「私が求めていたもの」 ちさ

1月27日 

 

 今日の嬉しかった2つのことを書きます。

 1つ目は午前のハウス周辺の雪かきです。

 深いところでは1メートルを超えていたと思います。(ハウスの屋根に積もっていた分で多くなっていることもあり)一歩前に進むには、上から5回くらい少しずつ雪を取っていかないと草が見えてこないくらいに深かったです。また、日差しによって少し溶けた雪は、昨日はふわふわでしたが溶けて密度が増していました。
 あるところではシャーベットくらいで、シャラシャラとしていて柔らかく、あるところではもっと凝縮されてミシミシとしていて、小麦粉などを固めたミシッとした感触を連想させました。多いのと、硬いのとで、初めは苦戦していましたが、やり方を掴んでからは、黙々と快感に浸っていました。確実に雪がのけられて、草が見え、前に進んでいく喜びと、自分の中の一定のリズムで雪かきをしていくことが、複雑なものとか、特別なものなしにただただ楽しかったです。

 また、初め硬かった雪に直面した時、そしてそれが6棟分もあると考えたときは気が遠くなりそうにもなりましたが、あゆちゃんと一緒だと絶対できる気がして力だけが湧いていました。全部楽しい事になってしまいます。あゆちゃんパワーは本当にすごいです。

 

 2つ目はお母さんとたけちゃんとの雪遊びです。

 雪かきから帰ってきた時、庭木の陰に人がいるなと思ったら、突如白い雪玉が飛んできてびっくりしました。するとそこにいたのはお母さんとたけちゃんでした。私も思わず雪玉を作って投げ返しました。何玉投げ合ったかわかりません。高いほうにいるお母さんめがけて投げるためには上方向に投げなくては届かないけれど、時に斜め下方向の直球で、勢いよく雪の中に突っ込む球を投げてしまったとき、コントロール力ゼロで、ソフトボール練習の守備で冒頭ばかりで泣きながらくらいついた、お母さんやまえちゃんたちとの練習のことを思い出しました。

 不安も心配も不満もなにもなく、ただすべてを忘れて球をお母さんとたけちゃんめがけて投げることに夢中になっていました。それはすごく幸せでした。頑張って遊ぶのでもなく、尻を叩いて元気な振りをするのでもなく、誰かを気遣うでも、誰かに合わせるでもなく、自然体で、心の奥底から身体の手先足先までが一体となって遊び、楽しみました。

 こうやって子供の時、遊びたかったんだなと思いました。

 涙が出そうになるくらい嬉しかったです。

 その後はバケツやコップを型として使って、たけちゃんとお母さんの誕生日ケーキ作りをしました。「コップ」「バケツ」「お玉」と、「これは?」とたけちゃんが聞いては次々に真似して唱えている姿がとてもかわいかったです。

 完成したケーキには色とりどりのお花を飾ってくれました。

 そして「ハッピーバースディかぁか~、」とたくさん歌いました。うきうきに手を叩いて、踊るように足踏みをして嬉しそうに歌っているたけちゃんを見ていると、本当に本当に嬉しかったです。本当にかわいかったです。小さな自分までも喜んでいるような気がしました。

 

 また、夕方にはお母さんとももかちゃんとたけちゃん、たいちゃん作のかまくらづくりに参戦させてもらいました。

 夕方は少し吹雪いていたけれど、ももかちゃんが一生懸命に、そして笑顔で嬉しそうに作っているのを見て、その姿がすごく綺麗で、どうしてだか涙腺が緩みかけました。

 汚れることが嫌だなと思う気持ち、寒いのは嫌だなと思う気持ち、そういう雑念がいつの間にか思い切り遊びたい気持ちに勝るようになっていました。すごく寂しい事だと思いました。

 今日はももかちゃんとみつきちゃんと、白いかまくらができるように土が打ちてしまったところは上から雪コーディングしたり、たいちゃんが入れるくらいに、と実に三角ホーみたいなものでひたすら中の雪を掻きだしていくのが楽しかったです。最後は、ももかちゃんが「どうぞ」の3文字と可愛くお花で飾ってくれて、小さいけれど私たちも頭を突っ込めるかまくらができました。中は少し暖かくて、静かな世界で、神秘的でした。

あっという間に消灯になりました。