「なのはなのみんなとの物語」 みつき

 ふしぎな時間でした。
 長いのか、短いのか。気がついたら、たくさんの仲間と笑い合いながら、夕ご飯のハンバーグをほおばっていました。
 ここまでのわたしの物語を、書きます。

 

◆わたしたちのための脚本

 前回のコンサートの続編で、今回のウインターコンサートのテーマは、「人体」。
 脚本を読み合わせしたとき、それが確かに、わたしの全身に響いたのがわかりました。
「お父さんが、みんなのために書いたんだよ」
 最後に、お母さんがそうおっしゃってくださいました。
 この脚本は、脚本だけれど、脚本ではなかったです。
 わたしたちそのものでした。わたしたちの求める答え、お父さんお母さんが教えてくださることがぎゅっと詰まった、お父さんお母さんの欠片のような、わたしたちの欠片のような…。魂と言ってもいいような脚本でした。

 わたしたちがなぜ依存症になってしまうのか。どう生きていけばいいのか。「人体」にスポットを当てることで、本当に根っこの部分から、知ることができました。
 誰もが例外なく持っている「思い出ファイル」。4〜6歳のころに傷つけられたり、愛情のない思い出を記録してしまうと、生きにくさを抱えるようになり、依存症を発症してしまいます。

 自分自身の過去を振り返ってみると、わたしは摂食障害になってこそ生きにくさを自覚したけれど、それまでは、自分自身がわからなかったです。
 なぜこんなに苦しいのか、寂しいのか、「生きにくさ」がわからなくて、今の世の中では、病気にはならなくても、こういう思いを抱える人が、溢れているのだろうなと感じました。

 もとは1本の筒だったものが進化して、いくつもの細胞から構成される自分の身体。その細胞ひとつひとつに心がある。今生きている、自分の身体がどんなに尊いか、みんなの身体がどんなに尊いか。
 尊さに気が付いたとき、わたしたちはみんな横並びで、みんながわたしで、わたしがみんななのだということにも気が付きます。
「私はあなたでもよかった、私が私でなくてよかったのです。利他的、なんて言葉がいらないくらい、みんながお互いに誰でもよかった」
 この気持ちが、ギブソンの損得勘定の考え方から、離れることができます。

 いま、なのはなのみんなのなかで、もう一度子供に返って、「愛情の思い出ファイル」を何ページも増やしていけること、そして何よりも大切な「利他心」を教えてもらえること、わたしはなんてしあわせなんだろう、と感じずにはいられませんでした。

 わたしは、おさらば3人組、博士でも、ナナポンでもある。わたしが、主人公。なのはなのみんなが、主人公。
 誰ひとり例外はなくて、その自分自身の与えられた役割に気がついて、その重みを感じました。
 ここに、今世界中を飛び回っても見つかることがないであろう、究極の答えが記された、40ページの文章がありました。

◆挑戦の連続

 今回のウインターコンサートは、本当の本当に、なのはなのみんなで挑んだコンサートでした。
 大人数で踊るダンスは7曲、他にダンス・フラダンス曲は8曲、アンサンブルは7曲、全員参加のビックバンド演奏ではマーチングにも挑戦しました。役者は20人以上。全員が、何らかの役割や係を担っていました。
 黒子や衣装のヘルプなど、誰かひとりでも欠けたら、回らなくなってしまう。「居ない人がいても、それを感じさせないようにしよう」と、平日の日も、誰かに代わってカバーし合って、通し稽古を続けました。
 ひとりひとりの力で、舞台が創り上げられていました。

 わたしは、大脳新皮質の「側頭葉」の役をいただきました。
 「前頭葉」のまなかちゃんや、「頭頂葉」のあんなちゃんと3人で「こういう性格かな」「こう動こうか」と考えて、少しずつ少しずつ膨らませて、キャラクターを作っていきました。「とにかく偉そうで、ツンとしていて、そういうのが大脳新皮質だよ」と、お父さんが教えてくださって、しぐさや言い回しを、何度も試行錯誤しました。

 お互いの演技が良くなっていくのがわかったし、それが演技でもなくなって、本番では、キャラクターそのものになっていく自分たちを感じました。
 廊下で会うと「わたしは側頭葉!」と声をかけてくれたりする子もいました。それがうれしくて、そのとき、わたしは側頭葉で、側頭葉のことがすきだったんだな、と気が付きました。側頭葉になれたことがうれしくて、気持ちが良かったです。

 また、全体演奏では、わたしはフルートパートに入らせてもらって、生まれて初めての管楽器を手にしました。「うみちゃん」と名前を付けて、まったく音も出ない、指使いもわからない状態から、次第に仲良くなって、うみちゃんが音を聞かせてくれるようになったとき、飛び上がって喜びました。
 音が出なくてもかわいらしくて、音が出てもかわいらしくて、毎日フルートのケースを開くのが、とても楽しみでした。
「楽器を演奏しながらこんなに動き回れるなんて!」
 と、みんなで驚きながらのマーチング練習も、楽しかったです。

◆なのはなだけの曲

 前半のラストの曲『プロフェッツソング』。
 モラルの高い「崇高な秩序」を目指して、みんなと向かった曲です。
 この曲は、正直、わたしを1番悩ませた曲だったけれど、1番記憶に残っています。
 8分間にわたるドラマティックな構成で、振りの多さ、フォーメーションの大移動には、何度も頭が混乱しました。

「どこまでも意志を持つんだよ、トライアンドエラーで、もう1回やろう」
 と、あゆちゃんが教えてくれて、ひたすら同じ箇所を繰り返しました。それでもできないところは、バディ練習をしたり、暇さえあれば鏡の前で、その振り付けを確認しました。
 振付けが身体に入ってからも、コーラスとの両立や、表情作りなど、最後までみんなと精度を高くしていきました。

 こうやって自分でいつも頭を使って、理想を持って、周りに発信していくこと、そうしてやっとみんなと揃えることができて、そのときに初めて「ダンスのためのダンス」じゃなくて、ちゃんと「伝わるダンス」になるんだな、と気がつきました。
 ばたばたと倒れていくわたしたち、そこに千手観音のみんなが飛び出してきます。
 コーラスだけが響き渡るホールで、いま、会場全体がわたしたちのものになったような、開放感でいっぱいになりました。

 後半の曲『ビューティフル・ピープル』。
 わたしたちはありのままでいい。これから未来をつくっていく、わたしたちの希望や願いを伝えればいい。そう思ったら、作り笑顔も緊張もいらなくて、自然に、笑みがこみ上げてきます。
 コンサートの本番直前、そわそわして全身がこわばってきたとき、この曲を踊ると、まるでおまじないのように、すっとこころがほどけていきました。
 お客さんたちを歓迎する気持ちで、踊りました。最後のポーズが決まったとき、わっと拍手が湧いていて、その拍手だけでも、「こういうのを待っていたんだ」と期待に応えることができたと、確信できました。

 絞ることができないくらい、どの曲も大好きになって、込めた思いがあって、「なのはなだけの曲」にすることができたことが、うれしかったです。

 

◆ローラースケート

 ローラースケートが登場することになった曲、『オーバーパス・グラフィティ』。
 お父さんのお誕生日会で、やよいちゃんといっしょに滑ったことがきっかけで、コンサートでも滑る機会をいただきました。
 スケート経験者のやよいちゃん、一方、わたしは未経験。8歳のころに庭でスケートをして遊んでいただけの経験しかなく、はじめは、舞台の上で見せられるようなものではなかったと思います。
 次第によろけずに滑ることができるようになってきて、急カーブや急停止も、身体に入ってきました。

 『オーバーパス・グラフィティ』は、今回のコンサートで、1番最後に振り入れをした全員ダンスです。
 自分の出番が来るまでに、舞台袖でみんなのダンスを見るたびに、進化しているのを感じていました。振りとかキレももちろんだけれど、それより何よりも、みんなの表情です。カウントも早くて、きっとすごくきついだろうけれど、それを感じさせないのです。
 感じさせないどころか、すごく明るくて、楽しそうで、気持ちよさそうです。
 ステージはみんなの笑顔で満ちていて、その空気に、わたしもそうでありたい、みんなと同じところまで行きたい、と引っ張っていってもらえました。わたしのなかで、何かが変わりました。
 どれだけどんくさくても、下手くそだったとしてもかまわない。
 とびきり楽しそうに、気持ちよさそうに、スケートの疾走感が伝わるように、きらきらと光るローラースケートで、ほんの一瞬だけれど、ステージに一瞬の魔法をかけられるように……。それだけを考えました。
 わたしは、今までにないくらいに楽しそうなみんなの笑顔を感じながら、舞台へと滑り出していきました。
 この一瞬の記憶が、いまも鮮やかに残っています。

◆わたしのギブソン

 前回のコンサートよりも、格段に自分の役割や責任が増え、練習や脚本に向かったとき、いままでわたしが見て見ぬ振りをしていたものが、露わになりました。
 わたしのなかにいる、損得勘定の化身、ギブソンです。
 失敗や恥をかくことをひどく恐れて、練習をしているときも、そのことで頭がいっぱいでした。
「自分が注意されたくない、」
「自分が言われたように正しくできていればいい」
 その守りの体勢は、利己的で、ギブソンそのものでした。

 コンサートの日が迫ってくると、不安も迫ってきて、どうすればいいのかわからなくなったとき、お父さんお母さんが教えてくださいました。
「ただ、逃げないで、余力残さないで、120パーセントの力で向かっていくだけだよ」
 シンプルな答えでした。でも、その言葉がずっと頭から離れなくて、そうしないと、わたしがわたし自身を変えることはできない、と感じました。

 それでも、しぶとかったわたしのなかに居座るギブソンは、コンサートのホール入りをしてからも、高笑いをしていました。
 ホール入りをして5日目、明日はゲネプロ。最後の通し稽古、と気持ちを作ったはずが、以前まではできていたはずのことができなくなったり、初歩的なミスをして、そのミスから気持ちを切り替えることもできなくなって、自分自身が、確実に焦りを感じているのがわかりました。
 追い打ちをかけるように、その日の晩の練習時間では、ローラースケートでも、転倒してしまいました。帰ろうと外を歩きだすと、涙が出てきてしまいました。

 そこに、お母さんが通りかかりました。
「こけたって全然いいし、笑顔で堂々としてたらいいんだよ」
 お母さんは、笑っておっしゃると、ごろんと地面に寝そべりました。
「こけたら、こうやってポーズしたらいいよ!」
 びっくりしてしまって、お母さんの身体を引き起こすこともできませんでした。
 1ミリもいとわないで、心と身体を使ってお母さんが教えてくださった姿に、もう、逃げない、思いきりぶつかってやろう、と思えました。

 

◆わたしの使命

「わたしの思い出ファイルは、そんな、素末なファイルしかない。
 わたしにはもう、優しい愛情なんて、持つことができないんだよ……。どうやったって思い出ファイルなんて作り直せない。」

「そうか、どんなにわたしがダメな人間だったとしても、わたしにはわたしの使命があったんだーー。そう気づかせてもらったんです。
 そしてようやく、わたしは心の迷いから抜け出ることができた。どんなに苦しくても、自分の使命を果たそう、とーー」

 とうこさんがわたしで、わたしがとうこさん。舞台袖からも、そこにいるみんなが、祈るような気持ちで、とうこさんを見つめていました。
「わたしたちは薄氷の上を歩いている」。
 とうこさんだけじゃない、わたしたちひとりひとりのすぐ足元には、ギブソンが居ます。

 どこから道を間違えたのかわからない。
 もう一度やり直させてほしい、生まれ変わらせてほしい。それができないから、諦めて、堕落して、このまま人生を終えるしかない。
 何もかも失くして、ふさぎ込んだわたしを、なのはなのみんなやお父さんお母さんが、大きく受け入れてくれました。手を取り合って良くなっていこうと、みつきも同じ仲間なんだよと、教えてくれました。
 それは、ルカがとうこさんに渡したように、「あなたの使命」を、なのはなのみんなが、わたしに渡してくれたのだということです。
 わたしには、絶対に諦めてはいけない使命があります。

 食べられるようになった。笑えるようになった。クワが持てるようになった。踊れるようになった。どん底まで落ちて、這い上がってきたわたしだから、それがどんなに得難い事なのか、わかります。
 たったひとりでもいい。
 こんなわたしだったとしても、こんなわたしでも回復できるんだよ、と伝えられるなら、希望を持ってもらえるなら、ただそれだけのために生きるのだと思います。
 わたしは、この今も、今日も明日も明後日も、何時でもその使命があります。使命なしには、生きていく意味がありません。なのはなで救ってもらった、この身体の意味がありません。
 とうこさんとみんなといっしょに、ギブソンを追放しました。

 幕が下りて、涙が止まらなかったです。
 そのなかで、今まで蓋をしてきたものが全部あふれ出したかのように、しゃくり上げて泣いているももかちゃんに、お父さんお母さんが、「もも、1番小さいけど、本当に頑張ったね、上手にできたね」と優しい笑顔で声をかけていました。
 見ていて、わたしもまた涙が出てきました。
 わたしだけじゃない、みんなの今までの苦しかったことも辛かったことも、ぜんぶ報われたようでした。
 ここにいるみんなを抱きしめたくなる、愛しさ、だいすきな気持ちで、いっぱいになりました。

 12月18日、そしてここまで過ごしてきた時間。
 ふしぎな時間は、かけがえのない時間でした。
 ぎゅうぎゅうに家族が集まった食卓で、出来立ての美味しいハンバーグを食べながら、いつまでも、会話が止まりませんでした。              

 ここで、わたしの物語は終わりです。でも、これが始まりでもあります。
 未来のことはわからないし、保障もありません。
 でも、家族以上の絆で繋がった、だいすきな人たちと、この瞬間から愛の世界を作っていけることを思うと、絶対に未来は明るいです。
 いま、わたしは、幸せです。