「良く生きることだけは」 えつこ

11月14日

 一昨日のことになってしまいますが、脚本についてのせいこちゃんの質問に対する、お父さんの答えが、じわじわと心にきています。私はそこの解釈について勘違いをしていました。とうこさんは、私なのだと思いました。

 自分の中に渦巻いている利己心についてどう考えたら良いのか、という答えがそこにあるような気がしました。私は、みんなとは違う人間である、と思っていました。良くなりたいという気持ちはあっても、不真面目さや得をしたい気持ちが完全に消せなくて、それは私がおかしいからだと、思っていました。

 ギブソン的な要素は、みんなの中にも、大なり小なりあるものなので、それを表に出すか出さないかの違いなのだと思いました。これはデリケートで難しい問題だと、お父さんが言っていたので、簡単にわかったような気にはなってはいけないです。でも、完全に清浄な人間になどなれないものなのだと思うと、心が軽くなりました。だからといって、利己心を自分に許しても良いというわけではないのですが。

 完全に利他心の人になれないのなら、利己心の人になってやると思ってしまうことは、私にもありました。自分に正直になってみました。身体は楽でした。でも、虚しかったです。こんなはずじゃない、これは間違っていると、自分が一番わかっているから、苦しかったです。かなり甘えてしまって、色んな人に迷惑をかけてしまい、とても申し訳なかったです。でも、私は、回復することを完全には諦めていません。

 どちらにもなりきれないのなら、どうせなら、希望のある方を選ぼう、そう思いました。利他的に生きようとすると、自分の利己的なところを感じて苦しくなることもあるけれど、その先には希望があります。諦めて、利己的になろうとすると、楽ではあるけれど、苦しいし希望もありません。どんなに未熟でも格好悪くても、良く生きることだけは諦めてはいけないと、思いました。

 昨日の通し練習で、練習不足に対する危機感をとても感じました。その後のアンサンブル練習の時間が、とても濃くてありがたかったです。私はみんなでみんなは私、という気持ちで演奏をしたいです。焦る気持ちはありますが、ピンチはチャンスです。みんなのために、必ず吹けるようにします。