「本当に優しい関係」 ななほ

1月6日 

 『あきない世傳 金と銀』の12巻出帆篇を読んでいます。

 それを読んでいて、昔の日本の礼儀やマナーは本当に尊くて、利他的なんだなと思いました。

 以前、お父さんが「昔は、襖で部屋が仕切られていて、たとえ向かいの部屋の話し声が聞こえたとしても、それは聞こえなかったこととして過ごす」と教えていただいて、ちょうどその頃、勇志の現代文の授業でも、夏目漱石の『こころ』を読んでいて、すごく共感したのですが、昔の人は、当たり前にそういう誰もが暮らしやすく、生きやすくするためのルールが共通認識されていたんだなと思い、温かい気持ちになりました。

 それとは少し、違うかもしれないけれど、あきない世傳を読んでいると主従関係の礼儀だとか、ふとした人間としての優しさだとか、呉服太物商いにかんしても、利益より先に、信用や信頼ありきでの、商いで、それが綺麗だなと感じます。

 相手に直接、意味を伝えたり、理由をちゃんと言わなくても、紙1枚で相手の意を汲み、意味を伝えられり、過去にどんな失敗や関係があったとしても、次に別の場所で会ったときは、それはなかったことかのように物事や関係が築かれていたり、それは江戸時代や本の中の世界に限らず、今の時代にも、当たり前のようで当たり前だと言うことを忘れられかけている、礼儀や利他的な考え方なんだなと感じました。

 私はすぐに、「これはこういう理由でやりました」「これは、こういう考えでやりました」と自分がしたことに対して誤解されたり、怒られたりするのが怖くて言い訳のような会話になってしまうけれど、本当は、お互いによかれの気持ちでしたことだから、言い訳をするつもりもないし、よかれの気持ちでしたことで例え、誤解があったとしても、言い訳をする必要も、挽回しようとする必要もないのかも知れないなと感じました。

 また、信頼関係も私はなのはなに来るまで、誰とも築けなくて、好きな人も尊敬する人も、信頼できる人も分からなかったけれど、本当に優しい関係は、信頼関係やお互い様の関係で成り立っているんだなと言うことを感じて、私も相手の信頼を裏切らないような心持ちで生活していきたいし、時には相手を信頼する気持ちで相手に任せられることも、大切なんだなと、改めて小説の中に出てくる登場人物の人間関係からも感じました。

・桃の冬季剪定

 今日から桃の冬剪定が始まりました。

 あんなちゃんが「まずは、開墾26アールの清水白桃から、剪定をしようと思うんだ」と話してくれて、今年初めて、桃畑に行けたことが嬉しかったです。

 午前の初めは気温も低く、那岐山も白く雪が積もっていたのですが、お昼になるにつれて、集中していたこともあり、身体がポカポカとしました。

 また、以前、あんなちゃんから「桃には最低積算温度があって、開花するのに7度以下の低温が800~1200時間必要」だと言うことを教えてもらったことも思い出すと、この寒さも桃にとっては、結婚前の花嫁修業のようなものなのかなと思い、私も、桃を思うと寒さに負けないぞと強い気持ちになりました。
 私はこれまでにも何度か桃の剪定、冬選定に入らせてもらうことがあったのですが、実際に枝を切るのが去年が初めてで、今年も上手くできるか、ドキドキしました。

 でも、あんなちゃんと答え合わせ方式で枝を切っていきながら、桃の剪定の基礎を教えてもらえることが本当にありがたいなと思ったし、日当たりの改善や樹形を整えること、作業性の改善など基本を思いながら、桃を思い、桃に気持ちを沿わせて剪定する時間がとても楽しかったです。

 あんなちゃんから「これは先端が別れてしまっているから、こっちの枝を主にしてあとは、落とそうかな」「これは、主枝がこの枝で亜主枝がこの枝だから、この枝はいらないね」などと教えてもらったり、あんなちゃんに教えてもらいながら、桃のことを考えるのが本当に楽しかったです。

 桃畑にいると本当に温かく、安心した気持ちになるし、改めて私は桃作業が大好きなんだなとも感じました。

 桃に気持ちを沿わせて、でもプランを持ちながら、最終的にどんな風にしたいのかをイメージして必要な枝、いらない枝を考えたり、できるだけ枝は切らないようにしつつも、作業性や日当たり、実際に桃がなった時をイメージしながら、枝に優先順位をつけて落としていくのが楽しかったです。

 まだあんなちゃんの倍くらい、剪定に時間がかかってしまうのですが、それでもあんなちゃんが優しく丁寧に教えてくれるのがありがたいなと思ったし、甘くておいしい桃を作るために、私もあんなちゃんに教えてもらうことをしっかり吸収して、少しでもあんなちゃんの役に立てるように頑張ります。

・日記を書くこと

 夜の集合で「子供の頃に周りの大人があまり話さなかったり、心を動かしていなかったり、子供の頃から小説をあまり読んでいないと、情緒が育っていない。そうすると、日記を書くのも遅いし、考えるスピードがゆっくりになってしまう」という話しから、改めて日記を書く大切さについて、教えていただけたことが嬉しかったです。

 毎日、自分の思ったことや考えていることを言葉にすることで、自分も成長し、積み上がっていく人生になること。

 お父さんの「子供の頃の写真が自分の記憶として印象に残っているように、日記を書くことで、なのはなの思い出ファイルがより濃く、温かなものになっていく」と言う言葉が印象に残りました。

 私はなのはなに来てから、書ける日は毎日、日記を書いています。だからか、日記を書いている日の出来事は今でも鮮明に思い出せるし、畑作業でも桃作業でも、普段の生活やイベントでも、何かキーワードがあればそれと同じキーワードが出た日の出来事をパッと思い出すことができたり、肥料の使い方、お父さんに教えてもらったことなどが、日記の文字で、ぱぱっと頭に浮かびます。

 それは改めて思うと、お父さんの写真のようだなと思ったし、なのはなに来るまで作文書きや読書感想文が大嫌いで宿題でもやったことがなかった私が、いま、文章を書くのが大好きでいられるのが嬉しいなと思いました。

 私はなのはなに来るまでパソコンとも文章とも無縁のところで生きてきて、最初はパソコンを打つのも1文字1文字に時間がかかっていたのですが、今はパソコンと友達になれました。

 また、編集とか山小屋便りとか、文字を書くのも本を読むのも何でこんなに楽しいんだろうと思うくらい、好きになりました。

 まだ、情緒の面では発展途上のところが多いのですが、これからも具体的な日記を書いて、自分の知識や情緒を深めていきたいし、ただ子供のようにベタな文章や、その日にあった出来事をだらだらと書くのではなく、印象に残っていることなどを面白く書いて、読んでいる人に楽しんでもらえたり、分かりやすかったり、自分自身にとっても、大切な思い出ファイル、そして頭の整理のための手段となるように、日記を書きたいです。

 成人式に向けてムービーの準備も始まりました。もう考えるだけでワクワクするし、なつみちゃんとさくらちゃんが大きくなったときに、なのはなでの生活を思い出して嬉しくなったり、子供たちに「ママが二十歳の時はね」と自慢できるようなムービーができるよう、私も頑張ります