「私たちの使命」 ゆりか

◆コンサートの脚本について

 大成功のウィンターコンサート本番を終えて、なのはなファミリーの家族みんなと、今まで以上に深いところでつながっているような、安心感と幸せ、充実感を、じわじわと感じています。
 コンサートが終わっても、私の使命を果たす役割は、ずっと続くのだと思います。
 今回のコンサートの内容は、自分達が本当に求めてきた、これから先ずっと生きていくために必要な答えでした。
 このコンサートの脚本を通して、お父さん、お母さんは、摂食障害をはじめとする依存症はなぜ起こるのかを、人間の起源から、人体を解剖するように紐解いて、その先に、どう生きていくかの答えを示してくれました。
 これまでのミーティングで、お父さんお母さんに教えていただいてきたことが、宇宙と人体は繋がっていたのだという大きな切り口を通して、何度もの通し稽古や、本番のステージの中で、体験として、自分の心の中に入ってきました。
 このコンサートを、お父さんお母さん、みんなと作らせてもらえたこと、たくさんのお客さんの共感を得られたことで、4~6歳の幼い頃の私が、救われる感覚がありました。

 今回のコンサートを通して、自分の中で色々と変わったことがあります。
 その1つが、私はあなたで、あなたは私なのだという感覚が、心の中に確かに生まれたことです。
 人間はなぜ生み出されるのか、愛の世界はどうやったら作れるのか、コンサートを作るためにお父さんお母さん、みんなと追求した先に、本当に大きなところで考えたときに、自分はみんなで、みんなは自分なのだとわかりました。それが究極の利他心なのだと、ダンス練習のときに、あゆちゃんが教えてくれました。

 『スカイフォール』の隊列、『リカバリー』の手の動き、『プロフェッツ・ソング』の指先、足先、表情。この3か月間、(私はみんなで、みんなは私)だと、強く濃く思いながら、前の人に背骨を揃えて、見ることはできない後ろの人がきっとここに出すだろうというところに手や足を揃えて出して、みんなと1本の糸でつながるような思いでダンス練習を積み重ねてきました。お仕事で日中の練習の時間、いない人のことも、見せるという意識で踊りました。

 間違った個性を大切にされて、自分が一番大事だと植え付けられて、我を張ってきた、自分の価値観を、あゆちゃんとのダンス練習の過程で、まっさらに直してもらいました。
 そして、透明になった心の中に、良く生きたいと切に願う気持ちや、アーティストとしての生き様、といった宝物を、あゆちゃんの伝えてくれる言葉や、あゆちゃんの表情を通して、自分達の中に、いっぱいに詰め込んでいきました。その過程が、毎回、心から楽しかったです。ずっと求めていたような世界を、あゆちゃんとみんなと作っていく、ダンス練習の時間が幸せでした。自分を作り直してもらう、大切な機会でした。

 そしてコンサート本番、みんなと、それからお客さんとも、繋がっている感覚が特に強く感じられました。
 ラストシーンで、私は下手の袖幕で、『リカバリー』のダンスの出番を待機していました。
 私たちのいる場所からは、向こう側の袖で待機をするダンスメンバーのみんなと、それからステージ上で客席に向かってセリフを伝える、小腸さんの姿が見えていました。
 小腸さんの言葉で、とうこさんが剣をかざすと、青と銀色のライトが点灯し、リカバリーしていく海馬が浮かび上がりました。その中心で、小腸さんを演じるあゆちゃんの笑顔が、女神様のように美しく、輝いていました。

 実際に客席を見ていなくても、お客さんたちに小腸さん・あゆちゃんのセリフが、スーッと染み渡っていくのを感じられました。その空気の中にいると、私自身の海馬や視床下部や扁桃体が、じんわりと癒されていくのを感じました。私だけではなく、会場にいた人たちみんなのこころが浄化され、癒されていたと思います。そのとき、4~6歳の小さい自分が、報われるような思いがしました。
 このラストシーンが、私はコンサートの中で、一番心に残っています。そのとき会場の人たちみんなとつながった一体感を、私はあなたで、あなたは私、というものとして、自分の中に強くインプットします。

 お父さん、お母さんが、今回のコンサートの脚本に、ギブソンに打ち克つための方法を、順を追って、詳しく、面白く、わかりやすく、書いてくださいました。何度も通しをさせてもらう中で、役者のみんなのセリフを通して、私の中にも入ってきました。
 損得勘定のギブソンに打ち勝つ最終的な手段は、幸せを先送りにしないで、いつも、今、幸せであること。大切な人と、小腸が喜ぶ、美味しい食事をとること。
 そして、「私たちの使命」を、持ち続けること。
 私自身が、前のめりに、いつも幸せでい続けること。損得勘定のギブソンに打ち勝ち続けること。摂食障害になり、一度は大きく躓いた私が、いまを前向きに立ち続けることで、同じ苦しさを感じている人の希望となることが、私の使命です。

◆ずっと続いていく

 ホール入りしてから、お父さんは、地球を少し回ったら、戦争が起きていて、足元は薄氷のようなもので、今回のコンサートの脚本でも表現しているように、自分達は本当に危うい存在なのだと話してくださいました。
 そのことはとても自分にも当てはまりました。日々の生活や仕事にしても、一歩間違えたら、すぐに依存に戻ってしまう、生きていけないところまでいくらでも落ちていける穴が、自分のすぐ隣にあると思いました。それは私だけではなくて、今の世の中を生きる誰もにきっと、同じ危うさがあると思いました。
 その上で、前のめりの気持ちでいきましょうと、お父さんお母さんは話してくださいました。

 とうこさんやてつおさんと同じで、私の中にも、ギブソンに仕込まれた悪い気持ちがあって、汚い自分がたまに顔を出してくることもあるけれど、自分は1人ではありません。なのはなファミリーがあります。
 コンサートに向かう日々は、お父さんお母さんみんなと一丸となって、前のめりに、前だけを見て、コンサートをお客さんに伝える=私たちの使命を果たそうと、日を追うごとに密度高く、ますます強く、思うことができました。毎回の通しを、これが本番だと思って、満員のお客さんを見て、みんなと真剣に、いいものを作ろうと、脚本を伝えようと、祈るような思いでコンサートに向かう日々は、本当に幸せな毎日でした。

 このことは、コンサートが終わったこれからも、ずっと続いていくのだとわかりました。
 コンサートが終わって、以前の私だったら感じていたかもしれない喪失感は、今は感じていません。今の心にあるのは、コンサートに向かってきたのと同じ、前のめりな気持ちです。お父さん、お母さんが、いつも話してくださるように、ギブソンには打ち勝ち続けることが必要なのだとわかりました。そのために、今目の前の幸せを大切に、いつも幸せでいます。私の使命を持ち続けていきます。

 大脳辺縁系の場面は、初めは3ページの長い場面だったのですが、途中でお父さんがセリフを削って、わかりやすく伝わるように、言葉を凝縮させてくださいました。そのため、残った一言にも、当初の何行分もの背景があったため、細部まで理解して、セリフを言うことができました。
 大脳辺縁系は、大脳新皮質のように競争したくなくて、最近では大脳辺縁系がめっきりかえりみられなくなってしまったことに、心を痛めていました。優しくありたい、よくありたいと思う気持ちで、大脳辺縁系の各部署がつながっていて、チームワークで判断をして、命を守り、情を出しています。

 そして、本能と自律神経をまとめているのが、直径1・5センチの小さな部署である、視床下部です。これは全部、私たちの脳の中で本当に起きていることでした。

 私の中で、色んな細胞たちがバイキンの取り締まりをしたり、新皮質三姉妹が判断をしたり、『オテア・ルミア』(=大脳辺縁系のチームワークによる仕事)が繰り広げられていたり、かにちゃんのような視床下部さんや、あゆちゃんのような小腸さんがいてくれて、4~6歳の思い出ファイルを管理していたり、五臓六腑の定例会が毎月ひらかれてるのだと思うと、本当に自分の存在は、何か計り知れない大きなものに生かされていて、私のものなどではない、何か生かされている使命があるのだろうと思います。

 4~6歳のとき、あたたかな家族関係がなかったこと、思い出ファイルがスカスカだということは、私にも全く当てはまりました。
 家族の中で、利他心を自分の中にインプットできる機会は、本当に1回もなかった。辛く悲しい記憶を、愛情としてインプットしてしまったのだとよくわかりました。
 とうこさんが言ったように、今更4~6歳に戻ることはできない、というのも、そのことを思うと、本当に悔しくて悲しいことだけれど、本当のことです。

 でも、今回のコンサートを通して、お父さんお母さんみんなと、お客さんと、子供の頃に感じた自分の痛みを共有できて、ギブソンに打ち克つ方法がわかりました。コンサート当日、たくさんの人たちと一緒に、幸せな今を作れたことが、大きな自信となり、幸福の信号が自分の海馬、脳弓、帯状回を駆け巡り、視床下部の愛情の中枢に、確実に伝わりました。小腸の一億個の神経細胞たち、こころの皆さんも、このコンサートを通して、みんな納得してくれたと思います。

 コンサートという長い旅を終えて、とうこさんたちと一緒に、自分達の中の傷んできた部分が、確かに回復していくのを感じられました。こころが癒されていくのを感じました。
 お父さん、お母さん、みんなと作らせてもらった、このコンサートの過程を、愛情の形として、自分の中に確かにインプットすることができたことが、本当にありがたくて、幸せです。

 

◆コンサート準備期間・ダンスについて

 今回、大人数ダンス7曲を、踊れる人全員で踊りました。お仕事組さんの人数もこれまでになく多かったし、ダンスが得意な人ばかりではない中で、これまでのコンサート史上、最も多くの数のダンスを、全員で踊りました。
 9月に振り入れをする前の時点で、ダンスメンバーを相談させてもらっていた時に、あゆちゃんが、「ダンスを得意とする人だけが踊るのではなくて、みんながダンスを通して成長する機会を持てるようにしよう」と、話してくれました。
 そして、「今回のコンサートで自分達が何を得たいのかの予測を立てて、お父さんの脚本を待つことが、横の関係」だと、あゆちゃんは教えてくれました。
 そのことを思ったときに、今回のダンスは、本当に大成功だったと思います。

 ダンス練習の過程を思い返していて、私は一番に、ほしちゃんの姿が思い浮かびます。
 ダンスがうまいとか関係なくて、毎日心から楽しそうにダンスを練習して、小さな練習を積み重ねて、昨日より今日、少しでもよくなる努力をして、ダンス練習やバディ練習の時に、なのはならしい空気を、ずっと一緒に作ってくれたなと思います。
 ほしちゃんは、練習でリーダーさんから個人的に指摘を受けることも多かったけれど、素直に受け止めて、個人練習をして、少しずつできるようにしていました。
 バディ練習にも、全体練習にも、ほしちゃんは真っ先に来ていました。いつも今を楽しそうに、一生懸命に練習するほしちゃんの姿があって、私も元気をもらいました。

 私は、『プロフェッツ・ソング』のバディやコーラスバディなどが、ほしちゃんと一緒でした。
 バディのみんなと一緒に、一生懸命に練習した時間が、すごく興味深く面白くて、楽しくて、自分の自信になり、糧となっていったことを感じました。
 言い訳とか、不満とか、出そうと思ったらいくらでも出せる中で、そういった不満を一切見せずに、いつも楽しそうに、みんなとダンスを踊る面白さを追求して、昨日より今日、ほんの少しでも進歩していく姿が輝いていました。

 自分達の新しい価値観(生き方)を、自分達の心の中に積み重ねていく、あゆちゃんとのダンス練習、そして、ダンス部ののんちゃん(たかおさん)が、いつも淡々と前向きに、粘り強くダンスに向かっていた姿。23時までの時間を使って、お仕事組さんの練習を進めてくれた、なるちゃん、ふみちゃん。たくさんの家族、仲間と一緒に、コンサートを作ってきた過程が、自分がこれから生きていくときの指針、これからのスタンスとなって、自分の中に確かに作られたことを感じています。お父さんお母さん、あゆちゃんとみんなと、コンサートに向かった過程が、インタレスティングの楽しさで、毎日充実していました。

 『ビューティフル・ピープル』を踊る気持ちを、お父さんやあゆちゃんが話してくださったときに、フラダンスやタヒチアンダンスは、大脳辺縁系的な踊りなのだ、ということが、今回わかりました。このこともすごく嬉しかったです。
 長いことなのはなでフラダンスをみんなと踊ってきて、笑顔で踊るフラダンスがなのはなにぴったりで、全員で踊るととても幸せな豊かな気持ちを、理屈でなく体感してきました。それは、大脳辺縁系の踊りだったからなのだとわかりました。

 『ビューティフル・ピープル』は、大脳新皮質で考えている人工的、計算的なビューティフルにならなくていい、私たちの仲間になりたい人はこちらへどうぞという気持ちで、なのはなのコンサートらしい明るさ、楽しさ、計算のないビューティフルさを出すと、お父さん、あゆちゃんは、話してくれました。

 そして、『オテア・ルミア』は、まさに大脳辺縁系を表現する踊りでした。辺縁系の色んな部署がつながりながら一つのことを決定している、辺縁系の仕事風景を、理屈を超えて、原始的なリズムで、ほのぼのとした感じを、身体中で表現して、踊りました。
 『オテア・ルミア』を踊り始めた時には、この振り付けの意味を感覚的にしか掴めていなかったのですが、今回のコンサートを経て、『オテア・ルミア』という踊りの振り付けや構成、表現している内容を、今回、手に取るように理解して、言葉にすることができました。
 『オテア・ルミア』は、一言で言えば、命を守り、情を出す、ということを表現している踊りなのだとわかりました。
 振り付けには、喜び、悲しみ、怒り、やる気の感情表現が、激しくほとばしるように出てきます。大脳辺縁系の各部署がつながっている様子を、バンドメンバーはリズムを奏で、ダンサーは踊り、幾重にもパートが移り変わっていく構成は、まさに大脳辺縁系の働きそのものでした。

 『オテア・ルミア』は、一筋縄ではいかない踊りで、全ての動きをコントロールして踊れるようになるために、長い期間が必要でした。『オテア・ルミア』は、このコンサートの大脳辺縁系のための曲で、今回踊るために、みんなと習熟してきたのだと思いました。
 このことがわかったことも、自分にとって大収穫でした。最大限の気高さ、大きな誇りを胸に、自分ではない何者かを演じながら、みんなと踊らせてもらえたことで、自分自身がどんどん元気になっていきました。自分の感情のすべてをさらけ出して、仲間とともに生きている! という思いを、強く、感じられました。コンサートで演じさせてもらえたことが、ありがたくて嬉しかったです。

◆最善を尽くした

 コンサートが終わって、ダンス部のまとめをしていた時に、メンバーの人たちから、今回のダンスは、全ての大人数曲で、スプリングコンサートの時の、例えば『ホーリーウォーター』の時のように、手の動き、足の動き、目線まで、ミリ単位で揃えることはできなかったと思う。そのことをどう思ったらいいのか。どんな質を目指したらいいのか、という質問が出ました。
 私は、その場でもみんなに話したのですが、お父さんお母さんのお話を聞かせてもらったり、自分の実感としても、今回のコンサートは本当に大成功で、全てがよかったし、お客さんにひしひしと伝わったことがわかりました。

 私たちは、限られた時間の全てを使い、精一杯を尽くして、毎日欠かさず、真面目に、真剣に、真摯に、ダンスの確認、全体練習、バディ練習、個人練習をしてきました。コンサート全体を通しても、ほとんどの人がセリフをいう役者を演じたし、台を出したり衣装の着替えをしたり、空いている人はほとんどいないくらいに、全ての場面で高い緊張感で、役割を果たしました。

 その時に、ダンスをミリ単位に揃える時間が完全ではなかったり、あゆちゃんとの大切なコーラス練習の時間が、全ての曲で取れていなかったとしても、荒削りであったり、未熟な部分もあったかもしれないけれど、私たちは全てを見せることができたし、その危うさにも見る人を惹きつけて、感動させるものがあったのではないかと、お父さんの、「歌手の小柳るみこさんがデビュー曲のレコーディングをしたとき、歌いなれていない1回目の歌がレコードになった」というお話を聞かせてもらっても、思いました。

 以前の私であったら、全て完璧に揃えられなかったことを、悔しく思う気持ちがあったかもしれません。しかし今回は、全く残念な思いはありません。私たちは最善を尽くし、全てやりきったし、ダンスもすべて素晴らしかったと思いました。何よりも、みんなと気持ちを揃えて、濃く凝縮した気持ちを、強く前に出して踊れたと思いました。
 あゆちゃんが9月の時点で話してくれた、みんなにダンスを踊る機会がたくさんあって、成長する機会を作れたらという目的も、とても達成することができたのではないかと思います。だから本当に、今回のダンスはよかったと、胸に落とし込みます。

 お父さんやあゆちゃんは、いつも私に、このことを教えてくれていたのではないかと思います。私は、ともすると汲々としたり、みんなを追い立てたり、自分の首を絞めることがありました。
 しかし、今回、その時の自分達にできる精一杯を尽くした上で、なのはなファミリーの私たちだからこそできる、伝わるダンスを踊るということの本質がわかりました。このことを、これからもずっと持ち続けたいと思います。

◆コンサート当日のこと

 今回のコンサートほど、通しのたびに綱渡りだったコンサートは、これまでになかったです。踊れる全員でダンスを踊り、コーラスに出て、演奏をし、役者をしていたので、全員が綱渡りだったのではないかと思います。
 通し練習のたびに、毎回、最大限の集中力を使い果たしました。ホール入りしてからも、たくさんあるダンスの振り付けや、着替えの流れ、演奏のパート、セリフ、お父さんお母さんみんなと統一したことの一つひとつが、自分の中からこぼれ落ちてしまわないように、集中力を切らさないようにすることに、個人的にとても必死でした。毎回の通しを本番だと思って、満員のお客さんを意識してやってきたので、張り詰めたような思いがずっと続いていました。

 しかし、コンサート本番が幕を開けると、お客さんの拍手や空気が、本当にあたたかいことを感じられました。ダンスも演技も、非常にやりやすかったです。これまでの通しの中で、一番、本番はかけがえなく楽しかったです。ステージに立たせてもらっていて、お客さんに共感してもらえる感覚、会場が一体となっている空気の中で表現させてもらえることが、誇らしくて、うれしい気持ちで胸がいっぱいでした。お客さんに受け止めてもらう中で、精一杯を尽くして気持ちを前に出して、踊り、歌い、演技をしました。そしてお客さんと私たちとの間に、このコンサートの大成功があったと思いました。

 コンサート前半、特にお客さんの心を掴んだ! と思ったのは、『インビジブルマン』が終わったときのお客さんの驚きの吐息の漏れるような空気と、大きな声援、拍手が聞こえたときです。そこから、『エンジェルズ』『プロフェッツ・ソング』『ドラムライン』『アライブ』、アンサンブル曲、『インマイライフ』『ビューティフル・ピープル』など、それぞれの曲のお客さんの反応が、あたたかかったり、驚きのこもったものだったり、自分達の背中をそっと押してもらうように、応援してもらっている感覚もありました。
 演技のセリフも、お客さんの中に吸い込まれていくようで、ただただあるべき言葉が、自分を媒体にお客さんのもとへ届いていく、という感覚があって、緊張したり上がったりということが今回ありませんでした。

 コンサートが幕を閉じたとき、自分たちの総力でお客さんに伝えきった、という達成感があって、感動で胸がいっぱいになり、涙が出ました。
 お父さん、お母さん、あゆちゃんとみんなと、美しい舞台背景を振り返って、しばらく眺めました。カラフルな細胞をイメージした飾り付けや、大竹さんが作ってくださった胎児の影絵、蛍光塗料を塗った切り株など、今までになく、明るくて、綺麗な舞台でした。

◆たくさんの方々の支えの中で

 大竹さんがコンサート2週間前からなのはなに滞在してくださって、胎児の影絵や、ミミズのような生き物などの制作をしてくださって、ホール入りしてからは、照明の調光卓に入ってくださいました。大竹さんが、誰に対しても丁寧に優しくて、明るく前向きに仕事をされているご様子から、大竹さんの透明感や、人としての謙虚さがとても伝わってきました。大竹さんがコンサート前のなのはなファミリーにいてくださることが、ありがたくて嬉しかったです。

 本番前には、正田さんが写真・ビデオ撮影のために帰ってきてくださいました。正田さんがなのはなファミリーを変わらずに応援してくださること、すぐに私たちの中に溶け込んでくださって、自分達の仲間でいてくださるのだなと思って、そのことも、とても嬉しかったです。

 カメラマンの中嶌さん、岡さん、ホールの竹内さん、高木さん。たくさんのダンスの振り付けや指導をしてくれた卒業生ののんちゃん、ダンスを踊ってくれたかりんちゃん、しほちゃん。コンサートのために帰ってきてくれたたくさんの卒業生の人たち、なのはなファミリーの大家族のみんなと、コンサートを作らせてもらえたことが幸せでした。

 りゅうさん、ひでゆきさん、あゆみちゃん、たけちゃんと、一緒にステージに立たせてもらえたことも、嬉しかったです。コンサートが終わったあとの夕食のとき、ひでゆきさんが今の気持ちを一言で表すと「青春」ですと、話してくださいました。その言葉が本当にその通りで、嬉しくて、面白くて、みんなと笑いあえたことも、本当に幸せな気持ちがしました。

 コンサートの通しが終わると、あたたかい食事を用意してくれている方たちがいてくれて、すぐにおいしい食事をいただくことができました。小腸が喜ぶ美味しい食事を、家族のみんなと食べさせてもらえることが、ありがたくて嬉しかったです。
 たくさんの方たちに支えてもらって、今回のコンサートを作らせてもらえたのだと思います。
 なのはなファミリーコンサートの一部として、なのはなファミリーの一員としていられることが、自分にとって本当に得がたいことだと思います。

 ここに書いたことをしっかりと心に刻み、これから先の人生も、このコンサートがずっと続いていくように、前のめりに、私自身がいつも幸せでいることで、まだ見ぬ誰かの希望となれるように、私の使命を果たす生き方をしていきます。
 ありがとうございます。