「『天の瞳』」 ななほ

9月28日

 山小屋便りの編集をしていると、私も記者の人と同じように作業やイベントや、手刈りをしている気分になり、なぜだか身体も心地よい疲れを感じて面白いです。
 今月もメインの稲刈りから始まり、収穫祭や秋冬野菜の植え付けラッシュなど、色々な角度からなのはなのみんなとしかできない面白いニュースや、なのはなの子しか書くことのできない記事が溢れていて、山小屋便りを作れることが嬉しいなと思います。
 何か記事を書いたり、写真を撮ったり、編集をしたりするのは、「この気持ちを上手く言葉にできない」「この景色を上手く表現できない」と難しく思うこともあるのですが、その難しさと同じくらい楽しさや面白さがあり、やっぱり好きだなと感じます。
 るりこちゃんと編集をしていると、別々のパソコンで編集しているのに、気持ちはぴったり重なって、協力して1つのものを作っているという気持ちでいっぱいになり、温かい気持ちになります。
 編集や記事、写真の世界でも自分の気持ちを表現できると思うと緊張もするのですが、やっぱりものすごく面白くて、楽しくて、なのはなでの生活はいつも表現なんだなと思い、私ももっと深い表現ができるように深めていきたいと思いました。

・天の瞳

 『天の瞳』が読み終わりました。天の瞳は幼年期1から始まり、幼年期2、青年期1、2、成長期1と全部で5冊の長編小説なのですが、主人公倫太郎の成長とともに、私まで救われたような気持ちになり、成長させてもらったように感じました。幼稚園時代の倫太郎は一見、我がままでヤンチャのように思えるのですが、幼いながらにも強い根性や意思、豊かな情緒を持っていて、私もそう在らないといけないなと思いました。
 
 倫太郎はいつも誰かと一緒にいて人と繋がることを無意識のうちに大切にしています。そして仲間とのこと何1つ見捨てたり、切り捨てたりしなくて、倫太郎の仲間の存在にも涙が出ました。
(私もこんな仲間を求めていたんだ)と小さい頃の自分まで救われたような気持ちになるし、倫太郎の仲間が今のなのはなの仲間にも重なって、こうしてなのはなで生活できることがありがたいなと思いました。

 こんな風に正直に気持ちを話しても、仲間外れにしたり馬鹿にしないで、全て受け止めてくれたり、自分のこととして一緒に考えてくれる仲間。誰1人、見捨てることなく、お互いが信頼して助け合う仲間。私は今まで、そんな仲間を求めていても、それはただの夢のようになってしまっていたなと思います。また、信頼して助け合う仲間を持つには、自分が相手を信頼して信頼されるような人間になり、自分が上手に助け、助けられる関係を築けるようにならなければいけない事も身に染みて思いました。

 倫太郎やその周りにいる仲間たちは、人を敵や味方につけたり、良い悪いに分けることはないけれど、正しく相手を評価して、分かる人には分かってもらい、分からない人にはあまり期待し過ぎないような、バランスの良い関係をとっているように思いました。倫太郎たちが思っていることや今の世の中に対して、「これは違うんじゃないか」と思う気持ちが自分とも重なったり、それが解決していくと私も嬉しくなったし、『天の瞳』を読んでいると力が湧いてきました。

 今日、ハウスMTでお父さんに正義感について質問させて頂いた時、お父さんが教えて下さったことが、『天の瞳』にも重なり、ほんの少し分かるような、分からないようなでも少し分かったような気持ちになりました。

 私は認識力が低かったり、間違ってしまうことも多いけれど、これが正しいと思ったことを(これは本当に正しいのかな?)(私は元々が間違っているから、私の思うことは間違っている)とすべて否定するように思うのではなく、一度そう思ってみて、後から修正が必要だったら修正して、正しいと思う正義感を求め続けて生きたいなと思いました。

 お母さんがいつも話して下さるように人と時間と場所が違えば答えが変わるということをもっと自分の中に入れたうえで、自分の行動や言動にも責任を持っていたいし、前向きな所にしか答えはないというお母さんの言葉を忘れないでいたいです。