリカでの体験が書かれた中で、印象的だったことは、藤原さんの現地の人との関わり方でした。
コロラド大学で、初めて行った数学の授業のとき。日本人であり若かったので、はじめは生徒に教授として認識されませんでした。
けれど藤原さんは、失礼な、と内心思いながらも、臆することなく、日本人であることを恥じることなく、ユーモアたっぷりに生徒に心を開いていっていました。
真面目な生徒も、不真面目な生徒も、それぞれの良さを知っていて、距離感を適切に取っていました。例えば、授業を延長したいときは真面目な、前の真ん中に座っている生徒に許可を求め、週末にスキーに行くから、授業を休みたいときは後ろの隅に座っている生徒に許可を求める、など。
変に取り繕うことも一切なくて、呼び方も、フジでもマサでも、ヘイと呼んでも分かる、と言うくらい拘りがなくて、飄々としていました。
それでいつしか、大学の教授の中でも、生徒からの人気は藤原さんが抜群というくらい、生徒に好かれる教授になっていました。
また、印象的だったのは、住んでいたアパート中の子供たちの人気者になっていくところでした。
はじめに出会った子供は、砂場で遊んでいた3人の子供。そのうちのボス的存在だった5歳の男の子は、子供たちを見ていた藤原さんに、「お前は目障りだ。今すぐ失せろ」と言って砂を投げかけんばかりの剣幕で威嚇をしてきました。
それに対し、藤原さんは、「5歳なのに大人を相手に、自分を大きく見せようとしていて、度胸がある」と評価をして、おどけて逃げ回るふりをしていました。
これは、当たり前のことかもしれないけれど、もし私は、相手が5歳の子だったとしてもこんなことを言われたら、平常心ではいられないだろう、と感じました。自分は、自分を保つ力が脆弱だと思いました。
藤原さんの人との関わり方は、どこへ行っても、好きになられて、深い関係に繋がっていって、そういう人柄が本当に素敵だなあと思いました。
私も、刺々しいというか、視野が極端に狭くなってしまう人格を、藤原さんのように、飄々と構えて、多少のことは大らかに受け入れて、深く人とつながっていけるような人格に変えたいと思いました。
〇祖国とは国語
今日は、午前、午後とゆったりモードの時間がありました。私は主に読書をして、身体を休めつつ過ごしました。
『若き数学者のアメリカ』に引き続き、藤原正彦さんの『祖国とは国語』という本を読みました。
この本には、お父さんが教えてくれることに共通することが書かれていました。
小説を読むことで、情緒が得られること。勉学の上で、読むことが何よりも大切ということ。
小説を読むと、正義感、勇気、優しさ、悲しみ、などを日常の生活ではなかなか味わえないことまで知ることができ、それを知れば知るほど、情緒が育まれて、大局観的な考えができるようになる、ということでした。
情緒という言葉の意味を、お昼のハウスミーティングのときに辞書を引いて調べました。
それは、「そのもの(場所)に接したときに受ける特有の情趣。喜怒哀楽などの感情」と書かれていました。
情緒を育むということは、ものごとに対して感じ取る情の幅を、広く、深くしていくということかと思いました。
大局観的考え、というのも、お母さんがよく教えてくれる「鳥の目で見ること」に繋がるのかな、と思い、情緒が育つことで、視野が広くなってより優しい選択をして生きていくことも、できるのかな、と思いました。
小説を読むことの大切さを、改めて感じることができて嬉しかったです。