「殻を破ること」 ななほ

12月22日

・1歳のたいちゃん

 去年のお正月、卒業生の子をたけちゃんハウスへ案内するのに、古吉野の坂を下り、あゆみちゃんのお家へ行くと、生まれたばかりのたいちゃんがあゆみちゃんの腕の中で眠っていました。

 私はなのはなに来るまで、1歳以下の赤ちゃんとふれあう機会がほとんどなくて、たけちゃんが生まれるまで、赤ちゃんにほ乳瓶でミルクをあげるのも、おむつを替えるのも、ましてや、だっこすることもしたことがなかったのですが、生まれたばかりのたいちゃんをだっこした時のことは今でも鮮明に覚えています。

 まだ、目も開いていなくてぐっすり眠っていたたいちゃんは、小さな洋服からも手足が見えないくらい、とても小さくて、白菜よりも全然軽く、抱っこしたらふわっと優しい重みがあって、(ああ、本当に生きているんだな。生まれてきたんだな)と感じました。

 その時はまだ、たいちゃんは人間と言うよりも、天使のように可愛く、神様の子という感じだったのですが、1歳になったたいちゃんは、もう、なのはなの廊下を行ったり来たりしています。

 たけちゃんやたいちゃんを見ていると、その純粋な可愛らしさや、幼いながらにも、よく周りを見て真似をしたり、空気を感じ取ったりしていて、本当に小さな頃からよく大人たちを見ているんだなと感じます。

 たけちゃんやたいちゃんは、まだ歩き出したばかりだけれど、ものすごく優しくて、可愛くて、いつも笑顔いっぱいです。

 ウィンターコンサートの脚本に思い出ファイルが登場したけれど、たけちゃんやたいちゃんをみていると、なのはなでみんなの中で、暖かな愛情溢れる思い出ファイルを積み上げていくんだなと感じるし、本当になのはなの中で育つことで『利他心』がインプットされていくんだなと感じます。

 たけちゃんやたいちゃんが生まれてきてくれて、弟になってくれたことが嬉しいし、私も2人の存在に優しい気持ちや、大人としてどうありたいか、どんな風に見せたいかを考えるきっかけをもらいます。

 たけちゃんやたいちゃんが成長する姿、みんなの中に混ざって気持ちや身体を使っている姿に、幼かった私も本当の優しさや、良いことと悪いことをハッキリと教えてもらっているような気がするし、幼かった私の思い出ファイルまで、2人の力で愛情溢れるものへと癒やされていくようで、助けられているのを感じます。

 これから、たいちゃんがどんな子になっていくのか、私もたいちゃんのお姉ちゃんとして成長を感じられることが嬉しいし、私もたいちゃんに負けないように、成長し続けます。

・殻を破ること

 夜の集合でお父さんに、絵を描くときのコツについて質問をさせていただくと、「まずは、自分の殻を破ることです」と1言、答えが返ってきて、びっくりしたけれど、その通りなのかもしれないなと思いました。

 まだ、私の中で具体的に自分の殻を破ったら、どうして絵が上手に描けるのかという風には結びついていないけれど、自分の殻を破ったら、今よりももっと自分のできることも幅が広がったり、好きなものや考えることの幅ももっと広がり、自由な発想とか、自由な気持ちで色々なことに向かえるんだろうなと思いました。

 今、紅白の準備をしているのですが、なのはなのイベントを通しても、その機会を使って殻を破りたいです。

 私は今回、ひろこちゃん、ゆきちゃん、りゅうさんと同じチームなのですが、寸劇や衣装を考えている時間は、とても穏やかで静かで、みんなまじめなのに、パソコンに打ち込んでいる内容が、ちょっぴり過激で面白いです。

 私も今までにない役をできるのが嬉しいなと思ったし、紅白でやってみたかった役ができたり、お父さんに怒られるかもしれないけれど、ハチャメチャなことを考えてできるのが楽しいです。

 去年までの私は、すぐに、真面目な方へ、かたい方へと頭を走らせてしまうけれど、今回はうまくいくか行かないかはわからないけれど、みんなのやりたいことをやろう! と考えられたり、私も自分に縛られずに、自分の中にある吐き出したいことを吐き出してみれるのが楽しみです。

 最後に、今日は冬至でした。ここ数日は、朝7時に起きてリビングに行くと、ちょうど東の空の山の向こうから、太陽が昇ってくるのを毎日見れるのですが、これからどんどん日の出も早くなり、太陽が出ている時間も長くなっていくのだと思うと嬉しいです。