「自己肯定」 まみ

6月20日

 夜の集合のとき、ハウスミーティングで印象に残ったことについて、やすよちゃんが話してくれたことで、
「自己肯定感は、例えば、廊下に落ちているゴミを拾ったら、その自分を褒める」
 ということと、ななほちゃんの話をしてくれたことが、印象に残りました。お父さんが、
「自己肯定の深さにはレベルがある。ゴミを拾ったことについて、“神様、私はゴミを拾いました、良いことをしました”とは報告しないでしょ。当たり前のことだから。深いレベルの自己肯定は、勇気を持って、正義を通して自分がよかれと思って行ったことを、“神様、自分のしたことはあっているでしょうか”と、報告するようなこと」
 と、教えてくださいました。

 例えば、それを言ったりやったりしたら反発を受けたり、怒られたりするかもしれないけれど、きっとそのほうが周りの為にいいからと、よかれの気持ちで、勇気を持って言ったり、行ったことが、深いレベルでの自己肯定に繋がる、と、教えてもらいました。
 私も、自己肯定がどういうものなのか解りませんでした。もっと漠然とした、抽象的に自分を褒めることかなと思っていて、それが凄く難しいなと思っていたのですが、
「抽象的なものじゃなくて、自己肯定には必ず行動が伴う」
 と、お父さんが教えてくださって、怒られるかもしれないとか自分を守る気持ちを捨てて、自分がよかれと思う気持ち、正義と、勇気を持っていないと、自分を肯定することは出来ないのだなと思いました。

 私は難しくて、お父さんが話してくださることが全部はわからなかったのですが、りなちゃんやまなかちゃんが話してくれた、
「理想を持っているから、自己否定する気持ちが出てくる」
 と、話してくれたことも、難しかったのですが、自己否定する気持ちは100%悪いことではないのかな、自己否定は、全部消してしまわないといけないものではないのかなと思いました。
 難しかったので、まずはゴミを拾ったりしたときの、これが出来たと褒めるところから、一歩ずつ始められたらと思いました。

 また、まなかちゃんが話してくれた、
「日記は、自分が一人になることだから、もっとも自分が出る。独りよがりになってはいけなくて、誰かに見られている意識で一人を慎むことが大事」
 が、はっとして、とても印象に残りました。
 日記は、一人になっている場所で、もっとも自分が出る場所なのだなと思いました。だから、自分一人だから、何を書いてもいいわけじゃない。いつもお母さんが、教えてくださる「一人を慎む」が、本当に大事なことで、何をしているときも忘れてしまっていてはいけない、誰が見ても見ていなくても、ちゃんと律することを改めて思いました。
「一人を慎む」を、いつも胸に置いておきたいです。