7月2日
○ハウスミーティング
ハウスミーティングでのお話が嬉しかったです。自分の優れていると思うところを書くことに抵抗がある、「そうじゃないだろ」と言われるような気がしてしまう、という私の質問に、お父さんは、身の周りの大人に管理されて、それを頑張って守ろうとしてきたからだ、と答えてくださいました。誰か自分を管理している人がいる気がしてしまう。本当は誰もいないのに、と。
お金持ちの家の子供で、将来働いても働かなくてもお金に困らないような子で、汚いことも綺麗なことも、羽目を外したこともできるような子、クラスにいなかった? そういう子は、なにも気にせずに自分の優れているところが書ける。
管理してきた人をちゃんと切って、ちょっとずつできる範囲で羽目を外していったらいいんだ、と教えてくださいました。
それを聞いて、ひとつの視点からの私の症状の理由が見えた気がしました。こうでなくちゃ、が強すぎて、そこから逃げたかったんだと。お金を使うにも、無駄遣いは駄目だ、と思ったら、友達とディズニーランドに行ったときにお揃いでみんなで耳のカチューシャ買おう、となったときにも無駄遣いに思えて買えないくせに、それが弾けて買い物依存になったら買いあさる。
勉強も、やらなくちゃ、と思うと本を読むことさえ勉強をさぼっている気がして、ほどよい息抜きができなくて、破裂したり、逃げ出したい気持ちを抱えながらすることになってしまう。
「こうでなくちゃ」の管理された檻の中か、症状を出して人間じゃなくなって檻を破壊するかのどちらかでした。破壊しても結局罪悪感の鎖で繋がれているので戻ってきてしまうのです。
だから私は、症状を全て捨てて回復する、ということは、飛び出したりしないで、あの管理された檻の中にすっぽり大人しく収まれるようになることだと思っていた、ということに、今日のお話を聞いて気付きました。
違うんだ、ということに気付きました。症状を全て捨てて回復するということは、人間のまま檻から出ていくということなんだと。つまり、こうでなくちゃを捨てて、融通を利かせることができるようになって、完璧でなくても罪悪感を感じずに生きられるようになれることなんだと。
逃げ道を完全に断つことが怖かったのは、断った先には檻があるだけだと思っていたからでした。違うなら、全部断てる、と思いました。今、ミーティングを受けさせてもらえるのがすごくありがたいです。
読んでくださってありがとうございます。明後日は大原で一番大きい全国統一模試です。ミーティングと並行して進めていきます。おやすみなさい。