
12月13日のなのはな
ウィンターコンサートまで5日。
ホール入り2日目のこの日、朝から、劇で使う小道具や衣装、楽器の搬入をし、みんな揃って、ホールへ行きました。
いよいよ、私たちがコンサートをするホール、私たちにとってホームグラウンドとも感じられる、勝央文化ホールへ行くのだと思うと、胸がドキドキして、緊張していたのですが、その緊張感ですら嬉しく感じました。
ホールへ着くと、ステージいっぱいに、先発チームのみんなが前日にセットしてくれていたカラフルな舞台背景が広がり、思わず目を見開いて、その場に立ち尽くしてしまうくらい、その夢のような舞台に見とれてしまいました。
なのはなファミリーでは、劇やダンス、バンドの演奏はもちろんのこと、舞台背景も照明も全て、1から自分たちで作りあげます。
(あと5日後には、このステージの上で、たくさんのお客さんの前で表現するんだ)
と思うと、背筋が正される思いがしたのですが、それと同時に、「よいステージを作りたい」「まだ見ぬ誰かに、希望を感じてもらえるような世界を表現したい」と、強く思いました。
今回、初めてコンサートを経験する子もいる中でのホール入り。
先日、お父さんが、
「ホール入りをしてから大切なことは、スピード感と緊張感を持つこと」
と話してくれたことを頭に入れて、自分がステージに出ているときも、舞台袖にいるときも自分がどんな気持ちで、どこに、どんな姿勢で立っているべきか、心を遣いながらホール入りをしました。
本番だけではなく、練習の時から見せる意識、見られている意識を持ち、いつでも誰に見られてもいいし、途中経過を見せる気持ちで、気持ちや神経を尖らせています。
この日は主に、ダンスやコーラス、劇の立ち位置、フォーメーション、目線、出はけの確認をしました。
体育館での練習の時も文化ホールをイメージした上で、どの幕から出はけをするか、どの位置で踊るかなどは決めていたのですが、実際にホールへ行くと、全体の見え方をより美しくするため、細かな目線が変わったり、奥行きや幅を使って立ち位置が変わったりすることがありました。「教えてもらったこと、変更点は1回で覚えて、次には確実にできるようにする」という心持ちで向かいました。
舞台の袖にいるときも常にステージに気持ちを向けて、出はけの邪魔にならない場所に綺麗な姿勢で立つこと。
舞台袖は、会場に来ているお客さんから姿は見えないけれど、その舞台袖での緊張感や、気持ちの持ち方がステージ全体の空気を作ることになります。
劇からダンス、ダンスの出から曲の始まり。そして、曲の終わりからダンスのはけ、劇と、常に役者とダンサー、演奏でステージは回っていて、上手に出はけの空気やタイミングで、自分も次の人へバトンを渡し、前の人からバトンを受け取る感覚を感じながら、出はけのタイミングも揃えていきました。
『ビューティフル・ピープル』の出はけをしていた時、あゆちゃんが、
「最後のポーズをしたときの笑顔と、はける前の笑顔とでは、笑顔が違うんだよ。ダンスが終わったとき、目の前のたった1人に目線を定めて、気持ちをぶつけるんだよ」
と話してくれました。
それを聞いたとき、私は見せる意識が足りていなかったなと感じました。
ダンスを踊っているときは、その曲で伝えたい気持ちや世界を、身体の動きや表情から伝えるという意識をしていたけれど、はけるときもその延長で表情を作っては、本当には伝わらないのかもしれないなと感じます。
「私たちの演奏はどうでしたか? 私たちの仲間になりませんか?」
と思いながら、はけると、私の中でも確実に、誰かに気持ちが届く、伝わるんだという感覚があり、本番でも、目の前にいるたった1人を思い、気持ちをぶつけたいと思いました。
また、ダンスの出も曲の始まりの音も、役者がでるタイミング、台詞を言う間の取り方もすべて、「ここしかない」という瞬間があります。
私はまだその瞬間を掴み切れていないなと思う場面もあるのですが、全体が止まり気持ちが揃ったなと感じた瞬間や、「今しかない」という一瞬を確かに正しく感じた場面もありました。
今日は出はけのタイミングで何度かやり直しもあったけれど、本番は一度きりです。今日、感じた揃ったという瞬間を練習だけではなく、本番でも一発でみんなと揃えていけるように、心を研ぎ澄ませていたいです。
誰もが一瞬一瞬をよく生きたい、よいものにしたいと思い、外向きの気持ちでステージに立つこと。
お父さんが、
「劇もダンスも、始まりと終わりが大切で、タメを作ることで、効果的に台詞が言えたり、終わりに余韻を残すことで、劇と次の曲が繋がる」
ということを教えてくれて、明日からの練習や通しでも、みんなで繋がっていることを頭に入れて向かいたいです。

また、
「なのはなファミリーのコンサートは、ただ劇やダンスが上手というだけじゃなく、舞台袖での緊張感や、出はけもみんなが気持ちや表情を揃えて見せることに、感動や伝わるものがある」
と、お父さんとあゆちゃんが話してくれました。
ウィンターコンサート本番に向かう過程からも、みんなと見せる意識を持ち、目には見えないけれど気持ちでみんなが繋がっているということを感じながら、いつでも途中経過も見せられる気持ちで、気持ちにON・OFFを作らず、気持ちを尖らせていたいです。
今日よりも明日、明日よりも明後日という気持ちで、日々、よりよいステージにしていけるように頑張ります!
(ななほ)
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●あゆちゃんの、ウィンターコンサート演奏曲 和訳紹介●
みなさん、こんばんは!
2022年 なのはなファミリー ウィンターコンサート
演奏曲紹介・第2弾は、『ザ・シード』です。
シードは、日本語にすると種子(たね)。
私たち人間が誕生する遥か昔から、この地球に生きている植物たち。
植物たちは、私たち人間が想像するよりも、ずっと、ずっと、高度なコミュニケーション能力を持っています。
どんなに環境が厳しくとも、どんなに後から進化して来たものたちに理不尽に扱われることがあろうとも、決して卑屈になることなく、恨んだり、妬んだり、悲観したりすることなく、ただ淡々と、自分に与えられた命と時間の中でしっかりと生きる。
自分の種(しゅ)を、自分や仲間の命を、次の世代へとつなげていくために日々知恵を絞り、今、目の前にある環境の中で最善のバランスを取り、寿命の尽きるその日まで、それぞれが個の考えを離れた強さ、優しさ、そして、長い歴史の中で蓄積してきた知恵を最大限に使って、毎日を美しく彩っている。
たとえ一度は眠らざるを得ない場面があったとしても、必ず再起の時をじっと待ち、力を蓄え、自分の代で叶わなくとも、また一斉に命を吹き返そうと誓う。
そんな植物の姿には、本当の美しさや、正しい生命のありよう、そして、どう生きるべきかの見本があるように感じます。
このシードという曲では、そういった気持ちを、演奏やダンスを通して、みなさんに見て、感じていただけたら幸いです。
ちょうど 種がそうであるように ちょうど 種がそうであるように ああ、 お金を食べることはできない
私の首を絞めて そうすればまた、
ちょうど 種がそうであるように 自分自身の指を燃やしているも同然なのに ああ、 この世の最後の木が切り倒され 光が欲しい (日光が欲しい) ねえ、 この世の最後の木が切り倒され お金を食べることはできないのよ |
次回は『ビューティフル・ピープル』をお届けします!
お楽しみに!
(あゆ)