「職業、生き方にとって一番いい体型」 りんね

1月18日

〇会の準備

 今日も、お母さんのお誕生日会へ向けての準備を、半日進めました。
 私は、さやねちゃん、ひろこちゃんと一緒のチームで、ギターを演奏します。今日はひろこちゃんと一緒に、衣裳や演出を考えてから、ギターの練習を行いました。

 練習している曲は、『チェンジ・ザ・ワールド』。エリック・クラプトンの曲です。
 この曲をはじめて知ったときは、“ブルース”という今までに自分になかったジャンルで、どう受け止めたら良いのか分かりにくかったです。
 今、会へ向けてひたすら曲を聴きこんで、ライブ映像も見て、イメージを持って練習しています。この曲は、すごくピュアでロマンチックなラブソングを、ものすごく渋いおじさんたちが演奏しているところが面白いということに、気づきました。
 しかも、エリック・クラプトンをはじめとするおじさんたちは、音楽と一体化しているようなくらい、音楽に乗って楽しんでいます。
 自分たちも、渋いおじさんたちになり切って演奏しよう、と思うと、どんどん練習が楽しくなっていきました。

 ひろこちゃんと何回か合わせ練習をすると、昨日よりも明らかに進歩していることを感じました。
 私は、セーハするコードを押さえて弾くのが苦手でしたが、練習を始めてからの数日、日に日にめきめきと握力が上がり、セーハを押さえられるようになっていることに、気づきました。

 まだ、音に雑味が多くて、聴かせられるところまでは到達していないけれど、少しずつ濁りが減ってきていることがとても嬉しいです。
 平日は2人だけれど、1人よりも2人で練習できることが、すごく嬉しいです。ひろこちゃんとの合わせで、お互いに癖を無くして一緒になるように練習していけることが、ありがたいなと思います。 

 土曜日に、あゆちゃんやまえちゃん、さやねちゃんとも一緒に、合わせをしよう、となっています。
 豪華なバンドメンバーが連なっていて、恐縮してしまうけれど、ちゃんとテンポをとって、濁りのない演奏ができるように、土曜日までに成長したいです。

〇セロリの収穫、小松菜の追肥

 午後は、はじめにセロリの収穫と嫁入りを、のんちゃん、ふみちゃんと行いました。
 先日追肥したばかりのセロリは、今は少し収量が落ち着いています。寒さも厳しいので、成長も一旦ゆっくりになっているのだと思います。
 でも、収穫出来るものはとてもきれいで、ほとんどが嫁入りすることができました。
 3人だったけれど、嫁入りまでの流れを協力して、スムーズに行えて、嬉しかったです。

 そのあと、梅見畑の小松菜の追肥に、合流しました。
 みんなが間引きをしてくれていて、私はのんちゃんと一緒に、条間に鶏糞を筋状に撒いていきました。
 第5弾はまだ4センチくらいの大きさだけれど、寒い中でも濃い緑でピンとして、頑張っているのがすごいなと思いました。5弾には最後、ビニールをかけて霜に当たらないようにすることもできて、嬉しかったです。

 半日と短い間ですが、みんなと畑に出られる時間はとても嬉しいな、と思います。
 みんなと畑で作業していると、身体がぽかぽかして、気持ちもしゃきっとして、気持ちがいいです。
 音楽も、畑も、並行して進めていけることで、気持ちが作られて、ありがたいなと思います。

〇お母さんの言葉

 最近、ふと自分の中で、体型に対する拘りが浮かんできてしまっていました。拘りだということが分かっていながら、ジャグリングしてしまっていて、お母さんに相談させてもらいました。

 未熟な相談になってしまいましたが、自分が体型に拘ってしまうこと、太っていることがみっともないと感じてしまうこと、その理由を話しました。
 それは、依存から生まれる気持ちだと、お母さんが教えてくれました。

 なのはなのスタッフさんのあゆちゃんは、なのはなでスタッフをやっていくには、しっかりとした体力が必要だ、と、痩せたいとか、全然思っていない。あゆちゃんの頭にあるのは、なのはなのスタッフとして、みんなのために力強い存在であるということだけ。
 ちゃんと生きている人は、そうなんだよ、と教えてもらいました。

 自分の体型は、自分の職業、生き方にとって一番いいものにしていくことを、教えてもらいました。太るも痩せるも、自分の拘りではなく、自分に何が求められているか、を基準に決めていくのだと思いました。
 赤ちゃんを育てるお母さんになるためには、どっしりとして、ある程度太ることも、必要だと教えてもらいました。

 お母さんの言葉は、今までにも集合の場で聞かせてもらっていたことでした。けれど、自分の中に落とし込み切れていませんでした。
 お母さんに目を見て教えてもらったことで、やっと理解することができたと思いました。
 私が今までずっと持っていて、時々ジャグリングして深い自己嫌悪に陥っていた、体型に関する拘りは、症状的なものでした。
 本当にちゃんと生きようとする人は、自分の身体を、誰かのために使っていくことができます。

 そうなるために、私はまずは、赤ちゃんを育てられるくらい、しっかりする必要があります。
 身体も気持ちも、逃げずに作っていきたいです。お母さんの言葉から、迷いを振り切ることができて、ありがたかったです。