「新しい脚本での通し・誕生日」 あんな

11月19日

◆新しい脚本での通し
 脚本をお父さんが新しくしてくださって、昨日、その読み込みをして、今日は通しをしました。
 文字で読んでいるときよりも、立体的に、深く、鮮やかに内容が見えて、特に、ラストのシーンに感動しました。
 桃子さんに私はとても共感します。

「私は利他心がなければならない、とずっと自分に言い聞かせてきた。
 そうでなければ本当の幸せは得られないし、世の中をみんなが楽しく暮らせるようにはできない、とーー。
 でも、私には、自分の欲が消せないって思った。
 私は、いつも汚いこととか、ずるいこととか、ふと心に浮かんでしまう。
 心のきれいな人間になろうと努力してきたけど、なかなかなれない。
 ひょっとして、私は悪い人間に生まれついているんじゃないか。
 利他心を持った良い人間になろうとしても、無理なんじゃないか。
 だとしたら、持てない利他心を持とうとしても、いつまでも苦しいだけだ。
 みんなを見ていて、どうしてもそう感じてしまう自分がいた」

 身を切られるくらいに、そう思ってきました。
 私は桃子さんそのものだと感じます。

 また、お父さんがみんなに書いてくれた脚本だと、お母さんが言ってくれて、そのことを改めて思いました。私たちだけでなく多くの依存症とか生きていけなくなっている人たちに向けての脚本だと思うのですが、お父さんの表現の一つひとつが、とてもとても、優しいと思いました。例えば「愛情の思い出ファイル」とか、親離れ、愛情の中枢、利他心のインプット、そういう言葉が、とてもわかりやすく、かみ砕いて、優しく語りかけてもらっているように感じました。だから、とても、依存症になぜなってしまったのか、理解がすっと入ってくると思いました。

そして、自分の欠落度合いに、脚本の中で桃子さんが言うように、私ももうダメなんじゃないか、今さら愛情の思い出ファイルを作り直せるわけじゃなし、と思うけど、それは、私だけではないのだと、劇の通しをしながら思いました。たぶん、みんな、そう思っている、と思いました。ここにいない、依存症の人も、みんな、そう思うはずで、これは私だけじゃないのだと思うと、少し勇気が出る気がしました。

 愛を伝えるために生きるということ、使命があるということ、宇宙の中の一部だということ、ダークマターと愛、それらのことが、私の中でまだうまく繋がらない感じがあり、理解、脚本の理解を、もっと深めたいです。答えは目の前にあるということが、本当に得難く、ありがたく思います。

◆誕生日
 みんなが歌ってくれる表情、メッセージを言ってくれる表情、メッセージの言葉や内容が、とてもとても、優しくて、暖かくて、感激しました。
 本当に嬉しかったです。
 私が普段、人と関わることを苦しく感じるとき、心を占めているのは紛れもなく被害感情なのだと思いました。
 大好きと言ってくれたり、一緒にいられるだけで嬉しいとか、心から私を好きでいてくれたり、プラスに評価してくれているのをありありと感じて、一人ひとりに対して、そんなふうに思ってくれてたんだ……! ということばかりでした。

 一人ひとりのメッセージの長さにも驚きました。ただただ、ありがたく、嬉しかったです。私が、悪いことをしてしまった、気まずくなってしまっている気がする、相手は私を苦手に思っているだろうなという人が、全然そうではない顔とメッセージを心からの言葉で言ってくれて本当にそう思ってくれているのを感じて、本当に、驚いたし、ただただ、嬉しかったです。

 私は、みんなに認めてもらっているのだと思いました。みんなが私のことを大切に思ってくれている、大切にしてもらっているのを感じました。それは、とてもとても、嬉しくて心地よくて、まさに小腸が喜んでいる感覚のように思いました。

 なのはなに来なかったら得ることのできなかった、自分が認められている感覚、大切に思ってもらっている感覚、脚本の中にもあるように、自分が生きるために必要だったのに、育つ過程で得られなかった、その感覚だと思いました。
 今日の感覚を忘れずに、私もなのはなの仲間の一人ひとりのことを大切にしたいと強く思ったし、一人ひとりとの人間関係を大切にしたいと思ったし、みんなの中で、自分を作っていきたいし、良い影響を与える存在でありたいと思ったし、笑顔で、機嫌よくいたいと思いました。

 私のダメなところ、悪いところもある、それも込みで、それでも、みんなは私を良く思ってくれていて、私を認めてくれているのだと思いました。

 私は、なのはなにいられること、縁があることがありがたいと思っていて、幸せだと思っています。本当に得難いことだと思っています。その思いは、今日が誕生日でそう感じたというより、常々思っていることです。世の中で、私が生きるべきところ生きたいところは他にないと思っています。

 自分はずっとなのはなにいればいいと、思うことがあります。うまく表現できないのですが、それは、甘えるということではなくて、今まで無理にも走り続けようと苦しんできた枠組みで通用するようにならなければいけないということはもう私には必要なくて、私には、なのはながあればいいということです。自分が生まれながらに持っている使命を果たす生き方をしていけたらそれでよくて、そのために必要な力をつけられたらいいや、苦しんでまで頑張らなくていい、それよりも幸せに生きたいと思います。

 今日は、違う次元で、みんなと一緒にいられることの、深さ、ありがたさ、嬉しさ、大切さというのを感じました。
 お互いに大切に思いあう、認め合う、認められていると感じること、そういう人間関係を作ること、そういう人間関係を感じることが、安心するということで、そのうえでの、今を楽しむことに徹するとか、今がすべてで今しかないのだということ。安心して一緒に今を楽しみ、一緒に喜び合うこと、その仲間が周りにいるということ、そしてそのことが、それを積み重ねていくことが、傷を癒していくのではないか……と思いました。