11月5日
- 考えたこと
今日のお昼の集合でのお話、いろんなことを考えて、答えが出なくて頭が行き詰まっていました。
自分の心の中に自分がいない人。目の前の人に100パーセント合わせてしまって、人に合わせるために自分をリセットして目の前の人に合わせるから、積み上がっていかない。暇つぶしになってしまう。ひとりになると虚無的になってしまう。なのはなにいながらなのはな以外の人などに目移りしてしまって、土台ができない。そういう人は、向上心もないだろう、と。
原因は、小さいころに、「こうしたらいい」というのがその時々でずれてしまう人に合わせて自分を作っていたから。自分が積みあがっていかなくて、自分がいなくなってしまった。
それを聞いていて、最初はぴんと来なかったけれど、だんだん、なんとなくわかるな、と思いました。怒る、嘆く、優しげに諭す、が、何をしたらどれが出てくるかわからず、混乱して、とにかくその場で求められていることだけ必死にやる。学校に行っても、何がいじめを誘発するかわからないから、その場その場で強い人に合わせてしまう。ひとりになったら何をしていいかわからない。したいことは特にない。何かをする動機もない。合わせて言ってるだけだから、自分が何を好きかもよくわからない。
それとつながっているかいないか、勉強を始めてからずっと自問自答を繰り返してきたことがあります。どんな税理士になりたいか、税理士になって何をしたいのか、具体的なビジョンがなにも見えない。前の価値観を引きずって勉強しているだけじゃないのか。簡単にできる勉強でもないし、やるからには意味が欲しい、と。自分はなんで、なんのために勉強してるんだ?税理士を目指すんだ?と。
そんなことを考えていたとき、学校から帰ってきたちさちゃんが、ふと、「みんな優しくなりたいって言うけれど、のんちゃんはなんのために、誰のために優しくなりたいって思う?」と聞かれました。
するりと口から答えは出ていました。「好きな人のためだよ。」
それが正しいのかどうかはしらないけれど、好きな人が困っているなら助けたいと思う。好きな人が喜んでくれるなら、うれしいと思う。それだけ。例えば、なっちゃんの体が楽になるなら、勉強そっちのけで訓練やりたい、と思ったり。
それを言ってから、全部の答えってそういうことだよな、と思いました。好きな人、大事な人、大切な人がいる。そんな人を助けたり喜ばせる力が欲しいから頑張ろうと思う。勉強もその1つ。ただ、勉強は、今の好きな人、というより、未来に出会う好きになる人、の意味のほうが強いんだろう、と思います。そんな人に出会ったときに力になれる自分でありたいから、今、頑張る。
自分の力やしたことで、助かる人、喜んでくれる人がいたら、自分がうれしい。きっと「幸せ」ってそういうこと。誰もがそう思って暮らせる世界を作っていくのが、私たちの使命。
それを幸せと思うには、自分を差し置いてでも喜ばせたいくらい、好きな人がいないといけない。そのくらい人を好きになれないといけない。自分を守りたい気持ちとか、競争に勝つこと、得をすることが幸せ、という気持ちがあったら、自分を差し置いて人が好きとは思えない。
そう思ったけれど、私はまだまだ人を好きな気持ちが弱いし、範囲も狭いんだろう、と思います。きっとお父さんやお母さんは、その気持ちの強さや広さが、私の何倍もあるんだろうな、と。私はその気持ちが弱いから、揺れたり、見失ったりするんだろう、と思います。もっともっと、一度はなくしてしまった自分の、好き、という気持ちを強く、大きく育てていきたい、と思いました。