「1人を慎む」 ななほ

1月18日

 夜に、お父さんとお母さんから、1人を慎む生き方についてのお話をたくさん聞かせて頂けて嬉しかったです。
 私が苦しかった理由、そしてこれからどう生きていくべきなのか。お父さんとお母さんの話を聞かせて頂く中で、改めて軸が真っすぐになっていくのを感じました。

 私は今、ようやくだけれど目の前の幸せを感じることができたり、未来を信じることができます。それはどうしてだろうと思った時、今まで自分の中にいなかった神様が、自分の中に入ったからかもしれないと思いました。

 摂食障害の症状が酷かった時、私は神様にあわす顔がないと思いながらも、症状が止められなくて、何度も嘘をつき、何度も隠れて症状を出して、自分の未来なんて、ないと思っていました。
(こんなことをしたらいけない)
(隠れていても自分が苦しいだけで、何の進歩もない)
 そう思いながらもなのはなに来るまで、小学校6年生の夏から1日たりとも、症状が止まることはなく、反対に、症状がどんどん激しくなっていきました。

 自分が何をしたいのか、どんな人生を生きたいのか、未来を信じることもできないし、過去に囚われて、現実の問題を過去のせいにしてみたり、過去を見て現実逃避をしたり、私は今より先の事を考えることができませんでした。
 でも、なのはなでお父さんとお母さんから私が求めていた答えをもらって、なのはなから卒業してちゃんと自立し、働いて未来を生きていける人がいる、たくさんの卒業生がいる、そしてなのはなという存在が、私の未来の道しるべをしてくれているんだと思った時、未来を信じることができたなと思います。回復できると信じられたなと思います。

 未来を信じる時、同じように神様を信じている自分がいます。
 ハートピーの花言葉が、『あなたのために』『いつか叶う夢』というように、まだ見ぬ誰かの為を思うと、自然と未来に希望を持てて、自分の中にいる神様に恥のない生き方を、自分の魂を少しでも磨いて、その魂を神様の元へ返していきたいと思います。

 私はもう、ニヒリストではないと思いました。私はニヒリストでいることに耐えられなかったと思います。
 私が感じてきた今の世の中に対する怒りも悲しみも、普通に生きている人には分からないくらい深かったり、本当に取り返しがつかないんじゃないかと思うくらいに、自分の中に深く深くありました。
 私はそれを無駄にしたくないし、その怒りや悲しみを強さに変えて、苦しんだ分、神様が望むような優しい世の中を作っていく1人でありたいと思いました。

 話は変わりますが、夕方のハウスMTの時間が嬉しかったです。私は本当に幸せだなと誰かと話をするたびに思います。
 今の自分は本当に小さくて、未熟です。でも、お父さんとお母さんに自分が思ったことや感じたことを質問するたびに、利他的な答えが返ってきて、自分の中に利他的な答えが入っていくのを感じます。

 私は能力もないし技術もないけれど、任された役割は真剣に向かう自信があります。どんな仕事も楽しめると思います。忙しくても、大変でも笑って乗り切れると信じられます。
 小さくて、未熟な私だけれど、それを少しずつ、本当に少しずつ成長させていき、自分を魂レベルで高めていける、そう信じられる今が嬉しいし、その過程が幸せなんだなとも思える自分がいます。

 私はなのはなに来るまで、ずっとゴールを求めてきたと思いました。でも、そのゴールは本当にはなくて、私は幸せとは何かをずっと知りたかったです。
 何の為に勉強をして、何の為に学歴をつけて、何の為に生きていくのか。何を幸せだと思い、何に向かって、どこに向かって生きていくのか。

 私はいつかの幸せを求めている人の中にいたけれど、いつかの幸せなんて存在しないことが分かりました。
 今幸せを感じられない人はいつになっても幸せを感じられない。私はまだ、過去に引っ張られてしまうこともあるかもしれません。あまりにも未熟で、知識もないです。でも、もう過去に引っ張られる必要も、過去にとらわれる必要もなく、未来だけを見て、未来を生きていきたいと今回のMTで何度も思いました。そして、生きるのは本来、ものすごく面白いんだなと感じます。

 昨夜、お風呂に入った時、ゆいちゃんやりなちゃんと、「食事のコメントを七五調で話してみたいな」という話になりました。
 結果的に朝の気分が変わってしまい、最初の1回は普通に話をしてしまったのですが、次に回ってきた時に、
「七五調 昨夜は言うと いったけど ドタキャンしたよ ゆいちゃんごめんね」
 と言ったらみんなが笑ってくれました。

 その後もみんなが朝食当番がスパルタで面白かったこと、七五調で話すのが難しいことなどを七五調で話していて、その空気が嬉しかったです。
「目が覚めて、ガラガラガラと 音がした その正体は 朝食当番」
 と卒業生ののんちゃんが言えば、洗い部ののんちゃんが、
「朝当で 駆け抜けたのは りなとのん」
 と返していたり、
「パスですよ、パスをしますよ、パスですよ」
 と言ってゆいちゃんがパスをしていて、「七五調 何を言っても 面白い」と思いました。

 また、たけちゃんが図書室から台所まで、みんなの手を借りずに1人で歩いて、食堂の鍵を届けてくれたり、お母さんに声をかけてもらって、たけちゃんと籾殻の山で遊んだり、寒い中ですがバケツに水を汲んで遊んだり、たけちゃんを見ていると幸せを感じます。たけちゃんの笑顔とか、たけちゃんの真っすぐな心があると、私も真っすぐになれます。

 今までの私だったら七五調でコメントをするなんて恥ずかしいとか、嫌だと思ったり、嬉しい事があってもあえて幸せを感じないようにするような、損な生き方しかできませんでした。でみ、毎日ことあるごとに、面白くて、楽しくて、幸せを感じられる今があります。

 なのはなに来るまでは私は完全にニヒリスト的で、誰かと話していても上手に笑えなくなったり、いつも相手の顔色をうかがいながら時に攻撃して、自分を守ったり、いつも誰かに見張られているような感覚がしてずっと怒り狂ったように、誰かが私に声をかける度に、その人を否定して、叫んでいました。

 摂食障害の症状の最中にいた時は、楽しい、面白い、幸せとはまるで正反対の世界にいました。そして、それが一生続く、もう私は過去に戻れない限り、未来には進むことができないと思っていました。

 今も、すぐそばに崖があります。今も綱渡りのような人生を厳しく生きています。それは私だけではなく、よく生きたい人はみんな、そうだと思いました。厳しく生きている人はそうだと思いました。

 私はその自分を生きていきたいし、厳しい人生を自ら進んで生きていきたいです。そうじゃないとちゃんと生きられないし、私が苦しんだ分、満足のいくような人生は歩めないような気がします。
 今回のMTでお父さんとお母さんが話して下さることを、ちゃんとかみ砕いて自分の中に入れます。等身大の自分でMTに向かって、自分の理解の浅い所をちゃんと自覚し、本当の意味で1人を慎み、まだ見ぬ誰かの為になる生き方ができるよう、自分を磨いていきたいです。

 今日はハウスMTでもたくさんのお話を聞かせて頂いたり、午前中はのんちゃんから『バードセットフリー』の振り入れをしてもらったり、感じる喜びや表現する喜びをたくさん感じた1日でした。