1月24日
・ちょうどよい
ハウスミーティングでお父さんが、「今の自分も、環境も、生い立ちも、友人もみんな、ちょうどよい」ということを話してくれました。
先日、心が固いと摂食障害を回復するというときに、自分を受け入れにくかったり、完璧を求めてしまうという話を聞いた時、私もまだまだ、心が固いことを感じました。
なのはなに来て、自分でも驚くくらいに角が取れた部分、穏やかになれた部分、相手も自分も許して、受け入れられる部分は増えてきたけれど、まだどこか、完璧を求めていたところがあると思いました。
それについてお父さんに質問した時、お父さんが、「ある哲学で、起きたことはすべて良いこと、というのがあるけれど、それと同じで過去に起きたことも自分にちょうどよかった、今の自分も今与えられている環境も全部、自分にちょうどよい。そして、未来もちょうどよいのだけれど、未来はそれに加えて希望とか、理想をもってそれに近づこうとすること」と教えてもらいました。
何が正しい、正しくないと善か悪か、正義か正義じゃないかなど極端に白黒つけるのではなく、すべて今の自分のいいところも悪いところも、ちょうどよい。
今起きていることも、過去に起きたことも、今の課題も嬉しいことも、哀しいこともちょうどよい。
そう思えばいいだけなのだと思いました。そして、心が固いか柔らかいかを思い、柔らかくなるにはどうしたらいいのかを考えるのではなく、ちょうどよいと思うこと自体が、心が柔らかいことなんだなと感じました。
そう思うと、いろいろな悩みも問題も解決していくような気がしたし、自分が今、ぶつかっている課題も、ちょうどよく設定されていて、だからと言ってそこに胡坐をかいたり、自分におごるのではなく、その課題を努力して乗り越えていくこと、そして未来にいつも、希望を持ち続けることが、摂食障害の回復にもつながり、よく生きるということなんだなと改めて感じて、その言葉が嬉しかったです。
また、別の質問をしたときにお父さんが、
「豆つかみが得意な人は、執着心の強い人だと思う。だから、そういう人に何か修理や制作を頼めば、確実な仕事ができると思う」
と話してくださり、私はその粘り強さ、根気強さ、1つのことを突き詰めて熱中するストイックさが足りないなと思いました。
それが私の大きな課題でもあり、それを乗り越えたら、好きなことや得意なことの幅、小さな成功体験という自信を持てる幅も広がっていくだろうなと感じています。
1つでもいいから、自分が好きになり、極めていける分野や得意とできるものができるよう、集中力や粘り強さを身につけていきます。