「蒼穹の昴」 りんね

1月10日

〇蒼穹の昴

 浅田次郎さんが書いた、『蒼穹の昴』を読み終えました。
 以前、豆の選別のときに、まえちゃんが一番好きな本が、蒼穹の昴だと教えてくれました。卒業生のみかちゃんも、この本が好きだと聞いたこともありました。
 なのはなの子に人気が高い蒼穹の昴。読み進めるほどに、好きになる理由が分かっていきました。

 皇帝が最大の権力を握り、支配していた、清の王朝が終わるとき。物語の舞台は、中国の大変動の時代でした。実際に存在した人物も数多く登場しました。

 上巻は、主人公の春雲、文秀の2人の物語が並行して進みました。
 糞拾いの子から、宦官になる道を選んだ春雲。地方の裕福な家の子で、科挙登第をする文秀。それぞれが宮廷に至るまでの物語。
 そして乾隆帝の治世の後、中国で皇帝による政治が成り立たなくなってきていることが、書かれていました。

 下巻では、いよいよ太后側、皇帝側が対立し、歴史が動き始める場面に入りました。
 春雲が属した太后側の話、文秀が属した皇帝側の話、加えて租界における日本、アメリカなどの国の新聞記者の目線からの話、春雲の妹の玲玲の目線からの話。文秀と同期の進士だった王逸という人の話、時代をさかのぼり乾隆帝と西洋の技師の話。

 7つ以上の物語が、並行して進んでいました。時代も場所も越えて、登場する人は全て繋がっていました。そして、その一人ひとりがどう生きてきたのか、どういう人生観を持っているのか、というところまで感じられました。
 複雑な物語が進む中、作者が一番伝えたいこと、物語の答えが、求めていたものだった、と思います。
 読み終えて、ただただ、「こんな物語を書けるなんて、すごいなあ」という気持ちがしています。

 一番印象的だったことは、主人公の春雲が生きる姿でした。
 物語は、貧しい糞拾いの子だった春雲が、予言者から、「昴を守護星とし、汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収るであろう」という予言を受けるところから始まります。

 その予言は、本当の予言ではないこと、予言者が貧しい春雲のためについた偽りだと知っている上で、春雲はその予言を信じました。
 貧しさのため、3人の兄は病死か兵出し、母は鬱になり、残ったのは妹と自分。糞拾いのままならば、いずれはのたれ死ぬという運命だった。
 このまま、貧しいという定めのもとにのたれ死にたくはない。生きたいという、強烈な願い。春雲は自ら男性を絶って、死ぬよりも過酷な、生きる道を選びました。

 その後、運命のように春雲は、老公胡同に辿り着き、そこで宦官として生きていくための修行の日々を過ごしました。心がまっすぐで驕りがなく、生きる力に溢れた春雲の存在は、胡同にいた全ての人たちにとっての希望でした。
 やがて宦官になり、修行で得たものを発揮して出世をした春雲は、同僚の宦官たち、それから宣教師たち、多くの貧しい人にとって、輝かしい希望になりました。

 ウィンターコンサートを終えたばかりで、この物語を読んで、主人公の春雲が、「あなたは私たちの希望だ」と言われるところで、涙が出てきました。
 夢に向かって突き進むけれど、そこには一切の欲が無くて、得たものは全て、貧しい人へ受け渡した。自分が仕える人を誰よりも理解して、自分の利害は関係なしに守ろうとした。
 春雲の生き方は、なのはなで回復するための生き方と、重なっていると思いました。

 自分をこの物語に重ねるとしたら、私の宿命は、人として自立できないまま死んでいくことだったと思います。
 私が育ってきた環境には、ちゃんと生きられる道を知る術はなく、誰も助けてくれる人がいなくて、毎日が争いの真っただ中だった。あまりにも苦しくて、私は到底普通に生きられなかったし、苦しさからどうにか逃げるために、頭の中は混とんとするほどこんがらがってしまった。
 なのはなに来たばかりの頃、私の頭の中が混とんとしすぎていて、お父さんは、「今まで、どうやって死なずに生きてきたんだ?」と聞きました。死んでいたっておかしくないくらい、苦しかった。
 でも、生きたかった。ちゃんとした人間として、生きたい。その強烈な願いが、宿命を変えて、今の今まで、なのはなで回復するところに繋がっているのだと思います。

 回復するとしたら、生半可な生き方はできない、とお父さんお母さんは教えてくれました。
 私も回復するとしたら、春雲のように、大きな希望になることだと思いました。今はまだ途中だけれど、できる限り早く、なのはなの子として回復したいと思いました。
 誰かの希望になるということ、その尊さ、意味の強さを改めて、感じていけたことが、嬉しかったです。

 この本には、他にもすごく共感して、そうあるべきだな、と心に響く場面が多くありました。
「知恵も力も何もいらない。やさしさだけがあればいいんだ。大地も空も時間も、すべてを被い尽くすほどのやさしささえあれば――」
 この言葉も、なのはなのお母さんやお父さんが思い浮かぶような言葉でした。
 物語の中に、人として大切なことが詰まっていると感じられて、この本に出会えたことが、とてもありがたいことだと思いました。

 

〇ナスの撤去

 午後、はじめにあゆちゃんとみんなと、グラウンドの資材運びを行いました。
 資材は、白い丈夫なビニール製のシートのロールでした。それが山積みになっていて、中身は新品同様にきれいでした。
 あゆちゃんが、この資材は頂いたものだと教えてくれました。買おうと思えば、すごく値の張るものでした。
 なのはなのみんなで畑を繋げているということが、地域の方にも広がって、こうして「なのはなさんに」と贈ってくださる人がいるということが、ありがたいなと思いました。
 みんなでやっていることだから、地域の方に喜んでいただけて、大切に思っていただけて、その中にいられることが、嬉しいです。

 資材運びの後は、やよいちゃんを中心に大人数で滝川横、奥のナスの支柱の撤去を行いました。
 ピーマンに引き続き、エクセル線の回収、竹の回収、という流れがあり、どんどん効率よく進むようになっていました。
 道具を持ってエクセル線を巻く用意をする人、ひたすら巻いていく人、の役割で、1スパンずつ、エクセル線の回収を進めました。
 やはり、ナスの滝川横、奥の畑は広かったです。でも、15人という大人数で、心強いメンバーがいたので、作業の進みもとても早かったです。

 私は写真を撮っていました。みんなにカメラを向けると、自然とほほ笑んでくれて、声をかけると、ぱっと晴れやかな笑顔を向けてくれます。
 今日のお気に入りは、ペアで向かい合って竹を結んでいるみんなの写真でした。撮影をするととても嬉しく、幸せな気持ちになりました。

 私は5時6時の当番の都合で、途中で抜けてしまったけれど、最後にやよいちゃんや何人かの子が、まだ使える竹を綺麗に収納するところまで、進めてくれました。
 ナスの撤去は、今日で気持ちよく区切りをつけられたことが、すごいな、と思って嬉しかったです。

 撤去で残っている強敵は、ゴーヤです。
 撤去の作業は、豪快にすることができて、とても楽しくて、ゴーヤの撤去も楽しみだな、と思います。
 また作業に入ったら、素早く撤去を進められるように頑張りたいです。