
「人体」をテーマにしたコンサート。初めて脚本の読み合わせをした日、お父さんが書いてくださった脚本の世界に入ると、愛らしいキャラクターのコミカルな細胞たちがいっぱい迎えてくれて、一気に物語が大好きになりました。
スプリングコンサートからの続編で、主人公たちの成長した姿が見られることも、とっても嬉しくてわくわくしました。
それと同時に、おさらば三人組は私たちそのもので、この劇で明かされる身体や脳の仕組みは、どうして私たちが摂食障害になり、依存症になってしまったのかをそのまま表現するものでした。
コンサート後半で視床下部さんが説明してくれる、四歳、五歳、六歳で作られる思い出ファイルのこと、親離れが出来ないこととはどんなことかということ、全部が本当に、自分が摂食障害を発症した理由そのままを表していました。
何度も脚本を読むごとに、自分が何に傷ついて、どうして依存症になってしまったのか、より理解が深まります。

この脚本を読んですぐに、これを見てくれるお客さんの中にも私のように深く共感してくれる人が絶対にいるはずだと思いました。
コンサートがきっかけで、もっと深く知りたい、お父さんの話を聞きたいと思う人もいるだろうと思いました。
こんなふうに悲しくなったり苦しくなる今の空気はおかしいんだと気づいてくれる人が、この脚本で、一人でも二人でも増えてくれたらいいと心から思って、このコンサートに取り組む気持ちがまず作られたと思います。
私も脚本を通して、「私の使命」を強く感じて生きていかなければいけないと思いました。
今回のコンサートは、初めてバンドメンバーとして参加しました。
マイクコーラスをよしえちゃん、ゆいちゃん、さきちゃん、りなちゃんと担当しました。
私は、今まで音楽を作らなければ生きていけないような気持ち、認めてもらえないような気持ちで、歌うこと作ることが大好きだけれど怖かったです。簡単に言えば曲つくりにも依存していました。
なのはなに来てからも、みんなで音楽を作ることを楽しめずに、どこか逃げたい気持ちがあったと思います。特にみんなでやるということに怖さがありました。
でも、みんなが一つのものを作り出すために毎日精一杯でいる姿が綺麗で格好良くて、みんなの事が大好きだと思う気持ちが溢れてくると、今まで持っていたコンプレックスなんてどうでもいいと思うようになりました。
いや、それよりも全力で、出来ないことや怖いものに立ち向かうのが面白い! 楽しい! と感じられました。
私が今こうして、「これが怖かった」と書けるのも、この楽しさに初めて触れて気が付けたからだなあと思います。
特に『ザ・プロフェッツソング』の輪唱の練習がとっても楽しくて、一番「出来ない」に向き合った時間だったなあと思います。
まず、楽譜を解読して、暗譜して、それを揃えて歌う練習。
それからずらして周りの音につられず歌えるように、何度も何度も練習しました。
一パートだけだと音の到着地点が不安定な所が何か所もあって、「この音だとなんか変だよ!」「でもこの音なんだよ!」とお腹を抱えて笑い合いながら歌った時間が、かけがえもなく温かくて、楽しくて、幸せな時間でした。ああ、今思い出しても面白くて、心がくつくつします。
出来なくても出来ても一生懸命完成させたい! という気持ちで取り組むことって、こんなに楽しいんだ! と分かると、苦手だった個人練習も、集中して、あっという間に過ぎてしまう、密度の濃い時間に変わりました。みんなと同じ気持ちでいることで、一人の時でもこうして出来るんだなあと実感しました。
実際、歌っていてこれが出来ない、あれが出来ないと思って、悔しくて悲しくて地団太を踏みたくなることもたくさんあったのですが、みんなの事を思うと力が湧いてきました。
何度も、「みんなとの演奏の為じゃなかったら絶対に諦めてる!」と思ったりもしました。
ああ、諦めなくてよかった、と、バンドの演奏では本当に達成感や充実感を感じることが多かったです。
■言葉にならない幸福感
『エンジェルス』ではメインボーカルをさせてもらいました。
お父さんの誕生日会で、さやねちゃんやあけみちゃんを中心に作ってくれたダンスを、卒業生ののんちゃんがバージョンアップしてくれました。

見ているだけで幸せな空気が溢れだすダンスの中で歌わせてもらうのが本当に本当に幸せで、この役割を経験させてもらえたことが有難かったです。
この曲のコーラスの音入れをしている図書室の様子は、一生忘れられないワンシーンになったと思います。
窓からのきらきらひかる光の中で、みんなの天使みたいな歌声がハーモニーになって美しく響いているのを見て、
「ああ、こんなに美しくて綺麗で頼れる仲間の中で私が歌ってもいいんだ。私が存在していてもいいんだ」
と思うと涙が溢れました。
歌詞の中で、「自分のインナーチャイルドが騒ぐとき、身体も心も悪魔に散らかされてしまう。だけどあなたがわたしの一番いいところを引き出してくれる時、今まで感じたことのない幸福を感じる」
という歌詞があります。
私はあの図書室の光景を見た時に、一度にこんなにたくさんの人の優しさや愛情、それと言葉にならない幸福感を初めて感じました。
音合わせの時には、お父さんとお母さんが、コーラスのみんなの前で聞いてくださって、上手く歌えた時に大きなOKマークを作って見ていてくださったことがずっと記憶に残っています。
ああ、家族なんだなあと強く強く感じました。
この曲はコンサートの中で、「妊娠した赤ちゃんを見に行く!」と子宮に行く場面で演奏されました。
私はずっと長いこと生理が止まっていて、そのことに恥ずかしい気持ちがありました。
私のお腹はもう死んじゃったのかもと諦めていて、赤ちゃんも産めないんだろうなと度々思いました。
でも、このコンサートに向かう中で六年ぶりくらいにまた生理が戻ってくれて、この曲を歌わせてもらうこともなんだか運命みたいだと感じました。
お母さんが、
「コンサートの曲は、計算しなくてもすっぽり曲がはまるようになるんだよ、そうなるべくしてなるんだ」
と言って下さることが本当にその通りだと思いました。
そんな体験はやっぱり素直に日々に向かわないと体験できなかったことだろうなと思って、そういうふうに行動させてもらえてた環境も、改めて有難いと思いました。
■最後まで良いものを
演劇では、前頭葉を演じました。
役が決まって最初に、大脳新皮質の前頭葉(私)、頭頂葉(あんなちゃん)、側頭葉(みつきちゃん)で集まって、キャラクターをどうしようか話し合った時間が面白くて楽しかったです。
色々な設定を考えました。
siriをイメージしてみたり、漫画のキャラをイメージしてみたり、ねっちりした学校の先生をイメージしてみたり……試行錯誤しながら色々なキャラを試したつもりだったのですが、私のキャラはなかなかしっくりこずに、台詞もなかなか言いづらいなあと思っていました。
大脳新皮質のシーン
本番三日前に、お父さんが、劇全体で役者のキャラをもう一度見直して下さって、大きくまた演技が違ってきました。
それがとっても面白くって、もっと役者が愛されるようなシーンになる気がして、やる気がまたもりもり湧きました。
やよいちゃんが、「まなかちゃんのキャラが生きるように!」と細かく演技を見てくれて、これまでいつも台詞が上手く言えなかった所もすんなりと間違えずに言えるようになって、それが本当に嬉しかったです。
当日の朝にも、最後にもう一度見てくれて、本番では気持ちよく演技することが出来ました。
舞台からはける時に、袖にいたやよいちゃんが、「いいね! やったね!」と言うようににっこり頷いてくれて、なんだか涙が出そうになりました。
みんなの、最後までいいものを作りたい! という気持ちに触れて、自分もその中で精一杯やれることがとても楽しくて幸せに感じます。
脚本の中で、とうこさんの気持ちが痛いほど分かりました。
そして、なのはなに来てしばらくしてから持った、空気が狭い感じや違和感は、自分の損得勘定に揺らいでいたせいなんだと気づきました。
「あの時はこう思って苦しかったんだな」と、今まで苦しいかどうかも分からなかった私を、とうこさんと重ね合わせて理解することが出来た気がします。
「私の使命」をとうこさんが持って生き方を取り戻していくように、どれだけ駄目であっても、苦しくても、私の使命は常にあるんだと思うと、自然と、私は人のために生きているんだと思うようになりました。
■希望が溢れていく
コンサートに向かう中で、お父さんが何度も、「私たちの本番は今なんだ」と教えてくださいました。
それは本番当日にも強く実感できました。
いつもとはまた違うわくわくする緊張感はあったけれど、伝えたい気持ちや取り組む姿勢、どれだけの気持ちを使いながら表現しなければ届かせることが出来ないのか、ということは過程も本番も同じなんだなと思いました。

練習の時間も魅せるものにする、全てをさらけ出す覚悟を決めて取り組む気持ちよさは、言うだけじゃなくて本当に覚悟を決めないと得られないものなんだなあ思います。
心を一つにして向かう空気の一瞬、一瞬が、私の人生の中で大切な感覚になっている気がします。
これは前回のコンサートの時にも感じたことなのですが、みんなと揃った心を持とうと自分が思えるようになるんだ、実際にみんなと混ざり合うことが出来るんだと思えるたびに、自分の今にも未来にも希望が溢れていくのを感じます。
ぽこっと空いた穴に、温かいきらきらした液体が注がれる感覚です。
それと、真剣に毎日を楽しんでいるみんなの表情や、一生懸命さを感じるたびに、みんなの事が好き! という気持ちを切なくなるくらいにひしひしと感じました。
ハウスミーティングでお父さんにも質問させてもらったのですが、この、みんなの事が好きだと思う気持ちを、こんなふうに日常で感じられることは普通のことなんだよと教えてもらって驚きました。
こんなふうに生きていて人に共感したり好きだと感じられることが、当たり前にできる自分を想像したことが無かったです。
これから出会うであろう、たくさんの、まだ見ぬ誰かを思うと胸が高鳴ります。
私はその人たちの為にも、今を大切に歩かなければいけないんだと思いました。
ホール入りしたときの集合で、お父さんが、
「いつでも前のめりに生きなければ、よく生き続けられない。薄氷の上に今があることを忘れずにいるから美しい」
と教えて下さいました。
その言葉が、すごくその通りだなと思って心に残っています。
このコンサートを通じて、私たちが摂食障害から抜け出るために必要な気持ちが作られていくんだと感じました。
いや、コンサートを含めた仲間との生活全部がそうなんだと改めて思います。
何をしても、必ず幸せであること、人のために力を尽くすことで幸せを感じられること、いつもより良くしたいという気持ちを持ち続けなければ私たちは生きられないことをもう一度深く思いなおしました。
劇で小腸さんが話してくれた、損得勘定に打ち克つ方法は、誰にも当てはまる苦しさの解決方法だと思います。
それを全力でみんなと伝えられたという経験が、何より私の心を一回り大きく温かくしてくれたと思います。
守ってくれているみたいに、みんなの気持ちを感じられることが本当に幸せです。
最後に、私がこのコンサートで一番たくさん感じたことは、「みんなのことが本当に大好きだ」という気持ちです。
みんなと一緒に一生懸命に出来ることの楽しさ、真剣に生きることの綺麗さ、はっとする繊細さに触れるたびに、自分のことも、これまでとはまた違うところで肯定できる感覚になりました。
人と心を通わせることの大切さ、これが無いと私一人では生きていけないと、初めて心から思えました。
こんなに人のことが好きになれるのなら、自分がよく生きて見せて、同じように苦しむ人の道しるべになったらいいなと思います。
これが私の使命なんだろうなと感じています。
このコンサートを通して、ミーティングのときのように、自分のいろんな心と、たくさん向き合った気がします。
この脚本をみんなで完成させられたことが私の自信になりました。
スプリングコンサートとウィンターコンサートを経て、今の私は、自分の身体にも自分の外側にも愛は満ちているんだなと感じます。
それと仲間がいることの幸せで、これからも強く進んで行けそうです。