「求めていたこと」 ななほ

1月20日

(朝)

 

 水曜日の夜は金時太鼓で夜の集合にいられなかったのですが、まみちゃんの日記で盛男おじいちゃんの娘さんからの手紙について、知りました。

 盛男おじいちゃんが最期の最後まで私たちのことを思ってくださっていたこと。

 「蝶になって、飛んでいけばいい」

 私は昔から、蝶が好きで、なのはなに来てからも版画教室などで蝶の作品を作ったことがあるのですが、私の作った蝶は全部、盛男おじいちゃんなんだと思いました。

 いつでも、蝶の中に盛男おじいちゃんを見ることができて、いつでも、私の中には盛男おじいちゃんの大きな手と、優しい笑顔と、真っ直ぐな眼差しがあります。

 盛男おじいちゃんが「ななほちゃんは、なのはなで治るって信じていたよ。来たばかりのときから、ずっと、信じていたよ」と話してくださったこと、盛男おじいちゃんが「ななほちゃんなら、大丈夫」と力強く手を握ってくださったこと。

 盛男おじいちゃんを思うと、「あなたの使命」という言葉が自然と心に浮かぶし、盛男おじいちゃんの期待に添えるような生き方をしたい、と思います。

 直接、手紙を聞かせていただけたなかったのは残念なのですが、またどこかで、盛男おじいちゃんが飛んできてくれる日を楽しみにしています。

 

 

・ネックレス、作ろうよ!

 

 子供組でももかちゃんへ、サプライズプレゼントを作りました。それは、貝殻が真ん中につけられたネックレスです。
 私たち子供組は、以前、お母さんからプルメリアの花がついたネックレスをプレゼントしていただいたことがあったのですが、「ももかちゃんの分がないから、つけられないね」「そうだ、ネックレスを作ろうよ!」という話になりました。
 私1人だったら、ネックレスは買うもの。貝殻ですら、買うもの。というイメージがあったのですが、子供組のみんなといると、何においても、「ねえ、これ、作ってみない?」という思考になります。
 それが、ほんの小さなことだけれど、とても幸せなことに感じました。
 買うのではなく、作るという頭で生活していると、畑で泥になった防寒ビニール資材も、子供組の手にかかれば、綺麗に洗われて素敵な衣装になります。
 キラキラ折り紙で風船を作ってみたり、資材のあまりでもう1つ、違うアクセサリーを製作してみたり、今回のお母さんのお誕生日会は、子供組には珍しく、製作が多いのですが、それがとっても楽しいです。
 ネックレスも麻紐で編ませてもらったのですが、ももかちゃんが喜んでくれる姿を想像しながら編んでいると、その時間、とても幸せで満たされた気持ちになりました。
 成人式の日、お父さんが「大人は、自分以外の誰かを喜ばせることを、自分の喜びにできる」と話してくださったけれど、本当にその通りのように感じます。

 お父さんが以前、話していたように、人間は本来、誰かを喜ばせたい気持ち、大切にしたい気持ちで溢れているというのが今では体験を通して、素直に感じられて、子供組のみんなとももかちゃんを思って、サプライズ企画するのも私の中では、小さな頃に経験のできなかった思い出ファイルを1つ、積み上げているような気持ちでした。

 ももかちゃんがとっても喜んでくれて、5人お揃いで、お母さんのお誕生日会に出られると思うと、子供組からお母さんへ気持ちも届きやすくなるようで、嬉しいです。

 

(夜)

 お父さんがよく、好きな気持ちは映し鏡だと話してくださるけれど、最近、みんなのことがより、好きだなと感じたり、なのはな内でも以前より、誰かと話しやすい、人間関係がとりやすいなと感じます。

 子供組では毎回のように、意見の衝突も起きるけれど、それも含めて楽しいし、結果としてみんなが納得済みで、一番素敵なものになるのが嬉しいです。
 また、ちさちゃんがなのはなに帰ってきてくれて、子供組が6人になりました。

 さっそく、明後日が本番だけれどお母さんのお誕生日会子供組チームにちさちゃんが入ってくれることになって、今、衣装考案をして、練習をしてきたところです。

 ちさちゃんと過ごせるのが嬉しいし、子供組としてもまた賑やかになって、たくさん遊びたいです。

 

 あと、夜の集合でお父さんが3つの質問に答えてくださって、お父さんとお母さんの答えに、改めて「そうだったのか」と思うことがたくさんありました。

 なのはなに来るまで外で遊ぶことが怖かったことについて、お父さんに質問させていただきました。
 それは、特にこれといった理由はなかったのですが、学校でもグラウンドに出て遊ぼうと思えなくて、いつも、室内で宿題のプリントを前倒しでしていたり、誰かと話していたりしていました。

 私は球技に対して苦手意識も強かったため、外に出ても誰と遊んだらいいのか、自分は何が得意なのか分からなかったし、小さな頃から外に出て疲れてしまうことや、汚れること、みんなの中で浮いてしまうことを感じていたのかなと思い、質問させていただきました。

 お父さんが「5~6歳の頃から、外で遊んだ経験がないと、小学校に入っても、外で遊べない。僕は毎日のように海に行って泳いだりしてきたし、山に行ったり川に行ったり、海に行く中で情緒が育ち、自然の中で癒やされていく」と話してくれました。

 自然の中で癒やされる。その言葉が私の中にズドーンと入ってきて、何だか涙が出そうになりました。

 私は気がつけば、勉強だけをして、いくつもの習いごとに行って、いつの間にか遊ぶことは無駄、外に出る時間は無駄、友達と遊びたいけれど遊べない、スポーツよりも勉強だと思って生きてきました。

 だから、小学生の頃にはもう、外で遊ぶことを避けてきたし、どこか遊びに行くと言っても海や川、山と言うより、都内だとかショッピングモールとかだったように感じます。
 でも、本当は、私は自然を求めていました。動植物が大好きで、本当は自然の中に癒やしを求めていたのだと思います。
 お父さんが「自然の力に癒やされる。たとえ、傷ついていたとしても、自然がいやしてくれることもある」と話してくださったことが嬉しかったし、私は今、もう小学生ではないけれど、なのはなで自然の力にも癒やされてきたんだなと思いました。
 なのはなに来るまで虫も土も大嫌いだったけれど、今、山小屋へ行けば外に出て蝉取りに行きたいし、山菜採りをしたいし、とんぼもクワガタも触れるようになりました。
 古吉野にいても、毎日、桃畑に出てあんなちゃんたちと剪定をするのが気持ち良くて、桃栽培を通しても、桃の木の大きさや、桃畑を包んでいる温かくて安心した空気に癒やされています。
 太陽に当たるのも、季節を感じるのも、天気を読むのも、なのはなに来ていなかったら忘れていたことだったかもしれません。

 私はなのはなに来て、もう一度、自然を感じ、思いっきり遊んで、本を読んで心を耕せているんだなと思うと嬉しくなったし、なのはなでの生活を通して感じたことは、きっと、これから私が自立して、家庭を持ったり、たくさんの人と人間関係を築く中でも、大切なことだらけで、もっともっと、情緒を深めていきたいと思いました。

 

 まだまだ書きたいことはあったのですが、なつみちゃんとお風呂に行く約束をしたので、ここまでにします。