「生きる道を見つめて」 あんな


◆私たちのバイブル

 2022年ウインターコンサートは大成功でした。2週間前から滞在してくださった大竹さんをはじめ、正田さん、あきこさん、卒業生のさきちゃんやその知り合いの方や、卒業生の何人か、ホールの竹内さん、プロカメラマンの中嶌さん、他関係者の方、多くの方が集って、なのはなのコンサートが成立していて、自分がその大きくて暖かい人の輪の中で、コンサートを作る1人として存在していることが、得がたくて、有難いことで、幸せで恵まれていると思いました。

 ダンスの振り付けは、卒業生ののんちゃんが継続して、何度かなのはなに来てしてくれて、当日も『エンジェルズ』で踊ってくれました。
 まえちゃん達が手がけてくれた舞台背景は、海馬や細胞やシナプスや唇などが象徴的に表現されて、斬新で、なのはならしい感じがしました。照明や音響も、進化していることを感じました。

 今回の脚本はスプリングコンサートの続編で、宇宙と人体というテーマでした。
 スプリングコンサートでは、人間の美しい心を生み出すためにこの宇宙が何者かによって作られたということ、空しい人生の中でできることは足元の幸せを見つめることがすべてだということ、宇宙は愛でできているということを、ソロモン王やアインシュタインの手紙で、お父さんが脚本を書いてくださって、表現しました。

 今回、なぜ自分たちが依存症になったのか、どうして生きにくさを抱えてしまうのか、そしてどうしたら回復していけるのか、というスプリングコンサートからさらに一歩踏み込んだ、私たちにとっての核心に迫った内容でした。

 前回もそうでしたが、今回も脚本ができたとき、
「この脚本は、お父さんが、みんなのために書いてくれた脚本だと思うんだよ」
 というお母さんの言葉がありました。最大限に生みの苦しみを味わいながら脚本を手がけてくれるお父さんの愛情を感じました。これは、一人一冊持ったらいい、バイブルのようなものだと思うと、お母さんは言いました。

 初めての脚本の読み合わせのとき、その時はまだ脚本が未完成の状態でしたが、お母さんが是非みんなで読み合わせをしたらいいと言ってくださって、リビングに集い、どきどきわくわくした気持ちで、脚本の読み合わせをしたことを覚えています。

「愛情の思い出ファイル」という言葉、細胞が生き生きと喜んで仕事を果たす姿、損得勘定のギブソン、小腸に心があったという驚き。そして、自分たちが苦しむことになった仕組みが、とてもわかりやすく、描かれていました。愛情の思い出ファイルなど、わかりやすく優しい言葉に、お父さんの優しさを感じました。


◆愛の世界を実現していくこと

 脚本が完成し、視床下部の話、新皮質と辺縁系の戦いのこと、ギブソン側にまわったとうこのシーン、ルカのシーン、とうこの心変わりのシーン、ギブソンを追放するシーン、小腸の話、それらが組み合わさって、緻密で綿密な、今の世の中への答えが凝縮された脚本でした。回復するということは、愛の世界を実現していくこと、ギブソンに負けない方法は、小腸を喜ばせること、今を楽しむこと。

 お父さんは、「毎回、同じことを言っているんだけどね」と言います。
 足元の愛を見つめること。人間は虚しいところから生まれて、また虚しいところに帰っていく、その中でできることは何か。虚しさを嘆くことではなく、今を生きることーー。脚本の中のソロモン王の言葉と、小腸さんが言っていることは、同じことでした。
 そして、私たちは愛の世界を作るということ。今回のコンサートでは、「使命」という言葉がありました。

 とうこさんは私だと思いました。
「私は利他心がなければならない、とずっと自分に言いきかせてきた。
 そうでなければ、本当の幸せは得られないし、世の中をみんなが楽しく暮らせるようにはできない、とーー。
 でも……。私には、自分の欲が消せないって思った。
 私は、いつも汚いこととか、ずるいこととか、ふと心に浮かんでしまう。
 心のきれいな人間になろうと努力してきたけど、なかなかなれない。
 ひょっとして、私は悪い人間に生まれついているんじゃないか。
 利他心をもった良い人間になろうとしても、無駄なんじゃないか。
 だとしたら、持てない利他心を持とうとして、いつまでも苦しいだけだ。
 みんなを見ていて、どうしてもそう感じてしまう自分がいた」

 私は身を切られるくらいに、そう感じてきました。この部分を読んだり、通しのときに聞いていても、いつも涙が出てきます。これはお父さんが私に向けて書いてくださったのではないかと思うくらい、自分のことでした。そして、お父さんがくださった答えは、ルカが渡した、「あなたの使命」でした。

「そうか、私には私の使命があったんだ、もう迷わない」
「どんなに苦しくても、自分の使命を果たそう、とーー」
 とうこさんの言葉は、私の気持ちとなって、私を身体ごと固定してくれるようでした。

 お父さんが、
「脚本はお父さんが書いているのではなく、神様が書かせてくれているので、このときのとうこにルカが何かを渡したけど、はじめは何を渡したのかわからなかった。あとから「あなたの使命」と書いてあったことがわかった」
 ということを、言葉は違いますが話してくれたことがありました。

 私には、私の使命がある、確かにある、だから、苦しくてもいいのだ、苦しくても他の道はないのだ、そして、この思いを持っているのは私だけではない。とうこがそうであり、てつおやたかおが『いちご白書をもう一度』の場面で言うセリフにもあるように、誰しも、聖人君子ではない。そのことを心強く思いました。
 利他心、利己心の度合ではなく、使命を果たすかどうかが問題なのだ。そのことに思い至ったとき、自分を許せるような気がしました。生きている意味を見いだせる気がしました。


◆使命感の前では

 利他心と利己心の程度、利他心をどれくらい持っていたらいいのか、利己心がどれくらい罰で排斥すべきものなのか、そういう問題は、使命感の前では問題にならない、それを越えた次元なのだと、お父さんは話してくれました。また、
「どちらにもなりきれないから、苦しい。同じ苦しくても、利他心には希望がある、利己心には希望がない」
 ある日の集合での、お父さんの言葉が心に残っています。本当にそうだったと。利他心になろうとしてもなかなかなれない、苦しい。だから利己心で生きてやれと思っても、利他心にもなりきれない、苦しい。そして、症状に絡めとられていく。

 希望があるのとないのとでは、まったく違う。希望があるから生きられると思いました。
 このシーン、この言葉は、私にとってとても大切なものとなっていて、この気持ちを忘れてはいけないと切に思っています。

 私の愛情の思い出ファイルはスカスカ、立て直すのが難しい。そのことも、一緒で、これは私だけではない、おそらく、なのはなの中にも、世の中を見たら本当に数えきれないくらい多くの人が、そうだろうと思います。
 自分1人ではないということに、勇気を得る思いになります。

 ホール入りして何日目だったか、お父さんお母さんのお話がありました。今、ウクライナの戦争も終わっていない、今この瞬間にも、戦火の中で死んでいく人がいるのだということ。また、先日も50代の男性が両親を殺したというニュースがあったと。

 私は、今、なのはなファミリーにいて、答えがあって、仲間がいて、コンサートで世の中に伝えるという意味あることの中に存在していて、そのことが、本当にあり得ないくらいに得難いこと、恵まれていると思いました。
 これだけ恵まれた状況にいるということは、その状況の上で、果たすべき私の役割があるということなのだろうと思いました。自分に課された使命は、世界中、世の中の、一人ひとり違っていて、戦火で命を落とすのも使命なら、なのはなにたどり着いて世の中を変えていくことも使命なのだろうと思いました。

 十数年前のある日、19歳の少年が父親を殺したという全国ニュースを衝撃的に見た覚えがあります。今、そのような事件には驚かなくなりました。あまりにも多すぎて、ニュースにもならない世情。
 脚本の中にもあるしお父さんが話してくれる中にもあるように、出生率が、激減しているということ。結婚する人が激減しているということ。このままでは日本が滅びていく方向にいっているという現状。そして、そのことを改善できずに、右肩下がりが悪化していくのを、食い止めることができない。
 そういう危うい、生きにくい、苦しむ人が多い時代に、自分がいるということ。そのことを、改めて感じました。

 少なくとも、良い、悪いをはっきり持てるようでありたいし、まず自分がしっかりと回復して、少しでも世の中を良い方向に、宇宙を作ったものの意志に沿った、それに適う使命の果たし方をして、空しいところに帰っていきたいです。

 私にはお父さん、お母さん、仲間がいるということ。これは当たり前のことではなく、つい、当たり前のように思えてしまうけど、決して当たり前ではないということを思いました。

「明日の保障はない」とお父さんが話してくれたことがあります。今日と同じように明日が来るとは限らない。今日、ゲネプロをして、何かの事情で、明日は自分に来ないかもしれない、と思いました。今日が、通しができる最後かもしれない。

 そう思うと、改めて、今を大切に、目の前の人と一緒に表現できる幸せを感じて、楽しんで、一つひとつをやりたいと思いました。
 そう思うと、心が伴わないで何かをするとか、無理するのではなく、悔いのない精一杯をやったらいいように思いました。
 この気持ちを持続して持つことは、難しいけれど、忘れたくないです。


◆開演して

 本番は、あっという間に過ぎていきました。
 スタンバイの幕の内側で、お互いの緊張感が伝わってきました。幕が開くと、お客さんが入った客席が見えて、とても暖かい空気と目で見てくださっているということを、肌で感じました。だから、表現という面で気持ちを出しやすかったです。

 『スカイフォール』で私はゲネプロのとき、トランペットのチューニングが、スタンバイのときに狂ってしまうということがあって、音に関して少し不安で気を遣っていて、音(ピッチ)が合っているのか、ということにほとんどの神経を使っていて、一番これまでのベストでというか、パーフェクトに吹けたわけではないけど、そのときできる全力でやりました。
 
 2曲目『ビリーバー』のコーラスは、ギブソン側の笑顔で、思い切りお客さんの前で、顔と振りで表現して、楽しかったです。ダンサーのみんなの気迫を感じたし、コーラスも一体となっているのを感じました。

 3曲目の『インビジブルマン』では、あけみちゃんがアルトコーラスの近くで踊っている箇所で、いつもその気迫や、全身で全力で表現している強さを感じてきて、本番も感じました。4曲目以降も、それぞれの曲で表情を作って、見せる側に立って、全力で表現するのが楽しかったです。お客さんが見てくれていると思うと、とても気持ちが入りました。

 結婚年齢が上がっているというシーンなどで、役者のみんなのセリフに笑い声が起こっていたりして、お客さんに面白さが伝わっているのを感じました。
 お父さんや、役者のみんなが、「本番は役になりきって、楽しんでやっていた、それがお客さんに伝わるのを感じた」ということを、あとから話してくれました。
 
 すべての曲が、これで最後になってしまうんだなと思うと、本当に精一杯でやりたいと思いました。これまで、みんなで何度もたくさん練習してきて、それが今日の表現に向けてであったことを思いました。

『オーバーパスグラフィティ』では笑顔全開で、間違っても、とにかく表現するということに専念して踊りました。

『シード』『プロフェッツソング』は一番よく踊れたと思ったし、お客さんの視線を感じながら、気持ちが乗って、全力で一番いい踊りができました。
  どの曲も、終わったときの、お客さんの拍手が、どれも暖かく感じました。


◆自分たちだから持てる凄み
 

 練習で、あゆちゃんがダンスやコーラスを見てくれるとき、その曲に込められた意味や想い、自分たちはこう生きていきますということ、高いモラルや理想を表現するということを、よく話してくれました。

『プロフェッツソング』ではテーマが「崇高な秩序」、他の曲でもそうですが、「みんなと一体化すること」「気持ちを揃える」ということを、何度も何度も言ってもらいました。
 私たちは、個人技ではなく、みんなで揃っている、揃えようという気持ち、お互いに感じあう気持ちで見せるのだということ、それがプロには出せない自分たちにしかできない凄みになるのだと、何度も話してくれました。

 自分とみんなが一体化する感覚というのは、感覚を研ぎ澄ませたり、表現する側に立つと、自分が立ち直ることに対して強い気持ちを持てばできることで、そうでなければできないことでした。だから、練習のとき、なかなか揃わなくて、いつまでも揃わなかったときもありました。
 気持ちが揃っていないと揃わないし、気持ちがないと、表情が作れませんでした。何を表現したいのか、それがないと、ただ運動をしているだけになってしまうことも、何度も言ってもらいました。
 気持ちとか、心というのが、どれほどダンスや表現にとって大きな要素かということを思いました。

 コーラスの出捌けでは、気配を感じないと、何度やっても揃いませんでした。そのとき、あゆちゃんが涙ながらに、自分たちがお客さんを楽しませる、自分たちを見て、という気持ちで楽しませられるということが、そのまま自分の回復に繋がるのだということ、それは将来自分の家族になる人を楽しませられるようになるっていうことなんだよと、話してくれました。
 本番では、曲の気持ちになることや、振りとか、パーフェクトにできたわけではなかったけど、その積み重ねがあってこその本番でできたパフォーマンスだったと感じます。

 また、お父さんがゲネプロの前日の朝、話してくれました。
 今の平和は、薄氷の上の平和であるということ。アウシュビッツの当事者だった人の話を例に、人間の振れ幅はものすごく大きくて、状況によってはあまりにも酷いことができる、鬼にでもなれる。前のめりによく生きようとしなければ間違ったほうに落ちてしまう、それはみんな、誰もがそうだということ。
 自分たちは依存症という薄氷の上にいる、それでいて笑顔で表現すること、それが凄みになる。それで間違ったり失敗したとしてもいい。その心意気が成功をさせる。

 ステージでは、昨日できたからと前のめりになっていなければ、停滞してしまって、よいものにできない。評価を恐れて、自分を守りながらするダンスや演技は、面白くない。どう思ってもいい、どうやっても、間違いではない。一番いけないのは、どうしようかなと迷いがあること。
 自分から離れて、全開で気持ちを出したいと思いました。
 そんなふうに、自分たちにしかできない表現、自分たちだからこそできる表現があるということを、古吉野の練習のときから、何度も心に入れながら、本番まで練習してこれました。


◆ブラッククイーンの顔

 古吉野での練習のときから、ブラッククイーンの練習のときなどに「あんなちゃんの顔が上手い」とあゆちゃんに言ってもらうことが多かったです。私はなぜだか、ブラッククイーンの表情は、とてもやりやすくて、気持ちを作りやすくて、なりきりやすくて、踊っていても楽しくてたまらないような曲でした。それは、『ビリーバー』と、アンサンブルの『ギャロップ』のときも同じで、ギブソン側であったり、悪そうに目を光らせてニヤッとした笑顔なのですが、特にやっていて楽しい曲でした。

 また、ホール入りした翌日だったか、気持ちが保ちにくいと感じた日があって、その朝、あゆちゃんにどういう心持でいたらいいか相談したことがありました。そのとき、あゆちゃんが言ってくれました。

「『ブラッククイーン』とか『ギャロップ』の笑顔でいたらいいと思うよ。あんなちゃん、すごく際立って、魅力的で、可愛いから、みんなをお客さんと思って、みんなに見せる、演じると思えばいいんじゃないかな」
 あゆちゃんの笑顔と言葉がありがたかったし、そう思うと自信が持てて、その3曲のたびに気持ちが立てなおって、強くなる気がしました。

 ホール入りして3日目、コーラスの出捌けの練習をしているときも、
「あんなちゃんの顔、みんな見て。こっち(ソプラノ側)が暗く見える。あんなちゃんが(アルト側)輝いてるから」
 と、あゆちゃんがみんなに言っていたり、『ギャロップ』でも「あんなの表情いいなぁ」とお母さんに言ってもらうこともあって、みんなの顔見本になることも多く、嬉しかったです。
 本番でも、思い切り、気持ちを存分に出して、お客さんに届いていることを、魅力的で劇を効果的にする一部になっていることを自覚しながら、演じるのが、楽しくて、満たされるような時間でした。


◆アンサンブル

 私はアンサンブル演奏に今回、5曲、演奏させてもらいました。
 アンサンブルにはこれまでのコンサートでずっと憧れていて、さとみちゃん、あゆちゃんはじめ、管楽器のメンバーと、アンサンブルが演奏できることが、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 今回のアンサンブル5曲は、私にとって、難易度がちょうどよくて、自分の精一杯で練習してぎりぎり良い演奏ができるかどうか、という線だと感じていました。本番には、吹き損じは少しありましたが、表現という面で、今の自分のできる最高のパフォーマンスができたのではないかと思います。
 今回のアンサンブル演奏を通してトランペットに触れる(練習する)時間が多くなって、トランペットのことがより好きになったし、楽しくなりました。

 また、これはホール入り前ですが、『遊び歌』でメロディラインではないところを、力を加減して吹くと擦れやすいということをお父さんに相談したところ、シルバーのトランペットで思い切り吹いたらいいと教えてもらって、シルバーで『フェアリーストーリーズ』3曲を、その他の曲をラッカーで吹くことにしました。2つのトランペットの吹いた感じや音色の違いを感じることも、新鮮で、楽しかったです。

 シルバーのトランペットにしてから、あゆちゃんや、さとみちゃんとか、他の人にも、「シルバーのトランペットの音色が素敵だね」とか、「ソプラノサックスとの絡みがいいと感じる」と声をかけてもらうことが何度もあって、自信が持てて、演奏がより楽しくなりました。

 また、ラッカーは、これまで使っていたトランペットから、別の6番で型番が始まるプロ仕様ののトランペットを使わせてもらうことになって、それはとても音色がよいのですが、音がきちんと当たっていないと特に高い音が出にくいという特徴があり、的確に当たったときだけ素晴らしい音が出せるというふうで、それがとても興味深くて、楽器の質の違いや、気難しさのようなものも感じて、愛着が湧きました。

 アンサンブル演奏では、他の楽器と音が重なって曲が生み出されることが、嬉しくて、心地よくて、いつも幸せな時間でした。本番では、5曲とも、吹き終えたとき、これまでで一番、満足した笑顔で、堂々と捌けることができました。アンサンブルの楽しさや嬉しさも、お客さんに届けられたのではないかと思います。


◆頭頂葉

 大脳新皮質のシーンで、頭頂葉をさせてもらいました。
 役を演じられるのが嬉しくてたまらなかったです。前頭葉のまなかちゃん、側頭葉のみつきちゃんと一緒に、試行錯誤しながら、バディ練習をしました。
 ホール入りしてから、細胞などの役者にキャラクター付けをするのをお父さんが見てくれて、「お前たちの親分は誰だ?」と言われて、「ギブソン、ですか?」と言ったとき、ああ、そうかギブソン側だったんだと、気づきました。

 それから役が作りやすくなりました。これまで、偉そうに、無機質な感じ、冷たい感じ、AIみたいなふうに、とイメージしていて、何となくしっくり演じられていない感じがあったので、嬉しかったです。  

 そして、それぞれお父さんが見てくれて、頭頂葉のセリフの中では、「芸術家でもあり作家でもあるという、才能ある存在ですかね」のところを「でぇすかねえ~~~」と言ってみてとお父さんが見本をしてくれて、それが面白過ぎて、その場にいた人で笑いました。それから「たーーーーいへんですよ」と、甲高く「そんなとこ」を言うということで、言ってることがまともなようでおかしな感じとか、偉そうな感じが出せるということで、主にその3点の言い方を練習しました。
 その練習が楽しくて仕方がなくて、お父さんの見本を再現しようとするけど、なかなか到達できなくて、なんだか上ずってしまっていると感じがして、2日くらい練習したり考えたりしている中で、本当に自分に酔って自慢に思っている芸術家気取りのバカの気持ちにならなければ、本物の、「でぇすかねえ~~~」は言えないということに気づき、そう思ってやると、うまく言えるようになってきました。

 そして、本番は、一番上手くできて、それというのも、自分から離れて表現する気持ちだけでなりふりかまわずやったからだと思います。その感覚が心地よくて、お客さんの反応とか、特に笑いとかはなかったけど、言いたいこと(頭頂葉の気分や、働きなど)はちゃんと伝えられたし、満足感があります。

 まなかちゃん、みつきちゃんと、見合いながら練習することも何度かあったのですが、2人の演技も1日~2日で大きく変わったり、面白くなっていて、劇がそんなふうに進化してより面白く、伝わりやすくなっていくのが嬉しかったです。本番前の練習の期間ですが、お風呂や車の移動のときなどにも、「でぇすかねえ~~~」がよかったと声をかけてくれる人も結構いて、みんなでお互いに嬉しい気持ちを共有したり支えあうような空気に励まされました。


◆自分たちが伝えたいこと

 大竹さんが作ってくださった、ミミズのような生き物や、視床下部の図がとても効果的でした。視床下部のシーンで、袖でスタンバイしながら見ているとき、かにちゃんが、一つひとつの言葉を、本当に大切に大切に言っているのを、とても感じました。

 やよいちゃん扮するとうこさんが、ギブソンを、
「この反愛情大王ギブソンとその手下どもが、二度と地球に現れないように、宇宙のかなたにつれてゆけーーーー!」
 と叫ぶセリフが、気持ちが溢れていて、気迫と強さに溢れていて、はっとしました。自分たちの気持ちを代表して、やよいちゃんが言ってくれた言葉の強さが、心に響きました。

 小腸さんの話があって、最後の曲、『リカバリー』に出ました。
 最初の振りで顔を上げたとき、目の前のりんねちゃんの表情が、あまりに綺麗で、目が澄んでいて、ああ、私もそういう顔で踊ろう、と思いました。もっと凛と笑顔で、お客さんに伝えなければと思いました。

『リカバリー』のダンスは、のんちゃんが振り入れしてくれました。流れ星のように、めまぐるしく踊る人やホーメーションが変わっていく、美しく力強いダンスでした。私は、途中で、やよいちゃん先頭の3角形で踊るグループに入っていて、その振りが、なかなかできるようになりませんでした。何度練習しても練習しても、全然うまくできるようにならなくて、回転のあとがどうしても遅れてしまって綺麗に回ることができなくて、でも、自分が揃って踊ることができなければ質を落としてしまうと思うと、諦めるわけにもいかないけど、上達しない、という状態でホール入りしました。ホールに入って2日目くらいか、その振りが、遅れずに踊れるようになった瞬間がありました。間に合った、と思いました。

 本番では、やはり、そこの振りは、これまでで一番良い踊りができたと思いました。それは、お客さんがいて、気持ちを思い切り出せたからだと思います。悔いがない踊りが自分としてはできました。

 みんなで一体となって作るダンスが、濃密で、みんなの気持ちが全開に出ているのを感じ、最後のサビの振りのとき、ずっと色濃く感じていました。
 幕が下がったとき、これが感動というのか、何も考えられなかったのですが、何とも言えない感覚でした。


◆コンサートを終えて

 コンサートで、私は多くの人が感じているような感じ方ができていたのか、あまり自信がないと思いました。しかし、客席とステージは一体となっていて、客席が感動していたらステージが感動しているということで、その中にいるということは、感動しているということで、その感覚を「感動」と受け取ったらいいのだと、お父さんから教えてもらいました。 

 コンサートを作る過程の中で、それぞれが得るものがあって、殻を破ったり進化したりできたというお話があったし、みんなといる中で、そのことを間近に感じてきました。
 その中で、みんなと作り上げる中で、私も進化していると思いました。