「私の生きる道」 ななほ

◆愛の世界へ……

 永遠は一瞬、一瞬は永遠。愛の世界へ……。

 スプリングコンサートから8か月。『宇宙』をテーマとしたスプリングコンサートからの続編でもある、今回のウィンターコンサートのテーマは『人体』。

 ウィンターコンサート当日は、東京からプロカメラマンの中嶌さんと岡さんをはじめ、大竹さん、正田さん、全国各地からたくさんのボランティアの方々や、卒業生が帰ってきてくれました。

 大竹さんは普段は彫刻のお仕事をされているのですが、12月に入ってすぐ、なのはなに帰ってきてくださって、舞台美術や小道具の制作、照明で調光卓の操作を助けてくださいました。

 また、正田さんも本業はガラス工芸の職人さんなのですが、ビデオ・カメラに入ってくださったり、卒業生のさきちゃんと、その職場の方、この秋に結婚したばかりのやすよちゃんもビデオ・カメラを担当してくださいました。

 本番前、ホールの控え室でお弁当をいただいたとき、ホールの館長さんでもあり、いつも私たちに勝央金時太鼓を教えてくださる竹内さんや、ホール設備の高木さんもいてくださったり、雪が降る中で駐車場係をしてくださっていた方々もいて、本当にたくさんの人に、仲間に支えられてコンサートを迎えられたことが嬉しかったです。

◆演劇練習

 スプリングコンサートから続いていた、私たちの旅は、10月30日から新たに始まりました。 

 脚本の第1稿ができたのが10月30日でした。その時はまだ、主人公の1人であるとうこさんはギブソンの側につく設定ではなかったのですが、11月6日の脚本では衝撃的な結末の脚本ができあがり、最終的な脚本は11月24日頃に仕上がりました。

 期間で言うと本当に短く、今思うとあっという間にコンサート当日を迎えてしまったけれど、充実度や濃さでいうと、何年分、いや、年数で表せないくらいの感覚があったくらい、今回の脚本を通してもたくさんの気づきや、答えをもらいました。

 スプリングコンサートに引き続き、私は『ナナポン』という役でステージに立ちました。

 ナナポンはリーゼルのお付きでこの世界にやってきて、スプリングコンサートではおさらば3人組や博士が、リーゼルの意の通りに時空を超えられる剣を使ってくれるよう、博士の研究室で飼っている犬になりすまして、そっと見守っていたのですが、犬ではないことを博士たちに知られてしまったからには、愛の世界を実現するために私も動きます。

 今回のコンサートは、本番が終わるまで、本当に綱渡りのようで、いつでも自分のすぐ後ろの深い谷があったように感じます。

 でも、その谷に落ちていくことは一度もありませんでした。

◆叫ぶ練習

 演劇練習が始まってから、しばらくしたとき、お父さんに「ななほはどこか台詞を飲み込んでしまう癖があったり、イントネーションやアクセントが違うところがあって、それだと聞いている人にちゃんとした意図で台詞の言葉が伝わらない、入ってこないよ」と教えてもらいました。

 その時から、毎朝、毎晩、とうこさん(やよいちゃん)を中心におさらば3人組のみんなと、全部の台詞でアクセントとイントネーションをどうつけるかを考えて、練習していたのですが、どうしても、何か越えられない壁があるのを感じていました。

 そんな時、お父さんが「ななほの台詞には意志がない。台詞をただ、間違えないように言っているだけで、そこに気持ちを感じられない」と教えてくれて、その言葉を聞いたときはとても悔しく、情けない気持ちになったけれど、それと同時に、私が乗り越えるべき壁は、これなんだなとも思いました。

 劇の中でナナポンは幕開けのシーンで、ギブソン大王とその子分の会話を聞いてしまいます。それを聞いたときに、ナナポンがどう思うのか。

 私はこれまで、大きな声を出したり、誰かに怒ったり、誰かをにらんだりという経験がありませんでした。

 そのため、そのシーンでナナポンがギブソン大王の言っている「絶対に愛と思いやりに満ちた世界など、作らせない。愛を壊すための、仕込みを人間全部に仕込んでやった」ということに対して、怒りや許せないという感情が湧いてきても、その気持ちを台詞に乗せることができていませんでした。

 私が気づくよりも先に、それに気づいていたお父さんは、私に「人生観を変えるために、グラウンドで叫ぶ練習をする」という課題を与えてくれて、演劇練習を一時中断し、ひたすら、大きな声で叫ぶ練習をしました。

 最初はどうして、叫ぶ必要があるんだろう? という気持ちや、恥ずかしい気持ちもあったのですが、「ななほちゃん、一緒に頑張ろう!」とまるで自分のことのように、私に真っ正面から向き合ってくれるやよいちゃんの姿に、心が正されて、半日、グラウンドで山に向かって叫ぶこともありました。

 その日の夜にお父さんが「叫ぶ練習は効果があったかな?」といいながら最初のシーンを見てくださったとき、お父さんが一言「効果はゼロだね」と言われて、とても悲しかったです。

 でも、それと同じくらい、諦めたくないという気持ちがありました。

 ちゃんときてくれたお客さんに、そして答えを求めている人に届く台詞にしたい。
 お父さんが書いてくれた、答えの詰まった脚本を、ちゃんと伝えられるような表現をしたい。そのためなら、何が何でも、石にかじりついてでも、変わるんだと思いながら、コンサート当日まで向かいました。

 それからの通し練習でも、何度も「この台詞はここにアクセントを置いたら、違う意図になるよ」「ここはもっと、力を入れて顔を横に背け、この台詞は強く」とお父さんに教えてもらったり、1つのシーンを何度も何度も、おさらば3人組のみんなも代るがわる、練習を付き合ってくれて、気持ちを込めていきました。

 一度はお父さんに「もう、ナナポンの台詞は台詞にならないから、てつおに台詞を変わってもらって、犬に戻った方がいい」と言われてしまうこともあったのですが、もうやけくそにでも、破れかぶれでも、(いつか絶対にいいようになる)(これ以上ないくらい、自分の全てを出し切って、自分の限りを尽くそう)と何度も転びかけては、立ち上がりながら練習を続けてきました。

 その時はできない自分、少しずつしか変わっていけない自分が情けなかったし、みんなに申し訳ない気持ちもあり、諦めたくなることもあったのですが、いつも、大変なときはみんなが側にいてくれて、いつもみんなが私の成長を信じて待ってくれていたから、私はコンサートを迎えられたように思います。

 吉畑ハウスで練習をしていたとき、様子を見に来てくれたまえちゃんが「ななほちゃん、絶対に大丈夫。ななほちゃんだけじゃない、みんなそれぞれ課題があって、ブレイクスルーするんだよ。結果がどうであっても、楽しみながらベストを尽くしたらいいよ。応援してる」と声をかけてくれて、その言葉に涙が止まらなくなったのを覚えています。

 コンサートを通して得られるもの。それは目に見えないものもたくさんあるけれど、1人ひとりの中に確実に、積み上がるものがあって、私も今はどんなに大変でも、絶対によくなると信じていようと思えました。

 また、まえちゃんのように、「私もそうだったよ」と話してくれる仲間がいて、私もいつか、自分の経験が誰かの希望になったり、誰かを勇気づけられるようになるんだと思うと、私の中に諦めるという選択肢は生まれなくて、いつも前に向きに自分の向き合って、ブレイクスルーしていこうと思えました。

◆仲間の存在

 演劇メンバーの間でも、体育館で銀マットを机にして、てつおさん(さきちゃん)とたかおさん(のんちゃん)とぎゅうぎゅうに肩を並べて、動きの確認をしたり、結果的にシーンや動きはなくなってしまったけれど、組み体操に挑戦してみたり、面白い動きを考えたり、お互いに気持ちを交わしながら、大変なことも楽しいことも全て共有できたことが嬉しかったです。

 普段の生活でも、お互いに役者の名前で呼び合っているのが自然だったり、普段は税理士の仕事をしているなおちゃんも、なのはなに帰ってきたらもう、市ヶ谷博士でいっぱい、笑いました。

 今だから笑い話にできることがたくさんあったし、疲れ果ててお風呂で泣いていたとき、そっとまことちゃんとあんなちゃんが温かいお湯を肩にかけてくれたことや、通しをするたびに、みんなが「ななほちゃん、すごく声が通っていて、私、このシーンが1番好きなんだ」と声をかけてくれたり、忙しい中でも、ふと、自分を横に置いて、周りを見たら、いつも幸せな気持ち、幸せな空気で溢れていました。

 私はこれまでずっと、完璧さとかゴールを目指して生きてきた部分があり、できない自分を知られたくない、できない自分は馬鹿にされると思っていたけれど、本当はそれに向き合わずに逃げることが恥ずかしいことです。

 なのはなでは全て自分の良いところも悪いところもさらけ出しても、みんながお互い様の気持ちで大きく受け止めてくれて、理解してくれて、信じてくれていて、私はみんなの中で回復していくんだと改めて感じた時間でした。

 今回、みんなに自分のいいところも悪いところも知ってもらえたことで私自身が楽になった部分もあったし、みんなが大変なことも一緒に共有してくれたことで、私自身も誰かの気持ちに添うことや、誰かの気持ちを汲み、共感しやすくなったように感じました。

◆殻を破る

 ナナポンという役を通して、ナナポンの自分の使命を果たすためなら、命をかけてでも闘うという勇ましさ、どんな時も今にベストを尽くしているからいつ、自分の命がつきても悔いはないという潔さに私自身が、助けられて、強い気持ちをたくさんもらいました。

 演劇で台詞がどこか意図取りに聞こえないといわれたとき、お母さんが「気持ちが入っていないんだよ。気持ちを乗せて、私がこう思うんだから、絶対にそうじゃないって言わせないぞって、強い気持ちで意志を持っていったらいい」と話してくださったことがありました。

 優しさに溢れて、温かくて、誰もが傷つくことのない異次元の世界から来たナナポンは、自分の人生も命も、誰かのために、世界のために使うことを使命として生きてきたから、とても潔く、勇敢でした。

 これはホール入りしてからの話しなのですが、お父さんから「ナナポンは自分の経験としても、輪廻転生の考え方としても、死ぬことを恐れていなくて、超越した感じのキャラクター」だと教えてもらい、本番までの数日間で、より、役のイメージを深めていけたことが嬉しかったです。

 また、演劇練習をしているとき、市ヶ谷博士から「私は博士が好きで、博士が好きだから、役を演じると言うより、自然と博士だったら、こんな風にこの台詞を感じ、こんな風にこの台詞を言うだろうと思える」と話してくれました。

 それを聞いたとき、まだ私は演じていたなと思い、ハッとしました。いつも、お父さんが「演じるのではなく、なりきる」と話してくださるように、本当になりきったら何をしても本物です。

 その頃はまだ、失敗しないように、間違えないように、怒られないようにという気持ちを陰で持ちながら台詞を言っていたから、なりきるのではなく、演じていたし、ナナポンの役を好きになれていなかったなと今、振り返ると思います。

 でも、コンサート当日はただただ、楽しかったです。表現すること、役になりきることが楽しくて、面白くて、お客さんに伝わった、共感してもらっているという感じをダイレクトに感じました。

 実を言うと、ゲネプロの2日前、つまり、本番の3日前にお父さんとお母さんが「主要役者の3人(てつお、たかお、ナナポン)には不満です。みんな同じようなリアクションで、キャラが立っていない」と言われていました。

 その日の夜は、3人とも一度はガチョーンとなりながらも、すぐにやけくそでも破れかぶれでもいいから立ち直り、博士も含め、夜中の12時半まで演劇を詰めていきました。
 日中に通しをしていたことやいつもよりも遅くまで起きていることで、12時を過ぎた辺りからは、私もてつおさんもたかおさんも目がトローンとしていたのですが、そんな中、市ヶ谷博士が「今からどうしようか、後半に突入する?あるいは、前半の復習でもしようか」と言っていて、思わず寒い体育館で3人とも、笑い転げました。

「博士、もう寝ましょう!」
 そんな会話ができるのも、今まで演劇を一緒にしてきた仲間との信頼関係や深い絆があるからで、今だから笑い話になる大変なことも、面白かったこともたくさん、たくさんあり、それは私にとって、一生忘れることのない温かい経験として心の中にあります。

 演劇練習で「3人とも楽しんでないから、見ていても面白くない」とお母さんに言われたシーンも、本番までにはてつおさんとたかおさんと練習の時から楽しんで向かってきたこともあり、本番は会場に来てくださったお客さんの笑い声に包まれました。

 ステージの上で大きな口を開けるのも、変な顔をするのも初めは、恥ずかしい気持ちがあったのですが、ナナポンになりきってからは、それらがとても楽しくて、やればやるほど、自分を包んでいた「よい子」「真面目で、優しい子」という殻を自分から破いていき、少しずつ色々な世界が見えてくるように感じました。

本当に今回のコンサートは本番を迎えるまで、綱渡りで、いつでもすぐ下に深い谷があったけれど、それがあったからより、楽しくも、ドラマチックでもあり、私を成長させてくれました。

 そして本番は、今までで一番、ナナポンになりきれて、ダンスも演劇も気持ちが入り、ものすごく楽しかったです。

◆私が私じゃなくてもいい

「なのはなで見せるものは、個々の能力や技術を競い合うのではなく、全体で1つのことを伝える、訴えるものだよ」。

「誰かが特別上手に踊れても意味がなくて、全体で気持ちを揃え、私たちがこんな風に見せたい、こんな世界を表現したいと思い描いた理想を、お客さんに伝わって、賛同してもらえるような空気感やダンスを踊るんだよ」。

 『スカイフォール』のダンス練習をしていたとき、あゆちゃんがそう話してくれたことがあります。

(そうか、私もあなたも同じ。全員が自分で、自分は誰かになったつもりで踊るんだ)
 と思っていると、本当にみんなで1つの生き物、宇宙になったように踊っている一体感を感じました。

 あゆちゃんが訳してくれた『スカイフォール』の歌詞に、「空が歪み、崩れ去ろうとも、動じるな 私たちは真っ直ぐに、整然と立ち続け、共に戦うのだ。私の番号がほしければ上げる、名前だってほしければ持っていけばいいさ。でも、心は決して渡さない」とあります。

 その歌詞にあるような気持ちを、ダンスの動きやみんなと過ごす空気から感じられることが嬉しくて、仲間が増えていくような強さや鋭さに、私が一番好きで、求めている感覚だったことを気づかされました。

 みんなで美しい形をイメージして、理想の形をイメージして、1人ひとりが確信を持って、自分の思う、自分のできる美しい形を作り続け、踊り続ける。

 あなたが私であってもいいし、私があなたであってもいい。

 私たちが何者かによって生み出されて、宇宙や地球、人類が誕生してから進化してきたこと。その原点を思ったら、本当に誰かのための自分で、私が私じゃなくてもいいと思えました。

 そして、誰もが自分にこだわり、自分さえよければという考えから離れて、植物や小さな生き物のように、全体のために自分が動き、全体がよくなるためなら自分を捨てることができるという位の覚悟をもって、今目の前のことに幸せを感じ、ベストを尽くしていたら、優しい世界が作られていくように感じました。

◆一瞬一瞬をよく生きる

 ホール入りをしてからのこと、出はけの練習をあゆちゃんが見てくれたとき、「目の前にいるお客さんを引きこんで、横を向いた振りの時も引きつけたまま放さないようなイメージで、気持ちや眼力を出すんだよ」と話してくれました。

 いつもお母さんも「たった1人の人を思い、その人のために踊る」と話してくれるのですが、私たち1人ひとりが、たった1人の人の気持ちを掴んで、感動させることができたら、本当に私たちにとって、生きていてよかったと思えるコンサートになるだろうなと感じたし、その意識で向かうと、みんなと気持ちが揃うのを感じました。

 本番も、私は『ビューティフル・ピープル』のダンスを、一番前のセンターで踊らせてもらっていたのですが、手を左右に出す振りをするとき、会場に来てくれた人のたった1人の目をみて、「私たちの仲間になりませんか。私たちと一緒に、希望ある世界を作りませんか」と心で会話をすると、目には見えないけれど、心で伝わったという実感がありました。

 ダンスを踊ったあと、目線をほんの少しお客さんの側へと下げて「あなたに見せましたよ」と笑顔を向けてからさると、一瞬、ここはどこだろうかと思うくらい、会場から大きな、大きな温かい拍手や声が聞こえてきて、(伝わった)と思いました。

 私たちは日々、一瞬一瞬をよく生きることで、今も、未来も希望に溢れているとしんじることができます。

 なのはなファミリーでは、ただ劇やダンスが上手い下手だけではなく、出はけや舞台袖に待機しているときの空気も、お客さんに見てもらい、伝える意識を持っています。

 だから、いつどこを見られてもいいし、いつステージで役者の代わりになってもいい、いつどんな表情、どんな気持ちでいるかを見られてもいいと思いながら、ステージを作っていきました。

 きっとそれは、私の人生にとっても同じことを言えるのだと思います。

 いつでも、自分の夢や理想を語れるような人。
 いつでも、誰かのために自分を横に置いて、戦える人。
 例え、今が未熟でも、よくありたい、ちゃんと生きたいと願い続けられる人。

 私はそんな人でありたいです。 

 台詞も、ダンスの出はけもここしかないという一瞬の間を掴んで、みんなと気持ちを1つに迎えた時間が嬉しくて、練習を通しても、仲間と繋がっていられる幸せ、同じ気持ちで、同じ志を持ち、なのはなを通してこれからもずっと、勇敢な気持ちでいられる仲間がいることが、誇らしく、嬉しかったです。

◆人体の世界

 市ヶ谷博士、とうこ、てつお、たかお、ナナポンの旅は波瀾万丈でもあり、たくさんの気づきや答えを得た旅でした。

 ギブソン大王が人類に何かを仕組んで、愛情を消していることを知った私たちは、愛情がどんな風に減っているのかを調べ、「愛情」や「こころ」がどこにあるのかを探す、人体の旅に出ます。

 まさか、人体の世界にいけるなんて最初は想像ができなかったけれど、そういえば、ナナポンは時空を超えられる剣を持っていて、脚本のストーリーを通して、人体の世界にいけたことも得がたい経験でした。

 そして、その旅を通して、なぜ私たちは生きにくさを抱えて摂食障害になったのか、私たちが抱えてきた依存症のメカニズム、そして、それを解決するたった1つの答えを見つけました。

 コンサートの前半では、マクロファージに見つかり、ヘルパーT細胞やメモリーB細胞らに捕まりながらも、LUCAにエクソソームをもらい無事、命を宿したばかりの胎児を見ました。

 その中でも、『オーバーパス・グラフィティ』で細胞たちと踊ったり、今回、ウィンターコンサートで初めて、金時太鼓を叩かせてもらったり、アコーステックギターのアンサンブル『ハート・ストリングス』も演奏しました。

 太鼓はスプリングコンサートが終わってから習い始めたばかりで、また技術の方は発展途上なのですが、毎週水曜日に勝央文化ホールへ通い、竹内さんに教えてもらう時間、太鼓をたたける時間がとても楽しいです。

 太鼓を叩いていると、自分の気持ちも強くなり、力もついて身体も心も外向きになります。終わったあと、ホールの竹内さんも「みんな、よく音が出ていて、よい演奏だったよ」と声をかけてくださりました。

 また、藤井先生のお陰で、毎週火曜日のアコーステックギター教室を通して、ギターも演奏できるようになりました。

 今回は、胎児のシーンで演奏したのですが、大竹さんが制作してくださった胎児の成長をたどる影絵がステージの中央に映し出される中、今から4億5千年前の生命の歴史をたどり、胎児が母親のお腹の中で、魚類から上陸の時を迎え、1週間で1億年の時を超える、生命の誕生の不思議さや誕生の美しさを感じながら、演奏をしました。

 前半のラストは、『プロフェッツ・ソング』です。
 私はこの曲で千手観音で、7人の子と踊ったのですが、カウントを揃えてみんなといかに美しい、千手観音を作るかを極める時間はとても楽しかったです。

 練習の段階ではカウントが前の人に追いついたり、遅すぎたりして難しいこともあったのですが、日に日に、みんなと揃っていき、みんなで1つの生き物を表現できました。
 
 後半では、大脳新皮質、大脳辺縁系、視床下部、五臓六腑と人体を巡り、心や愛情のありか、そして、ギブソンがどこに何を仕組んだのかを探します。

 摂食障害やあらゆる依存症の鍵を握っている視床下部では、私たちの傷、依存症について真っ正面から向き合い、じゃあ、これからどう生きていきたいか、考えるヒントをもらいました。

 視床下部にある愛情の中枢が、全ての本能を支配していること。
 私たちの視床下部には、思い出ファイルという本棚があり、そこには4歳、5歳、6歳までの3年感だけの愛情にまつわる思い出がファイルされてあること。

 思い出ファイルでは、どこか私も心当たりのある、悲しい辛い夫婦関係の思い出、幼い自分にはどうすることもできなかった歪んだ家庭環境、幸せを先送りして今を犠牲にして頑張る日々がファイルされていました。

 でも事実、私たちの思い出ファイルにはそんな風に愛情の形を理解し、インプットされていました。

 4歳、5歳、6歳の間に人として完成するためのプログラム、つまり、家族から大事にされている、認めてもらっている、大好きになってもらっていると信じられる経験や、家族がお互いに大切にして、協力し合っているという経験を得ることができなかった人は、12歳になると、本能が一気にバランスを崩してしまうこと。

「スカスカの思い出ファイルの人は、親の否定、自己否定が止められず、本能が一気にバランスを崩して、身体に変調をきたす、場合によっては精神に変調をきたすようになります。被害感情が強くなり、自己否定が強くなり、集中力は長続きせず、認識はゆがみ、社会性を失っていく・・・・・・」。

 視床下部さんの話を聞いているとき、てつおさんとたかおさんが「大変だ、それは、僕のことだ!」とステージを走り回るのですが、その姿はなのはなに来る直前の、私の姿でもありました。

 治りたいけれど治れない、症状をやめたいけれど、止めることがない。
 なのはなファミリーに出会うまで、一日たりとも、症状が止まったことはなかったし、いつのまにか心はぎすぎすとして、自分のことも相手のことも許せなくなり、未来に希望を持つことができなくなっていました。

 それを解決してくれるたった1つの答えは、「利他心」をきちんとインプットすること。視床下部さんの話を聞きながら、私自身も、救われたような気持ちになったし、例え、過去の思い出ファイルがスカスカだったとしても、これから利他心を軸に、温かい思い出を築いていきたい、そして、今度は私自身が、誰かを幸せにし、自分の温かい家庭を持ち、次の世代へ利他心をつないでいくんだと思いました。

◆永くて、短い旅

 ギブソンの側について、ギブソンと共に愛情のあるかである、大脳辺縁系の指揮系統を変えようとするとうこさん。

 とうこさんの姿は自分自身の姿でした。

「結局、みんな自分を守って守り切ったものの勝ちじゃないの。今のデジタル社会には、利他心はいらない。学校では成績がいいか、成績が悪いか。社会に出たら稼げる人間か、稼げない人か、デジタルに決まってしまうじゃないの」。

「この世の中は何でも思い通りにできる勝者か、惨めな負け犬のどちらかしかいないと思い込ませ、希望とか、上品さとか、志とか、助け合いとか、そういうものを全て見失うしかなかった。私の思い出ファイルには、そんな粗末なファイルしかない。私にはもう、優しい愛情なんて、持つことができないんだよ」。

 とうこさんの感じてきたこと、気持ち、経験は全て、過去の自分と重なりました。

 でも、博士、てつお、たかお、ナナポンは大事なとうこさんを見捨てるわけにはいきません。

 とうこさんの言葉を聞いて、弱気になってしまったたかおさんに、ナナポンは言います。

「私は、リーゼルの気持ちを無駄にしたくない。だから絶対に、諦めない」。
 この台詞はナナポンの思い出もあり、私が私自身に言い聞かせる台詞でもありました。

 どんなに大変でも、苦しくても、過去にどんな失敗や生きにくさを抱えてきたとしても、絶対に諦めない。まだ見ぬ誰かのため、私たちを待っている人のため、仲間のために諦めるわけにはいかない。

 ナナポンの「諦めない」という言葉の背景には、ウィンターコンサートに向かう過程でのもう諦めかけた私の姿もあったけれど、仲間の存在に引き上げてもらった私の気持ち、もう迷うことも、逃げることも、諦めることも絶対にしない、そんな選択肢は作らない、私はなのはなの一本道を生きていくという覚悟を乗せました。

 そして、コンサートの衝撃的な結末は・・・・・・。

「永遠は一瞬、一瞬は永遠。反愛情大王とその手下どもが、二度と地球に現れないように、宇宙の彼方へ連れて行け!」。

 11月に脚本の読み合わせをしたとき、この台詞をいうのにとうこさんが戸惑い、私も何度もその台詞を読み返してしまったのですが、これが、今年のコンサートのおちでした。

 「私の心の中に、損得勘定のギブソンが入っていた。私の思い出ファイルはスカスカ。立て直すのが難しかった。でも、どうしてもギブソンをやっつけたかった。だから、思い切ってギブソンの側に近づいたの」。

 とうこさんの勇気ある行動に、涙が出ました。そして、とうこさんが話してくれます。

「私が迷いのさなかにいたとき、この子が現れて私にそっと渡してくれたものがあった。そこには、「あなたの使命」とだけ書かれていた」。

 『Last Universal Common Ancestor』。
 その頭文字を繋げると、『LUCA』。

 なのはなで最年少のももかちゃんが演じた『LUCA』は、私たち人間か間違った方向に行かないように、ずっと見守ってくれて、私たちを助けてくれました。

 そのLUCAが渡してくれた『あなたの使命』。
 この言葉は私たちが希望を持って立ち直り、生きていくための、たった1つの答えです。

◆あなたの使命、私の回復

 今回の脚本に出てくる登場人物は、市ヶ谷博士もてつお、たかお、ナナポン、そして、とうこも全員が、自分自身の姿でもありました。

 とうこさんが私たちを代表して、私たちの中に潜んでいた損得勘定のギブソンをやっつけてくれました。

 とうこさんはギブソンと聞いた時、自分の中にも損得勘定の考え方があって、心の綺麗な人間になりたいと思ってもなれない、利他心を持ちたいと思っても無駄なんじゃないかと思って一度は、本気でギブソンの側についてしまったけれど、おさらば3人組という仲間の存在や、LUCAの力によって、自分の心の迷いから抜け出します。

 この脚本をもらった時、あまりにもとうこさんの姿が自分自身と重なって、ボロボロと涙が出ました。そして、私も今を生きる、とうこさんなのだと思いました。

 私はまだふとしたら、外の空気、欲にまみれた空気に引っ張られそうになったり、自分の課題、歪んだ気持ち、損得勘定の考え方に苦しくなり、自分で自分に罰を与えたいような気分になることがあります。

 でも、『あなたの使命』という言葉を思ったら、すっと迷いがなくなり、視界が開けました。

 私は私と同じような苦しみを抱えた人に対して、一度はどん底まで落ちてしまった私でも、今、希望を持って生きていると言えるように、回復していきたいです。

 あなたの使命を思うと、摂食障害の症状や依存に対しても、そして普段の生活の中で時々、ぶち当たる自分の課題や乗り越えなければいけない壁に対しても、(私が立ち直ることで、誰かの希望になれる)(私が乗り越えることで、誰かも信じることができる)と思え、誰かのためなら頑張れる自分がいます。

 なのはなファミリーの存在も、なのはなファミリーの卒業生もみんな、「あなたの使命」という名の利他心を胸に、生きています。

 今年もたくさんの卒業生が帰ってきてくれたのですが、私と同じように症状を持って苦しんできた人達が、こんな風に自立し、家庭を持ち、幸せに生きていること。症状を出さずに、高い志を持って力強く生きていること。そのことに、私自身もたくさんの希望を感じるし、私もそうなりたいと思えます。

 あゆちゃんが訳してくれたリカバリーの和訳にもあるように、自分の回復を自分でデザインし、自分で定義し、私が回復するオリジナルのサクセスストーリーを作る気持ちで、日々、私は生きていたいです。

 あゆちゃんが「ウィンターコンサートのステージで、よい表現ができたら、自分の人生もよい表現、よい人生が作れると言うことなんだよ」と話してくれたように、人生に練習はなく、今日も本番、明日も本番なのだと思いました。

 人生において、保証のあることは1つもないけれど、今、幸せを感じながら生きること。 今、誰かといることを楽しんで、好きなことを好きと思い、嬉しいことを真っ正面から感じることが本当に幸せなんだなと改めて分かったし、なのはなで誰といても、何をしていても幸せを感じられたり、好きだなと思えることがとてもありがたく、恵まれているなと感じました。

 私の回復記は決して、誰かに自慢できるような綺麗な話ばかりではないけれど、きっと、誰かの希望にはなれると思っています。

◆助け合う関係、お互い様の関係

 コンサートが近づくにつれて、たくさんの卒業生が帰ってきてくれて、気がついたら色々なところで、私たちを支えてくれていました。

 ゲネプロの日、夜にたかおさんとお米研ぎをしに家庭科室へ行くと、ハートピーのあきこさんや娘のかりんちゃん、何人もの卒業生がパウンドケーキやドーナッツのラッピングを手伝ってくれて、その楽しい空気にいると、涙がこみ上げてきました。

 卒業生の子たちも「なのはなに帰ってこれて嬉しい」「みんなの手伝いができて嬉しい」「なのはなの子でいられて、こんな仲間がいることが幸せだ」といいながら、心から手伝うことも楽しんでくれていて、(ああ、これが幸せなんだな)(本当にお互い様なんだな)と思いました。

 コンサートが終わってからも、舞台背景の解体やロビーの片付けを卒業生も含めて、すっと手伝ってくれて、その当たり前のような空気に、癒やされていく自分がいました。

 私も1つの材料。私も1人のなのはなの子であり、仲間であり、よいことも悪いことも、全部、まだ見ぬ誰かのために繋がっている。私が求め続ける限り、私が諦めない限り、まだ見ぬ誰かのための答えを私は見つけることができるのだと思うと、希望を感じます。

 今、私は幸せです。そして、その幸せのすぐ隣に、いつでも落とし穴があることを知っています。

 私たちは心に傷をうけたときから、利他心を軸に生きていく使命を託されています。自分のために自分の欲に負けたらいつでも、症状の時限爆弾はカウントダウンを始めるし、その落とし穴に自ら飛び込むこともできます。

 だけど、それだからこそ、私は強く生きていきたいし、私には私だけのオリジナルの回復があり、その回復の過程が私を作っていくのだと思うし、『あなたの使命・私の使命』を胸に、生きていきます。

 今年のウィンターコンサートは大成功でした。お父さんの脚本や、コンサートに向かうプロセスの中で、また一段と仲間との関係が深まり、強くなったのを感じるし、私も自分の殻を破ることができました。

 そして、本番の私は、気がついたらナナポンでした。お客さんとの間に共感や幸せ、音楽を通して伝わった感覚があり、私も台詞に気持ちをぶつけました。

 本当に求めている人には伝わるコンサートだったと思います。
 スプリングコンサートからの続きだったウィンターコンサート、私は人生という旅を続けていきます。