2022年スプリングコンサート 感想文集

「たった一つの答え」 りな

 

 4月10日、私達のスプリングコンサートがありました。この日は、あゆみちゃんのお誕生日でもあり、なのはなの創立記念日でもありました。この日にコンサートをすることになったのが、とても運命的なものを感じて、ダークマターに導かれているような気がしました。

 

 

 私は、今回のスプリングコンサートで初めて舞台美術の係に入りました。係には本当にたくさんの種類があって、ステージの上に関係する係もあれば、衣装や、ロビーでの企画、看板係などもありました。コンサートは、ただ舞台の上のことだけでなく、全てを含めてコンサートなんだなあと思いました。舞台背景を作ったり、照明も、自分たちで行う、オリジナルのコンサートなんだなあと、実感しました。

 

 

 全員が、係の中に入って、みんなで作るコンサートだなあと思いました。大きくても小さくても、一人ひとりがお互いに影響しあって、誰一人として欠けてはならない存在でした。私もその一人でした。ほんの小さな力かもしれないけれど、必要としてくれる人がいて、大きな流れを動かす一人なんだと思うと、嬉しかったです。舞台美術係は初めてで分からないこともたくさんありました。でも、まえちゃんや、係のみんなが一緒になって巻き込んでくれて、背景の制作をしたことがとても楽しかったです。

 舞台背景にも、お母さんやまえちゃん、係のみんなの気持ちがこもって出来ているんだなあと知りました。下地から、細かなところまで緻密に、精度高く作られる過程を知って、舞台背景がもっともっと好きになりました。

 

 

 ホール入り1日目には、舞台背景の吊り物と、パイプの組み立てに入らせてもらいました。吊り物は、お父さんとお母さん、あゆちゃん、ホール入りしたみんなと一緒に吊りました。長い尾のついた、大きな流れ星でした。ホールの竹内さんが何回もバトンの上げ下げをしてくださって、みんなで綺麗な流れ星を吊るために、試行錯誤しながら考えている時間が、難しかったけれど、とても楽しかったです。お父さんがバトンの近くで布を絞ってくださると、本当に今流れている最中の流れ星になって、とても嬉しかったです。小さな星も点々と吊ると、舞台の上に、お父さんが描いてくださったストーリーが見えるようでした。照明が当たって、紫色のライトの中で、星がキラキラ輝いていて、夜空のようでとても綺麗でした。

 本番の1週間前からホール入りが始まりました。その頃から、続々と卒業生が帰ってきてくれました。春のコンサートは畑と同時並行で、みんなで朝食前には、種まきした野菜の水やりをしました。そこには、卒業生の姿もありました。ほんの25分程度しかない時間でも、みんなで畑を移動するときは走って、水やりする時間がとても活気がありました。誰もがきびきびと動いて、朝食前に水やりを終わらせられた時、とても達成感を感じて、清々しい気持ちになりました。帰り道には、サクラの花が満開に咲いている光景や、モクレンの花がたくさん咲いている光景をみんなで見ました。そのたびに、心にもぽっと花が咲いたように、とても温かい気持ちになりました。

 

 

 苗の水やりに入った時に、苗もハウスの中で、私達と同じようにすくすくと成長していました。ホール期間中は、お昼には台所の方々が苗に水やりをしてくださり、夕方のハウス閉めはお仕事から帰ってきたお仕事組さんがしてくださっていることを聞きました。私達の知らない所でも、色んな方が本当にたくさん支えて下さっているから、私達は練習に気持ちを入れることが出来るんだなあと改めて感じて、目の奥が熱くなりました。みんなの存在がとても心強く感じました。誰もが役割の中で自分の出せるベストを尽くさないと、コンサートは出来ないんだなあと思いました。苗のお話を聞いて、とても勇気をもらいました。私達のコンサートは、本当にみんなで作るコンサートなんだなあと思いました。

 

 

 練習が始まったのは、1月からでした。2年ぶりのコンサートで、まだコンサートを経験していない新しいメンバーとも一緒に向かうコンサートでした。最初は、卒業生ののんちゃんに、『マディ・ウォーターズ』と『バード・セット・フリー』『ホーリー・ウォーター』のダンスの振り入れをしてもらいました。そして、お仕事組さんのいて下さる休日は、音楽合宿をして、1日、コンサート練習に打ち込みました。

 練習は、決して楽ではありませんでした。あゆちゃんに、ダンスを分解して見てもらって、みんなであるべき綺麗な形を揃えました。ダンスはポーズの連続で、一つひとつのポーズにあるべき形は一つしかありません。その形を、あゆちゃんと、みんなと探しました。

 綺麗な形は、とても厳しい姿勢でした。ずっとその形で静止しているだけで、汗でびっしょり濡れました。心が折れそうになる時もありました。どこか、日常の延長上で甘えた自分がいました。でも、お父さん、お母さん、あゆちゃんの言葉に、何度も目を覚まさせてもらいました。

 なぜ、プロの劇団でもない、吹奏楽部でもない、私達がコンサートをするのか。それを、お父さんがかみ砕いて話してくださりました。私達は、プロのようにダンスを完ぺきに踊ることは出来ないけれど、伝えたい気持ちがあります。学校の学芸会のように、劇のための劇じゃなくて、お客さんに見てほしい景色、気持ちがあって、そのことを伝えるために、コンサートをしているのだと、話してくださりました。それを、忘れてはならないと思いました。

 私達が伝えたいメッセージ、人はどう生きていくべきなのか、その答えを、お父さんが脚本で書いてくださりました。それは、お客さんに伝えるメッセージだけれど、私達にも直結していて、私達が求めている答えでした。

 

 宇宙という壮大なテーマだけれど、伝えたいことは、たった一つでした。主人公たちが、剣を使って旅に出て、最後にはずっと求め続けていた答えにたどり着きます。アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙は、私達が作り出したものではなく、本当に実在しているものだとお父さんが教えて下さりました。ストーリーの中で、ナナポンがくわえて博士に持ってきたように、私達も、ダークマターによって、偶然ではなく必然に、手紙にたどり着いたように感じました。

 今、私が生きることが出来るのは、当たり前ではありません。コンサートの練習期間、ウクライナでは戦争が起こっていました。お父さんとお母さんから、ウクライナのお話を聞きました。まだ20歳になっていない若者が、祖国を守るために清々しい笑顔で戦場に向かっていくこと、他の国にいたウクライナの人たちが次々にウクライナに帰って、祖国を守る戦いをしていることを聞いて、涙が出ました。私も同じ人間だけれど、私も愛する国や、人を守るために命をかけることが出来るだろうか、と思いました。私はとても臆病です。でも、本当に果たすべき役割のために、命をかけて戦える人になりたい、と思いました。今、この瞬間にも勇敢に戦っているウクライナの人々を思うと、とても勇気をもらいました。私も、依存の気持ち、怖さから逃げずに、向き合って戦い続けたいと思いました。

 

 

 『バード・セット・フリー』は、私達の戦いの曲です。振りの中で、刀を振り上げるところがあります。
「一人ひとりが心の中に、刀を持っているんだよ」
 あゆちゃんが教えてくれました。依存の気持ち、怖さ、欲、雑念、人を生きられなくさせるものを皮一枚残さず切ることの出来る刀です。毎日毎日、その刀を研ぎ続ける。そのことを1秒たりともやめない。その覚悟を持って踊りたいと思いました。長くて重い刀を、ちゃんと見て、力強く踏ん張って切る練習を、何度も何度も、みんなとしました。踊りながら、だんだんと気持ちが作られていくような気がしました。

 お父さんの脚本には、盛男おじいちゃんの戦争の体験も盛り込まれていました。盛男おじいちゃんに向けて、みんなと一緒にコーラスを歌う、『ディープ・ウォーター』。おじいちゃんが私達に残してくれた青春の詩を思いながら、音楽室で、みんなでぎゅうぎゅうになって、コーラス練習をしました。

 

 

 あゆちゃんが前で聞いてくれる中、みんなで足踏みをして歌う時間が、とても温かかったです。『青春』の詩という、おじいちゃんからの大切なプレゼントを胸に刻んで、首を垂れるような、祈るような気持で歌いました。すぐ近くにおじいちゃんが聞いてくれているような気がしました。全員の声が一つにまとまって、包み込まれているような安心した気持ちになりました。

 

 演劇練習が始まり、私はゆりかちゃんとふみちゃんと、たかおファミリーをすることになりました。ゆりかちゃんとふみちゃんと、夜の時間も使って何回も、劇の練習をしました。
 気づけば、誰が何を言わなくても、3人で集まるようになりました。1人ずつ見合いながら、3人で、お互いの役をより良く出来るように考えるようになりました。

 

 

 私は、たかおの子供役をさせてもらいました。子供のたかおは、まさに私達のことなんだなあと思いました。私達が苦しんできた家庭を、劇で表現します。劇の中でも、共感するところがたくさんありました。
「演技のための演技になっている。演技はしない。景色を曖昧にしないで、なりきらないといけないよ」
 お父さんが言ってくださりました。その言葉を聞いて、はっとしました。心のどこかで、演技にしてしまっていて、気持ちを入れることに蓋をしてしまっていたと思いました。
「どんなに小さな役割でも、いつも自分の出せるベストを尽くす」
 お父さんの言葉を思い出しました。私も、たかおの子供の役を、精一杯で全うしたいと思いました。

 後半のソロモン王のシーンで、再びたかおファミリーが出ることになりました。でも、次は愛情にあふれた家庭を再現します。図書室で、てつおファミリーのみんなと練習した時間がとても心に残っています。
 その時、てつおファミリーの演技を見るのは初めてでした。ゆりかちゃんとふみちゃんと一緒に、てつおファミリーの演技を前で見させてもらいました。声はないけれど、4人の表情を見ているだけで、胸がいっぱいになっていつのまにか涙が溢れていました。

 

 

 声はないし、何を話しているか分からないけれど、声がなくても伝わるものがありました。一人ひとりの表情だけで、本当に心がぎゅっとなって、こんな風に伝わるんだなあと感じました。私達の家族のシーンも、まだ見ぬたった一人の人に伝わるものにしたいなあと思いました。

 お父さんが虫取りの台本を作ってくださって、声には出さなくても、3人で、台本の言葉で話しました。お父さんが書いてくださった台本は、読んでいるだけでも、その光景が浮かんでとても満たされた気持ちになりました。お父さんが、「たけちゃんになって演じたらいいんだよ」、そう言ってくださりました。きっとたけちゃんなら、お父さんとお母さんと一緒に遊びに行ける虫取りが楽しくて楽しくて、夢中になって遊んでいるだろうなあと思いました。たけちゃんになって、私も心から虫取りを楽しんだらいいんだなあと思いました。

 

 

 お父さん役のふみちゃんと、お母さん役のゆりかちゃんと一緒に何回も夜の時間を使って練習しました。練習をするたびに、お父さんとお母さんをしてくれるふみちゃんとゆりかちゃんがとても温かい笑顔を向けてくれて、本当の家族のようでした。2人の存在がとても心強く感じたし、安心して信頼できるような気がしました。子供に返ったように、3人が同じ土俵の上で、虫取りを楽しんでいました。家族は、本当はこうあるべきなんだなあと、お父さんの台本を読んで、具体的に、心の中に入っていくような気がしました。足元の幸せを感じて、とても心が温かくなりました。幸せは、未来にあるものではなくて、目の前の足元にあるものなんだなあと思いました。学歴とか、物が豊かであることが幸せに繋がることではなくて、本当に誰にでも感じることの出来る、毎日の生活に転がっているほんの小さなことなんだなあと思いました。その幸せを感じられるかどうかは、心持ち次第なんだなあと思いました。

 お父さんの脚本の中でソロモン王が話す言葉と繋がりました。その日の幸せを噛みしめながら生きていくこと、それは愛のある生活をすることに通じるのではないかと思いました。
「大人になると、一度経験したことを、新鮮に感じることをせずに、効率、能率を求めて省略してしまうんだよ。子供は、1回1回、その日あったことを新鮮に、全てで感じ取ろうとするんだよ」
 お父さんが話してくださって、より理解が深まったような気がしました。大人時間と子供時間が、本当にあるのだと思いました。私達が大人時間の中で、効率に急かされて生きるようになったならば、すぐに苦しくなってしまうのだと思いました。そう、私達を作ったダークマターが仕込んだのだと思いました。愛のある世界を作るために、私達は生かされているのだと思います。私達から愛のある生活を実践していくことが、生きていくたった一つの理由で、世界を救うための答えなのだと思いました。

 

 

 アインシュタインの娘のリーゼルは、私達自身のことで、一人ひとりが自分の人生の主人公なのだと思いました。誰かの人生を歩むことも、私の人生を誰かに歩んでもらうことも出来ません。だから、自分自身を否定したり、精一杯で生きることから逃げてはいけないのだと思いました。

「リーゼルになって、愛の世界を作るために行ってくるよ! とお客さんに言わないといけないよ。愛のある世界を景色で明確に見て、その世界を作るためにこれからどう生きていくのか、その過程まで、見てくれる人に伝えるんだよ」
 あゆちゃんが、ラストの『バード・セット・フリー』の気持ちを話してくれました。愛のある世界を思い描いたときに、小さいことではあるかもしれないけれど、てつおたかおファミリーの家族が真っ先にうかびました。

 これから生まれてくる子たちが、もう二度と私達と同じような苦しさを抱えないように、私達が変えていかなければならないと思いました。その道はきっと楽ではないけれど、逃げずに戦い続けます。そう思って『バード・セット・フリー』を踊りました。

 コンサートの練習を始めた当初、ダンスはフォーメーションががたがただったり、足の動きが揃っていなかったりして、たくさんお父さんやお母さん、あゆちゃんから厳しい言葉をもらいました。
 練習も、のんちゃんやゆりかちゃんが前から見てくれて、基本的なところから厳しくそろえる練習を出来るまで繰り返しました。
 決してそれは楽ではなかったけれど、あの時の厳しさがあったから、今、感じられるものがあると思います。

 最終の音楽合宿のテーマは、「凡事徹底」でした。当たり前のことをきちんとする。それがどれほど大切なのかを身に染みて感じました。
 当たり前のことが出来ていなかったから、それがステージの上でも見えることを知りました。日々の生活で、服をたたむ、片付ける、綺麗に掃除をする。そのことがとても尊いのだと気づきました。
 ステージから袖幕だけで繋がっている舞台袖で、どう待機するのかがとても重要なことを知りました。
 ステージで舞台回しをしている人と同じ気持ちで、心のなかで同じように脚本を読む。もし、役者がセリフを忘れてしまっても、舞台袖からでもすぐにフォローできる、それで初めてなのはなのステージになるのだと思いました。
 ステージと舞台袖が分裂することなく、どんな役割であっても、いつでも、どこでも伝えたい気持ちは一緒なんだと思いました。

 

 

 4月10日、たくさんの家族に囲まれてコンサートを迎えられて、本当に幸せだなあと思いました。緊張感はあったけれど、なぜだかダークマターに守られているような、とても温かい気持ちになりました。
 緞帳が降りられて、『マディ・ウォーターズ』のフォーメーションで待っているとき、緞帳の向こう側から、やよいちゃんの声が聞こえました。やよいちゃんの言葉に一層気持ちが引き締まる思いがしたし、ここにいるみんなと一緒に、この物語の旅を永遠にするんだなあと感じました。

 ステージに立つ役者のみんなが、何百人のお客さんを前にしても堂々と、生き生きと演じている姿に、とても希望をもらいました。こんなにも頼もしい仲間が私にはたくさんいて、そのことがとても幸せで、誇らしく思いました。
 舞台袖では、誰もがステージの上での演技を真剣に見守っている姿がありました。早着替えがある、という時には、すかさず衣装部さんが笑顔で助けてくれて、笑顔でポン、と背中を押してくれました。

 たくさんのお客さんの前で、ダンスを踊ったり演技をするのは、とても緊張して勇気がいりました。でも、みんなファミリーで仲間なんだ、そう思うと、パワーをたくさんもらいました。たかおの幼少期の劇をした後、舞台袖で衣装の着替えをしていると、みんなの力強い『グレイテスト』のコーラスが聞こえてきました。みんなが、一緒になって怒ってくれているようで、子供の私が救われるような気がしました。

 お客さんの顔は見えなくても、温かくみてくださっていることを感じました。ホール全体にダークマターが満ち満ちているような、そんな感覚でした。本番が一番気持ちを込めることが出来て、お客さんからの反応で、伝わったんだと、実感しました。なのはなのコンサートは、お客さんとの間にあるものなのだなとあたらめて思いました。

 

 

 コンサートは大成功に終わったけれど、4か月前の私達には出来なかったことで、4か月間の練習の期間があったから果たすことが出来たんだなあと思いました。ただ厳しい練習ではなくて、練習の中で、見せる意識や表現したい気持ちが作られていきました。そして、お父さんの描いてくださった脚本は、お客さんに向けて、そして私達に向けて、どう生きていくかのたった一つの答えがありました。演劇を通して、ダンス、コーラスを通して表現しているうちに、日常生活でも、心持ちが変わっていくような気がしました。

 コンサートが終わって、少し寂しい気持ちはあるけれど、コンサートを練習してきた期間は私にとってかけがえのない宝物で、心に刻まれる永遠になったんだなあと思いました。コンサートが終わっても、コンサートを通して感じたこと、気づいたことを忘れないで、ここから積み上げていきたいなあと思いました。愛のある世界を作る使命のある者として、愛のある生活を自分たちから広げていく一人になります。 

 

 

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