6月29日
個人的なことなのですが、今日、私は21歳の誕生日を迎えました。みんなの誕生日のお祝いをする時はすごく嬉しい気持ちになるのに、自分のこととなるとすごく恥ずかしくて、緊張して、昨日からずっとそわそわしていました。
でも、今日はなんと朝食の席からお父さんの姿もあって、たくさんの家族にお祝いの言葉をもらって、特別な1日が、嫌なものではなくやっぱり嬉しかったです。
自分は、すごく未熟で間違ったことや失敗をしてしまうことも多いし、気の利かない部分もたくさんあって迷惑をかけてしまうこともあるはずなのに、お父さんお母さん、みんなになのはなの仲間の一人として受け入れてもらって、今こうして生活させてもらえていることが本当にありがたくて幸せなことだなと思います。
みんなが自分に対して言ってくれたことは、正直言うと自分で思っていた自分の姿とまるっきり違っていました。自分で自分のことがあまり分からないというのもあるけれど、普段は自分の悪いところが目に入るごと、どうしようもないくらいにみんなに対して申し訳ない気持ち、寂しい気持ちになって、嫌われてしまっているんじゃないか、という思考に走ってしまうことがあります。
でも、60人の家族が、みんな、自分の中にたくさん肯定的ないい部分を見てくれていて、自分では自分のことを信じられなくても、こうした仲間の存在が、これからも大丈夫という気持ちにさせてくれました。
最近では勉強をさせてもらっている時間のほうが長くて、みんなと一緒に畑に出たり活動したりできる時間は短くなってしまったけれど、その中でも、みんなの中にいることで吸収させてもらえることがたくさんあって、みんなの存在のおかげで、毎日良く生きたいと思い続けることができているなと思います。そして、そんな環境や仲間が、本当にかけがえのない宝物で、その中にいさせてもらっていることがありがたいことだと感じます。
お母さんが、
「自分で自分のことを分からなくても、みんなが嬉しいと言ってくれること、思ってくれることをやっていったらいいし、それが自分になっていく」
ということを話してくださって、その言葉にすごく救われた気持ちになったし、心に残りました。
私は、確かに小さい頃から真面目さだけはずっとあったかもしれません。でも、それは今の世の中ではある意味のけものにされることも多くて、ある時から自分を捨てて、全部目の前の人に合わせるように、何でもいい加減にやっている振りをしないと生きていけなくなって、それがずっと、ずっと、苦しかったんだなと思います。そしていつの間にか自分というのか何者かも分からなくなって、どうやって生きていったらいいのか、ずっとさ迷っていたんだと思います。
なのはなでの生活が当たり前になってくると、誰も蹴落としたり悪く言う人がいない、優しい空気が、ある意味、特別であること、そのこと自体忘れかけてしまうくらいでした。でも、それが今までは当たり前ではなくて、ずっと求めていた場所でした。
例え今は自分というものがちっぽけな存在に思えても、日々優しい気持ちを持ち続けていたら、それでいいんだ。自分ができていないところ、足りていないところもたくさんあるけれど、一番大事なのはその気持ちなんだってことが分かって、すごく安心した気持ちになったし、これからも、そのことをずっと心にとめておきたいと思いました。
これから少しでもなのはなのみんなの力になれるように、毎日できることを精一杯やっていきたいです。今日は1日ありがとうございました。
読んでくださりありがとうございました。
おやすみなさい。