2022年スプリングコンサート 感想文集

「一瞬は永遠」 ゆりか

 

 

 スプリングコンサートが大成功で幕を閉じました。
 人は何の為に生まれたのか、本当の幸せとは何なのか。今回のコンサートは、その答えを見つける旅でした。お父さん、お母さん、みんなと、コンサート当日に来てくださったたくさんのお客さんと一緒に、旅を終えて帰ってきた今、みんなと共有した充実感と、
「次は私たちが、宇宙を司る愛を世界に伝える番だ」
 という思いが、じわじわと心に充ち満ちています。

 コンサート当日の朝、お父さんが昨夜遅くまでかかって新しく書いてくださった、最後のご挨拶の原稿を、お母さんが読んでくださいました。
 今回のコンサートは、盛男おじいちゃんの追悼コンサートで、盛男おじいちゃんが教えてくださったことをコンサートに盛り込んだこと。盛男おじいちゃんにどうか届きますようにという思いでこのコンサートをみんなで作ったこと。
 そしてこのコンサートでお父さんの脚本が教えてくださる答えは、ダークマター、ダークエネルギーは、愛情そのものだった、ということ。
 アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙を、リーゼルに成り代わって、私たちが世の中に伝えるのだということ。
 お母さんが原稿を読んでくださって、心動かされ、涙が出ました。
 盛男おじいちゃんの笑顔が思い浮かびました。盛男おじいちゃんが折に触れて聞かせてくださったお話が思い出されました。
 盛男おじいちゃんがお正月に、書き初めに来てくださったときに、お迎えに行かせてもらった道中の車の中で、宇宙の話、人間の話、そして戦争の話をしてくださったことを、思い出しました。盛男おじいちゃんがこのコンサートをご覧になったら、きっとすごく喜んでくださると思いました。
 目線の先に、あのあたたかい盛男おじいちゃんの笑顔を思い浮かべて、コンサート本番に向かいました。

○コンサート当日のこと

 本番前、レッスンルームの昼食の場に、コンサートに携わってくださるたくさんの方たちが集まりました。
 正面の席には、お父さんお母さんと、カメラマンの中嶌さん、岡さん、ホールの竹内さん、高木さん、白井さん、須原さん、大竹さん、正田さん、岡本さん、忠政さんが座られました。みなさんが一言ずつお話をしてくださったのですが、どの方のコメントも、本当にあたたかくて、なのはなのみんなを応援してくれるものでした。なのはなファミリーのことを応援してくださる方、好きでいてくださる方、強力な味方がいてくださることが、本当に嬉しくて、力が漲る思いがしました。

 

 

 また、コンサート本番までにたくさんの卒業生のみんなが駆けつけてくれて、ダンスにはのんちゃん、りかちゃん、しほちゃん、えりさちゃんが出演してくれました。
 カメラやビデオ、受付や、直前の台所作業や、夜の片付けや食事準備など、帰ってきた卒業生のみんなが動いてくれていました。

 

 

 昼食の席は、レッスンルームの部屋いっぱいにたくさんの人が集って、ダークマターがぎゅっと詰まったような空間でした。
 なのはなファミリーを中心に、たくさんの人が集まってきてくれて、このコンサートを作らせてもらえることが嬉しかったです。

 

○コンサート前半

 幕前で、やよいちゃん演じるとうこさんが、「盛男おじいちゃん、見ていますか」という言葉からはじまる、昨夜にお父さんが考えてくださったセリフから、コンサートがはじまりました。
 盛男おじいちゃんが教えてくださったことをもとに、人は何の為に生まれてきたのか、なぜ生きるのかを考えるコンサートを、お父さんお母さん、みんなと作りました。
 物語の旅に、いよいよ出発します。

 やよいちゃんのセリフの後、お客さんから拍手が湧き起こったことが、本当に嬉しかったです。
 1曲目の『マディ・ウォーター』から、幕が開けました。
 何度もみんなと練習した手の動き、ここしかない止め、決めポーズの連続。みんなと揃えた動き、揃えた気持ちを、このたった1回しかない本番で、お客さんに見せたいという、祈るような思いで踊りました。

 祈りを捧げる振り付け、鳥の羽ばたきの振り付けのときに、盛男おじいちゃんのことを思いました。
 最後の捌ける場面は、ホールに来てから、お父さん、あゆちゃんに見てもらって、何度も練習しました。全員の気持ちが集中しているのを感じて、息を呑むような思いで、ここしかないタイミング、ポーズで、みんなとステージから走り去りました。

 

 

 おさらば三人組の場面から、演劇がはじまりました。
 のんちゃん演じるたかおさんの面白い動きに、客席からあたたかい笑いが起こっているのを、舞台袖から、本当に嬉しい思いで見ました。私自身もこの会場の一部となっていて、演じる側と、お客さんが共にコンサートの流れの中で心を動かしながら、コンサートを作っていることをひしひしと感じました。

 『リライト・ザ・スターズ』で、れいこちゃんが一輪車で颯爽と風を切って踊り、オレンジ色の旗が聖火のようにはためいて、お客さんを魅了しているのが袖幕にいても伝わってきました。あゆちゃん、ゆいちゃん、バンドメンバーの演奏は、なのはなファミリーのコンサートのはじまりだよ! というように、明るく、希望を感じさせるものでした。

 

 

 『アップ・タウン・ファンク』のとき、ひときわ会場が盛り上がりました。コーラスを歌っていて、ステージと会場との一体感を感じて、みんなで揺れているような感覚がありました。
 そのあとの博士の出の場面で、不具合のあったピンマイク交換のために、役者メンバーやまえちゃんたちが機転を利かせて、なおちゃんのマイク交換と舞台回しを、その場にいた全員が協力して、何事もなかったかのようにやってのけたのだということを、あとからみんなの話を聞かせてもらって知りました。

 やよいちゃんが、『アップ・タウン・ファンク』のダンスが終わったあとになおちゃんを引っ張って、下手に捌けてきて、みんなで取りかかってマイクの交換をし、その間舞台では、せいこちゃんが壊れたアンドロイドの演技をしていた、というエピソードを聞かせてもらって、その場面が目に浮かんだし、役者メンバーのみんなが本当に格好良くて、みんなのことが誇らしく、嬉しかったです。

 サミュエル・ウルマンの『青春』の詩が読まれた後、会場から拍手が起こりました。
「青春とは、人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯えた心を退ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心。こういう様相を青春と言うのだ。   
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」

 そのとき、客席から「そうだ!」というかけ声で賛同してくださった方がいらっしゃったことを、やよいちゃんから聞かせてもらって知りました。

 『ディープ・ウォータ』のコーラスの出番を待機するなかで、盛男おじいちゃんが教えてくださった『青春』の詩を、自分自身に何度も言い聞かせるように、この場面を心に入れて、盛男おじいちゃんのことを思って、青春の詩に読まれているような心に自分自身がなって、『ディープ・ウォーター』を、みんなと隊列を組み、歌いました。

 そのあとの『レインボー』は、なのはなのフラダンスをいつも喜んで褒めてくださって、南方の島での楽しいお話をたくさん聞かせてくださった盛男おじいちゃんに、心を込めて、みんなと笑顔で踊りました。

 

 

 『エイント・ユア・ママ』は、お客さんに向けて、
(あなたの家庭にもこういうこと、ありませんでしたか? たかおさんとてつおさんと、同じではなかったですか? 甘えた関係、ありませんか? それでいいのですか?)
 と、見る人に感じさせる踊りでした。
 笑顔で、おもしろく踊るダンスの中に、その次の場面を予感させるものを、強烈に伝えたい気持ちで踊りました。

 りなちゃん、ふみちゃんと、私はたかおファミリーの親子役を演じました。
 この家族の場面で私が演じる母親は、このコンサートの中で最も悪役であり、私はなのはなのみんなの代表として、自分達が育ってきた家庭を踏まえて、子どもや夫に甘えた母親役を演じました。
 私たちは愛のある家庭に育ってはこなかったです。会話がなかった、一緒に食卓を囲まなかった、お互いを思いやることはなかった。そのことに自分達は本当に傷ついて、この世とおさらばする寸前までいったのだということを、今回のお父さんの脚本を通じて、自分の中に深く落とし込みました。

 

 

「お母さんがゴミ焼却場のわけないでしょ?!」
「おやつ、食べちゃった! 今日はなし!」
 その2つのセリフのときに、お客さんから笑いが起こりました。ステージにいると、その笑いの中に、(わかるわかる)(うちもそう)(こういうの、あるよね)という共感が含まれているのを感じました。だからすごくセリフが言いやすかったです。お客さんに、この場面が意味することが伝わったことを、確かに感じました。

 『ホーリー・ウォーター』は、さきちゃん演じるてつおさんの切実な思いに乗せて、しかしその答えがコンサート後半にあります、という希望を込めて、てつおさんや自分達の苦しかったことが流れる水によって浄化されるように、神聖な気持ちで踊りました。

 この大人数ダンスも、手の動き、軌道、目線、歩き、そして気持ちの統一を何度もやりました。いまではみんなと1つの糸で繋がって踊っているような感覚がしました。
 中心では、卒業生ののんちゃん、あけみちゃん、しほちゃんが、水色のベールをまとった衣装で、ときに静かに、ときに激しく、のびやかな美しいダンスを踊ってくれました。
 のんちゃんたちが作ってくれる空気に、背筋の伸びるような思いが何度もしました。
 卒業生ののんちゃんが帰ってきてくれてダンスを踊ってくれたこと、忙しいなか何度もなのはなに帰ってきてくれて、ダンスの振り付けをしてくれたことが、本当に嬉しかったです。

 

○コンサート後半

 『時よ、前進!』から後半の幕が開けます。
 ビッグバンド演奏『時よ、前進!』はたけちゃんが大好きな曲で、昨年からさとみちゃんが楽譜を作ってくれて、みんなと練習を重ねてきました。

 アインシュタインが相対性理論を発見した後の場面で、あゆちゃんが歌う『イージー・オン・ミー』を、舞台袖から応援しました。
 青く輝くドレスに身を包んだあゆちゃんが、堂々とした様子で、本当に美しく優しい眼差しで、会場を包み込むように歌ってくれて、あゆちゃんの歌声やあゆちゃんのまとう空気感に、この曲、この場面が、心に染み渡りました。
 上品で、強くて優しいあゆちゃんが、自分達の先頭を切って、歌や演技で表現してくれる姿にとても憧れて、こんなに素敵な人がいつもすぐ側にいてくれることが嬉しくて、誇らしかったです。

 

 

 後半は、宇宙を作った人智を超えた何者かは、人間の美しい心を見るために宇宙を作ったということを、アインシュタイン博士が教えてくれます。

 

 自分達が、物質、反物質の素粒子の1つとなって、アインシュタイン博士の言葉とともに動いて、何者かによって宇宙が産み出された場面を表現し、ダークマターに自分自身が溶け込むような気持ちで、『プロミス・ディス』を踊りました。
 目線の先の調光室に、大竹さん、なるちゃんや、白井さん、どれみちゃん、まりのちゃんたちがいてくださって、照明、スポットライトが、眩しいくらいの光を放ち、みんなを照らしていました。
 
 ソロモン王に会いに行く場面に入る、『ニュー・シネマ・パラダイス』は、とにかく音を外さないことを第一に思って、ソロモン王に相応しい演奏にできるように、メロディーラインを引き継いで、重ねて、さやねちゃん、さとみちゃん、えつこちゃんに沿わせて演奏をしました。

 ソロモン王の場面、セリフが、私はコンサートの中でもとくに心に残って、自分にとって大切な、必要な答えで、好きな場面でした。
 その日の食事を楽しむこと。食べられること。家族と話ができること。それをかみしめるように味わうことが大事で、それがすべてと言っていい。
 愛には大きいも小さいもない。ただ足下にあるだけ。そのすべてを知ろうとしてはいけない。ただ、目の前の幸せを見つめる。
 目の前の人を思い合うことが愛で、幸せは遠くどこかにあるものではなく、ただ足下にあるものなのだと、ソロモン王が教えてくれたことが、今回のコンサートの過程で自分達の中に深く入ることができたことが、本当に嬉しかったです。

 

 

 私はたかおファミリーで、りなちゃん、ふみちゃんと一緒に、ソロモン王のセリフの後ろで、理想の家庭の演技をさせてもらいました。このことが本当に嬉しかったです。
 私たち3人とも、親子で虫捕りをしたことはなかったです。演技の虫捕りでも、3人でこうかなああかなと言いながら、目には見えないセミを3人で追いかけたり捕ったりするのは、とても楽しく、幸せな時間でした。
 お父さんが演技指導をしてくださった時に、たかおの父と母は、こんな風に見つめ合って、(捕れてよかったね)と言葉はないけれど笑顔を交わすのだと、お父さんはやって見せてくれました。そのときのお父さんのあたたかい表情やしぐさを思い出すと、涙が出そうになります。その目線の先には、お母さんがいたと思います。お父さんのその表情の優しかったことが忘れられないです。

 なのはなのお父さん、お母さんは、ソロモン王が教えてくれたこと、
(家族と食事を楽しむこと、会話を楽しむこと、労働のあとの心地良い眠りにつくこと、目の前の人と思い合い、大切にすること)
 を、なのはなファミリーで日々みんなとできるようにしてくださって、そして後ろ姿で私たちに教えてくださっていると思いました。
 ソロモン王が、何度も「空しい」と書いたのは、すべては空しいところに帰っていくなかで、効率を求める気持ちを挫き、足元の幸せを見るためだと教えてもらいました。

 コンサートの過程や、日常生活の中でも、ソロモン王の場面に教えてもらった幸せが身に染みることが日々あります。
 お父さんが脚本に書いてくださったことを、コンサートに来てくれたお客さんに届けられたこと、そして自分達の中に、ソロモン王の言葉がコンサートで体験したこととして、深く入っていることが、本当に嬉しいです。足元の幸せだけを、ずっと大切に生きていきます。

 『那岐おろし』の太鼓演奏を初めて古吉野で見た時、古吉野での練習で太鼓がなかったため、メンバーのみんなは代わりの雑誌や台を叩いていました。それでも、私はみんなが本当に真摯に太鼓を叩く姿を見て、涙が止まらなかったです。みんなの目線、気迫、太鼓のバチの上がる瞬間、そして幾重にも織りなされ、最後に一つに重なっていく太鼓のリズムに、心を揺り動かされました。

 

 

 本番では、私は上手の舞台袖に控えいる場所から、大太鼓を叩くあけみちゃんの後ろ姿を見ました。
 あけみちゃんだから叩ける太鼓だと思いました。長身のあけみちゃんが、身体を逸らすようにして、長い腕を伸ばし、渾身の力を込めて、大太鼓を叩いている後ろ姿が、心に焼き付いています。あけみちゃん、太鼓メンバーのみんなが、本当に格好良かったです。

 『キュア・フォー・ミー』は、りかちゃんが振り付けてくれたワックの要素が入ったダンスで、りかちゃんを中心に踊りました。
 りかちゃんは仕事の合間に、土日の通し練習に駆けつけてきてくれました。忙しい中で、本当に詳しくわかりやすいフォーメーションの紙を作って、送ってくれました。直前に、メンバーを増やして踊ることになったのですが、その時にもすぐに考えてくれて、新しいメンバーに振り入れをしてくれました。
 りかちゃんとは、場所が離れていても、ものすごく心が近くに感じて、そのことが本当に嬉しかったし、心強かったです。
 『キュア・フォー・ミー』は、しなやかでキレがあって、女性らしい一面もある、格好いい、とても魅力的なダンスでした。りかちゃんと一緒に踊らせてもらえたことが嬉しかったです。

 コンサートの最後は、アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙の場面です。
 アコースティックギター『奇跡の山』に乗せて、れいこちゃん演じるリーゼルがステージを歩きます。
 そして、せいこちゃんがキーボードを弾く『ドント・トライ・ソー・ハード』で、卒業生ののんちゃんが、精霊のように、美しいダンスを踊ります。

 クライマックスでれいこちゃんが一輪車に乗って登場し、あゆちゃんが読んでくれるアインシュタインの手紙に合わせて、一輪車演技で、リーゼルの気持ちを表現します。

 

 

「この宇宙の強力な力、ダークマターは『愛』だったのだ。
 宇宙を支配するダークマターは、『愛』そのもの。そして、ダークエネルギーは、愛のエネルギーだ。 
 愛が、光だった。愛が、引力だった。愛が、この世界の力だった。
 宇宙を司っていた『愛』こそが、私達があまりにも長く無視してきた変数だ。
 愛があれば、宇宙で唯一のダークエネルギーを操ることができる」
 この場面が大好きだったし、心惹きつけられ、涙が出ました。

「愛する心とは、毎日、家族と食事を楽しみ、会話を楽しむこと。
 お互いの存在を、日々、大切に思い合うこと」

 リーゼルに宛てたアインシュタインの手紙は、なのはなのみんな、私たちみんなに宛てた手紙でした。
 目の前にある、足元にある幸せだけが本当に尊くて、それ以上も以下もないのだということが、今回のコンサートで身に染みて分かりました。そのことを、これまでどれだけ蔑ろにされて、遠くの幸せを見て、幸せの先送りをしてきたのかと思いました。
 なのはなファミリーのみんなとの生活には、毎日、家族と食事を楽しみ、会話を楽しむこと、労働の疲れを感じて心地よい眠りにつくこと、お互いの存在を日々大切に思い合うことが、毎日たくさん詰まっていると思いました。
 このことだけが、本当の幸せなのだと思いました。

 コンサートの最後、
「次は、私たちが、宇宙を司る愛を、世界に伝える番だ!」
 という役者メンバーのみんなのセリフに続いて、(私も一緒に行く! 愛の世界へ!)という思いで、『バード・セット・フリー』を踊るステージへみんなと向かいました。
「勇気を持って」
 と、本番前にお母さんが話してくださった言葉が、ずっと胸にありました。

 

 

 前日のゲネプロを前から見ていたあゆちゃんが、『バード・セット・フリー』のみんなを見て涙が出たこと。ウクライナの人たち、子供たち、死にたくなかった人たち、本当に愛のある生活を送りたかった人たちのことが思い浮かんで、その人たちの魂がこの会場に集まってきてくれたらと、あゆちゃんは話してくれました。
 あゆちゃんの話してくれたことは心から離れなかったです。
 目線の先に、ウクライナで今も戦っている人たちのことを思いました。そして、盛男おじいちゃんを思いました。
 みんなと突き詰めて練習してきた、振りとフォーメーションを揃えて、勇敢に剣を振るい、目線の先に希望を見ました。
 お父さんの脚本、お父さんお母さん、みんなと作ってきた気持ち、そして盛男おじいちゃんの魂が、この一瞬に、永遠になりました。
 お客さんから、盛大な拍手と、アンコールの声が上がりました。
 お客さんに確かに伝わったことを、ひしひしと感じられました。
 幕が閉じた中で、お父さん、お母さんが、本当に嬉しそうに笑っていて、花束を抱えたお母さんが、お父さんとキスをしました。
 みんなで振り返って、まえちゃん、大竹さん、須原さんを中心に作られた、美しい舞台背景を目に焼き付けました。

 

 コンサート本番が終わって、それまでとは見える景色が違うような思いがしています。
 それは、今日、ここにある幸せだけが、見えるようになったからだと思います。
 みんなの表情や空気も、これまでとは違っています。そのことを確かに感じています。
 お父さん、お母さん、みんなと、お客さんと、深く共有共感したものがあった、達成感、充実感、希望のようなもので、心が満たされる思いがしています。

 

◯コンサート準備期間のこと・ダンスについて

「なのはな至上、1番揃っていない」
 と、練習が始まった時からホールに入るまで言われ続けてきたダンスが、ホール入りしてからは、
「これまでで1番揃っている」
 と、照明を担当されていた方たちや、前から見ていてくれた何人もの人たちから言ってもらいました。

 昨日、のんちゃんと係のまとめをしていて、今回のコンサートのダンス練習において、できることは全てやったと思いました。
 お父さん、あゆちゃんに見てもらっての練習。このコンサートのために、遠くから何度も帰ってきてくれて振り付けをしてくれた、卒業生ののんちゃんに見てもらってのダンス練習。バディ練習が中弛みした時にはジャンケンでリーダーを決めての練習、筋力がないとなったら(続かなかったけれど)ランニングをしたり、23時消灯にしてもらって、22時までダンス練習を全員で詰めた週もありました。

 

 

 お仕事に行っている人たちの中には、帰ってきてからの時間が、毎日、全て、ダンスや演劇練習になってしまった人も多くいたと思うのですが、ホール入り前最終週には、全員が協力して練習を最優先に進める空気が作られていました。

 すごく能力が高く、優れた演技をできる人が何人もいるわけではなくて、コロナの自粛期間、2年4か月のブランクを経て、ダンスに慣れていない人の方が多い中で、でもきっと、今このメンバーの自分達にしかできない演技があって、未熟な私たちだからこそ伝えられるダンスが踊れるはずだと信じて、みんなと毎日毎晩、1つずつ泥臭く、振りを揃えてきました。

 それでも、ずっと揃っていないと思ってきたので、本番ダンスが揃ったと言ってもらって、涙が出るくらい嬉しかったです。(これは、ダークマターの力だとしか思えない)、という結論に達するくらいに、私たちは前転ができないところから始まって、数々の困難に当たってきました。
 特に、お仕事組さんの人数が多い中での、久しぶりのコンサートだったため、練習でメンバーが揃わないことに悩んできました。
 しかし今回のコンサートを経て、メンバーが揃っていなかったとしても日中に練習をする。日中練習したところを夜にお仕事組さんに伝えて、みんなも復習をする。お父さん、あゆちゃん、卒業生ののんちゃんに見てもらって、振り付けや気持ちの統一の練習をした後、ポイントを押さえてバディ練習をする。全体を2つに分けて見合う練習をする。など幾つもの練習方法を見つけられました。
 (振りが全然揃わない。どうしよう)と本当に困った時も、(少し揃ってきたか!)という喜びも、常に泣き笑いのような思いでしたが、いつもダンス係ののんちゃんと共有してこられたことが、本当に嬉しかったです。

 

 

 のんちゃんは、コンサート準備期間の途中から、主要役者のたかお役に抜擢されて、その演技の生みの苦しみの期間があったのですが、その時でも、ダンス練習にはいつも、飛び跳ねるようにして駆けつけてきてくれました。
 私自身が揃っていないフォーメーションのある曲では、「入ったらいいよ、前から見ているから」と、言ってくれたことが、本当に心強く、嬉しかったです。
 21時過ぎての少人数ダンス練習でも、決して疲れを見せず、「楽しい!」と言って踊っている、タフで溌剌としたのんちゃんの空気に、何度も気持ちを引っ張ってもらったし、のんちゃんとダンスが踊れること、のんちゃんを中心にみんなとダンスを突き詰められることが、私も本当に楽しかったです。

 

 

 『ハッピー・フェイス』の練習の時は、のんちゃんが見本の形となってくれて、その形をみんなで真似て、1つのポーズを何十分も取り続けて身体に入れました。のんちゃんの後ろ姿は、いつも姿勢がピンと伸びていて、どこまでも厳しく、格好良かったです。のんちゃんが後ろ姿を見せ続けてくれたことで、私たちはその形を自分の身体に入れることができたなと思います。

 のんちゃんと、いつも同じところで悩んだり喜んだり、でも常に前向きに、決して留まることなく、一緒に走ってこられたことが、本当に嬉しかったです。

 

 

 そして全体練習の要所要所、あゆちゃんがダンスやコーラス練習を見てくれた時間が、本当に濃い時間で、自分達が生きていくときに必要な、大切なものでした。
 『バード・セット・フリー』の剣を振るう振り付けでは、やっているふりでは伝わらない、本物の剣を思い浮かべて、その長さ、重みを支える足腰の使い方をし、斬る相手をしっかり見据えて斬り込む。
 そのときに、自分の敵はなんなのか。自分達を苦しめてきたものを断ち切るという心意気を、あゆちゃんが話してくれました。あゆちゃんと練習をし、またその後踊り込む時にも、あゆちゃんが話してくれたこと、あゆちゃんが作ってくれた空気感を、何度でも思い浮かべて、自分の中に強く、強く、イメージを持ちました。

 劇の演出で、セリフと共に大人数がステージに出て、一人ひとりが素粒子となる演技や動きの練習を、あゆちゃんが見てくれて詰めました。歩く歩数を揃えて、座るときの音やみんなの気配を感じ取り、なおちゃんのセリフに心を沿わせて、一糸乱れぬ動きをする練習をしました。
 気配を感じる、音を感じる、背中合わせの人の背骨を揃える。あゆちゃんの言ってくれたことを元に、感覚を研ぎ澄ませて、みんなと何回でもやりました。本番は1回しかない。本番できるようにと、あゆちゃんは何度も言ってくれました。

 

 

 通し練習の時に、待機場所に立っている人たちが出している空気、表情が、見なくてもわかる。もっと明るい空気を出して。みんながキラキラした表情をして。ステージに気持ちを向け続けて。衣装の着替えはできるだけ素早く。凡事徹底ができていないよ。
 あゆちゃんが話してくれたことが、いつも自分達にとって足りない部分で、でもその境地に辿り着くことができなくて、通し練習の日々、産みの苦しみのようなものをずっと感じてきました。

 ホール入り前日には、練習をするよりもコンサート前最後の日記を書こうと、あゆちゃんが考えてくれて、テーマに沿った作文を一人ひとりが書いて気持ちを作り、本当に大切なことはなんなのかを心に留めて、ホールに向かうことができました。
 ここまでみんなの気配を感じること。周りの人たちの息遣いがわかるくらいに揃えて、劇、ダンス、音楽と、ステージに出ていても出ていなくても、お父さんの脚本を表現することに自分の全神経を集中させて、完全にこのコンサートの一部となる感覚が、なのはなファミリーのコンサートの空気感です。そこに私たちが到達したのは、ホール入りしてからです。しかしその空気は本当に研ぎ澄まされて、ゲネプロと本番、ステージの一人ひとり全員が、(ここしかない)ところで動いている感覚がありました。

 それは舞台に出ていない人も同じでした。
 舞台背景の中央の飾り物の後ろには、須原さんとまおちゃんが常に待機して、影絵の取り替えなどをしてくださっていました。
 まおちゃんが、『キュア・フォー・ミー』のコーラスを、その場所でみんなと合わせて歌っているのが見えました。

 

 まっちゃんは、ナナポンの小屋の出し入れを常に担当してくれたり、着替えのヘルプをしたりしてくれました。
 私はたかおの母親役の時、上手はけ上手出で、下手のピンマイク置き場にあるマイクを自分が取りに行くことは、どうあってもできないことだったのですが、まっちゃんが引き受けてくれたおかげで、スムーズにダンスから劇に出ることができていました。これは本当に、まっちゃん1人にしかできない動きでした。まっちゃんが、母役の衣装のエプロンを、綺麗に整えて縫い合わせてくれたことも、本当に嬉しかったです。

 

 

 このコンサートを通して、今のメンバーの本当に一人ひとりみんなと、これまでになく新しい境地を拓けたことが、本当に、本当に、嬉しかったです。
 お父さんお母さんが、コンサート本番を終えて、みんなの一人ひとりの顔つきが違っている。もう後ろを見ていない。前を見る人にみんながなっている。一段上がったと思うと、話してくださいました。
 私はコンサートが終わった今も、まだコンサートがずっと続いているような気持ちがしています。
 過程も本番も含めて、このコンサートの一瞬は永遠になったと思います。

 12月18日には、スプリンングコンサートの続きのコンサートをやります。きっとあっという間に12月が来るのだろうなと思います。それまでみんなと、このコンサートでお父さんお母さんみんなと得た勇気を胸に持って、日々目の前にある幸せを大切に、走り続けます。
 お父さんお母さんが作ってくださった脚本を道標に、本当の幸せを見つめて生きて行きます。
 盛男おじいちゃん、コンサートをずっと見守っていてくださって、本当にありがとうございます。

 

 

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