「遊び」 ななほ

6月18日

 ある、秘密の練習と、ある秘密の準備があるため、時間はないけれど、15分限定で日記を書きます。

 昨夜、ほんの少しの時間だったけれど、お父さんとお母さんに話を聞いて頂けて嬉しかったです。

 今、月曜日がソフトバレー、火曜日がギター教室、水曜日が金時太鼓、木曜日が版画教室と習い事が続く中で、(これでいいんだろうか?)と思う気持ちがありました。

 ギターの練習も毎日したいけれど、ギター教室以外の日に週に1回できるかできないかだったり、版画教室もそれほど絵の才能も、技術も何もない私がやっていていいんだろうかと思ったりしていました。
 だからと言って、ギター教室に行くと、(ああ、やっぱりギターを弾くのは楽しいな。このまま夜通し練習していたいな)と思うくらい、楽しいです。そして、版画教室に行くと、(私は絵を描くのが下手だけれど、好きなんだな)と思うし、版画教室の集中した空気や、頭と心を使って考える時間がとても夢中になって、大好きです。

 私はお父さんとお母さんも知っている通り、なのはなに来るまで勉強しかしてこなかったんだなと改めて思います。1人でどこにも行ったことがないし、何か見たり聞いたりも学校の教科書とか、教材のようなモノからしか得てこなかったし、友達と遊ぶとか、野外で遊ぶとかもほとんどしてこなかったです。というより、私はしてはいけないと思っていました。遊んではいけない、楽しんではいけない、今は我慢の時、勉強の時だと思いこむようになっていました。

 音楽も、絵を描くことも、殆どしたことがない。遊んだことがないし、遊び心が分からない。いつもちゃんとしないといけない、真面目で居続けないといけない、自分は遊んではいけない、遊びは無駄だと思わされてきました。

 お父さんが、
「ななほは今まで育ってきた中で、自分ができないものや、怒られるんじゃないかと思うものを、最初からない方がいいと思うようになったんじゃないかな。怒られるようなことは1つでも少ない方がいいからね」
 と話して下さり、その通りかもしれないなと思いました。

 お父さんが夜の集合でも話していたように、ギターの練習ができていないことに対して誰かに怒られるような感覚があったり、自分で自分に、(どうしてもっと、真面目に練習をしないんだ)(どうしてちゃんとできないんだ、こんなでは上達しないに決まっている)とダメだしするような気持ちになったり、版画教室も私は絵が下手だという気持ちがずっとあった様に感じました。

 それを思った時、5,6歳のころと同じだなと思い、すごく納得して嬉しかったです。ピアノの練習をしていないことについて毎日、母親から、「またピアノの先生に泣かされるよ」とか、「ゆりえちゃんは毎日練習しているって、だから上手なんだよ。同い年なのに悔しいと思わないの?」とがみがみ言われたりして、ものすごく苦しかったです。でも練習が続かなくて、気持ちが続かなくて、毎週のようにピアノの先生に怒鳴られて絶対に泣いてしまったし、本当は行きたくない、やりたくないけれど辞めることが許されなかったです。

 お父さんが、
「遊ぶ楽しさや、こんな風にしようかなと考える面白さを、ななほに感じてほしい、楽しんでほしいだけなんだよ」
 と話して下さり、本当にそれだけでいいんだなと思ったし、自分自身にもそう思えて涙が出てきました。

 私はどこか、期待されているんじゃないかとか、頑張らないといけない、私はどこまでもちゃんとしないといけないという気持ちが強くあったなと思いました。でも、なのはなのお父さんお母さん、みんなは私を絶対評価でみてくれています。よい意味で私の未来に期待してくれて、私の能力とかできるできないに対する期待ではなく、なのはなが大切にする利他心の気持ちで生きること、なのはなの子として新しい世界を切り拓いていく1人であることに期待してくれているのを感じます。

 その期待は、私がなのはなに来る前に、期待されていたものとは全く別なものなのだと、改めて思いました。苦しくならない期待です。無理にならない期待です。
 私はどこか勘違いしていたと思うし、頭の中で分かっていても、あまりにも過去の期待の印象が強くて、知らず知らずに間に自分で自分の首を縛っていたと思いました。

 昨日、お父さんとお母さんと話をして、すごく頭の中がクリアになったことを感じたし、改めてなのはなでの生活はダンスでも、畑でも、音楽でもスポーツでも、何をしていても楽しくて、生きがいを感じて、希望を感じて、なのはなにいられることが幸せだなと思います。