「オハナ」 ちさ

2月12日

●オハナ
 体育館とは違って狭い音楽室。みんなで輪になって演奏できる音楽室。
 あゆちゃん、まえちゃん、かにちゃん、せいこちゃん、さとみちゃん、ゆいちゃん。バンドメンバーにたいして、その空間に対して、オハナ、という言葉が思い浮かびました。『アロハ・エ・コモマイ』の歌詞にある、家族、という意味。意味はそうだけれどずっと温かみがあって、みんなが柔らかに微笑んでいるような、ほっとするような響きがあるこの言葉。それを音楽室で夜にあゆちゃんに前から聞いてもらいながら合わせをしていた時に感じました。
 
 まだ音を当てることができず、外してしまうからそのフレーズを出さなかった子にあゆちゃんは、「外してもいいから思いっきり歌いな。そしたら意外と出ることもあるし、自分がどう外すのかはっきりわかるための練習でもあるんだよ」
 それは自分に言ってもらっているように感じました。
 
 私は、バンドメンバーに対して畏れの気持ち、そしてもっと言うと自分だけ劣っている気がして、足を引っ張らないように守りの気持ちが強く強くありました。やりにくいときの原因は自分にあると思っていたし、やりにくいけど初心者だから仕方ない、という思いをぐっとこらえているのだと思って、とにかく崩さないこと、当たり障りなく、影薄くいたいという気持ちがありました。
 
 だけど、あゆちゃんの言葉、あゆちゃんの表情、伝えてくれる時の真っ直ぐな気持ちを感じたとき、指摘の中身とは全く関係がないけれど、安心したというか、そんな一言で言えるようなことではないのですが、自分が上手くなって足を引っ張らないようにという気持ちや、これで精一杯なんです、何も言わないでください、という気持ちが消えていて、へたくそなのは知っての通り。だけどそれをさらして、丸裸でこのバンドの中にいたい、と思いました。みんなはできることなんて求めていない。すごいベーシストなんて求めていない。ベースが足りないのならいくらでも補い合おうという気持ちでいてくれているだろうし、ベースが上手くなることなんてどうでもよくて、人に自分をさらして、自分を0にして、最高のものをみんなと作る。そのことが大事で、そのためでしかないのだと思いました。
 
 今まで、どうか自分を指摘しないでください、見ないでください、どうか耳に残りませんように、そう思っていました。指摘されたら、やりにくかったのだと思い、申し訳なさでいっぱいになっていました。けど、あゆちゃんにこうしてほしい、と言われたとき、気持ちを置いている場所が違った。伝えてもらったイメージに沿って音を出してみるとき、すぐにはできないから聞かないでほしい気持ちが今まであったけれど、それもなかった。こまったことは全部みんなで笑い吹き飛ばせる、そんな空間、そんなメンバーなんだな、というのが理屈じゃなくて本能で思えたのだと思います。硬い尊敬の気持ちだけだったけれど、もっと色鮮やかな好きと大事と尊敬が混じったそんな気持ちになりました。
 
 夜にお父さんが話して下さったオリンピックのお話も、自分にすごくつながっているなと思いました。スポーツも自分を表現するもので、自分のスタンスがはっきりと表れる。すごいと思われたい、すごいと思われるだろうなとうちの評価に向かって演技をするのか、それとも、成長させ、積み上げていくプロセスの中でのベストとしての演技なのか。前者の気持ちも持っていたから人が陥る穴を感じたけれど、後者でありたい、と思いました。今完璧でなくてもいい、今できなくても、へたくそでも、でも、積み重ねていく、精一杯を尽くす、それだけで十分だと思えました。
 
 みんなと何度も何度も合わせることが楽しかったです。よしえちゃんやさきちゃんが後半になるにつれて、紅白で殻を破るときみたいにどんどん楽しそうに(特に『Uptown Funk』)、のびのびと、ノリノリに気持ちが乗って歌っている姿が、自分もすごくうれしくなりました。同じなんだなと思いました。

 それから、音楽室での合わせだと狭くてみんなを近くに感じ、聞いてくれている人も近いから、その上で形になっていくと、自分の音や役割に自信が持てます。体育館で魅せる演奏をする前に、聞かせる演奏であるのには変わりないけれど、会議的な、そんな合わせの場があることが自分はすごくうれしいなと思いました。
 
 大きな自分があることを知ったうえで、日々の生活を積み重ねていく。
 ミーティングでのお父さんの言葉がよみがえります。
 今、楽しいです。ウッとなることもあるけど、お母さんだったら、お父さんだったら、と思うと、くるっと気持ちが和らぎます。
 なのはなにいられることが本当に嬉しいです。
 読んでくださりありがとうございました。