「お父さんとお母さんのような理想」 やすよ

11月12日 

 

「お父さんのような理想」

そう思って過ごしていると、違うと思います。

 例えば、働いている時、オープン作業をしている時、(お父さんだったらどうするかな?)と思いながらやっていました。
 昨日の仕事は、いつもと違っていて、いつも、(言う通りに動いてくれないな)と思う二十歳前後の男の子と、いつもよりもやりやすくなっていて、それが断然違っていて、実は驚いたのでした。
 自分の中で(この子はどうしてこういう風に動くのかな?何を考えているのかな?)と思って、いつもはやらないポジションについてもらい、「分からないことがあったら、一緒に考えてやろう」と自分で言っていて、その子もいつもよりも表情が柔らかくなっていて、進んで話をかけてくれました。

 夜まで働いていたのですが、夜の人とも、連携がスムーズにいったように感じました。

 

 自分の中で、(役に立てるように)という意識があると、普段気になるようなことがどうでもよく思えたり、ちっぽけに感じ(そう感じるのも惜しいくらいに、もっと力を出せないか?何が自分に出来るか?ということを考えていました)、「お父さんだったらどうするかな」と思っていると、普段やっている仕事が新鮮に、興味深く思えるようでした。
 なのはなにいる時も、お父さんだったら、この生活をどうやって過ごしていくんだろうかと思うと、全然違ったものにできそうで、自分の意識の甘さに気づかされて、これを嘆くんじゃなく前に進むということかと、今、やる気とか意欲とかいうものが自分の中でふつふつと煮込まれているような感じかなと思います。
 お母さんは、私のこと、あんまり喜ばしくとか、よく思っていないかなと気になったり、スタッフさんは私のことどう見てるかなと思ったり、そういう「癖」みたいなものが自分にはあって、それも一つの「評価」を気にしていることかなと思います。
 けれど、そういう部分があっても、やっぱり「お父さんお母さんのような理想」を思うことを意識すると、それもその先を見れば、どうでも良いのだと言い聞かせる、その作業は出来る。それが今までと違うところだと思います。

 今日は、水やりの作業をしている時も、朝食当番で米研ぎをしている時も、自分は雑だな、丁寧さに欠けるな、緻密じゃないな、と感じることがありました。
 ちょっとした動作で、それが表に出されて、今まで自分はそれを分かっていながら見ないふりをして、「自分は出来る」と高をくくっていたと思いました。それは、とても恥ずかしいことだと思いました。

 

 実は今日、私はお父さんと似ているかもしれない、と思った出来事がありました。
 それは、下町川方面に、くっきりとした虹が出たことでした。
 かにちゃんやしなこちゃんも話してくれていましたが、山の峰から峰にかかるように、低い位置にかかった虹で、紫色が広範囲に出ていました。

 色は濃く、けれど後ろの景色が透けて見えるようになっていて、オーロラというものはこういう感じなのか、と思わせるようなものでした。

 私はそれを、えみちゃんと一緒に軽トラに乗っている時に見えました。ちょうど、古吉野から下町川へ向かっていくときに、下町川と新桃畑へと分かれる分岐点の坂で、軽トラに乗っていたらパッとその虹が目の前に広がり、えみちゃんと目を合わせて「わぁ!」と驚きました。

 新桃畑に行くと、かにちゃんとさくらちゃんがその虹を写真に撮っているところで、「すごいね!すごいよね!写真撮ろう!」と言って、一緒に撮りました。

 

 私はそこに、神さまがいる、と思いました。
 私は虹が出る時、いつもそこに、神さまがいるように思います。
 私は普段、神さまを信じる気持ちを持てていないので罰当たりだと思いますが、でも虹が出るときと、夜空一面に星が瞬くとき、「あぁ、神さまが見ていてくれているんだな」と思うことができます。

 恥ずかしいのですが、私は、神さまに背中を押してもらっているように感じました。
 お父さんも、いつも、思っているのだなと思いました。

 

 夕食に、焼き芋が出ました。
「お父さんが、石焼き芋について熱く語ってくれた」とやよいちゃんが話してくれました。
 今日頂いた焼き芋は、程よく水分が飛んでいて、柔らかく甘く、美味しかったです。
 私が食べた芋は、中身が白かったですが、全面ねっとりとしていました。

 

 お父さんが、今日午後に台所に来てくれた時、お父さんは今日の集まり用に片栗粉やパン粉を取りに来られました。
 その時のお父さんが、すごく謙虚で恐縮されているように感じて、あぁ、お父さんて、本当に謙虚な人なんだなと、私はちょっと衝撃くらいに驚いていました。
 私は、それからしたら何て頭が高くて偉そうなんだろうかと思いました。
 自分のその、お父さんに比べてみたときの頭の高さが、「ここまでか」と思うもので、そのお父さんの姿を見たときに、「こうであらねばいけないんだ」と思って、そうか、本当に私はできていなかったんだなと、残念に思うでも悲しくなるでもなく、その事実を前にして、なんだか自分の心持ちをお父さんに客観的に示してもらったようでした。
 お父さんは私に諭そうとかそういうこと1ミリも思っていなかったと思うし、私もそれをお父さんが示そうという気があったとも全然思わないのですが、自分で勝手に、自分のことを見せてもらったと思って、ありがたかったのです。