「自尊心」 のん

9月23日

○自尊心
 夜の集合でお父さんが前に話してくださった自尊心や唯我独尊についてもう一度話してくださいました。自尊心の正体が、やっと理解できました。私があの日に曲げたものだったんだ、と思いました。

 ミーティングでも何度も書いていますが、忘れもしない小学5年生のときのこと。私はそれまで、誰に何と言われようと、独りぼっちになろうとなんだろうと、罪悪感を感じるようなことはしませんでした。でも、いじめのターゲットがくるくる変わって、自分も何度かいじめのターゲットになったりしているうちに、いじめられたくない、と思うようになりました。

 ある日の授業が終わって、昇降口に向かって階段を下りて歩いているとき、クラスの女の子3人が、そこにいない1人の子の悪口を言い始めました。私はその悪口を言われている子が割と好きでした。でも、ここでそんなことを言ったら今度は私が陰口を叩かれて、いじめられるんだろうなと思ったとき、その悪口に同意してしまいました。

 嘘をついてしまった。心にもない悪口を言ってしまった。その罪悪感でいっぱいになりました。そのときから、私は、罪悪感を感じても、いじめられないために、自分の気持ちが違っても、自分に嘘をついて人に合わせるようになりました。

 してはいけないことをしているのは、自分が1番知っていた。嘘をつくたび、罪悪感で死んでしまいたくなった。そんな自分を尊いとは思えなくなった。昔の自分に申し訳ない気持ちになった。

 今まで何度か、あの頃の自分が今の自分を見たらどう思うだろう、と思ったことがあったのは、自尊心を持っている自分が見たら、どう思うだろう、ということだったのだと思いました。

 なのはなに来て、一番最初のミーティングで、自尊心をどうもっているか、という設問に、私は、
「100点で返ってきたテストの採点ミスに気がついて、98点になってしまうけれど、隠さず先生に持っていったこと」
 を書きました。馬鹿なことを書いた、と思っていたけれど、それだったのだと思いました。あのとき、めっちゃ悔しくって、半泣きだったけれど、先生に持っていったのを覚えています。それでも、嘘はつきたくない。罪悪感を感じたくない。自分が正しいと思ったことをする。自分に恥じることをしているかどうかは、自分が一番知っている。だから、自分に恥じないことをする。

 お父さんが、自尊心を持った瞬間から、唯我独尊と思った瞬間から、それにかなう生き方をする責任が生まれるんだ、と仰っていました。自分が唯一尊いと言えるためには、自分の全てを知っていて、見ている自分に恥じない生き方をするということ。自尊心がある人は、人の評価が気にならない。それは、自分が自分の正しいと思ったことをしている、という自分の自分に対する評価があるから。自分の自尊心にかけて正しいことをして、それで失敗したとしても、自分の自分に対する評価には、なんの傷もつかない。そんなことを、お父さんが話してくださいました。

 自尊心をもって、生きます。私は、私が知っている、一番尊い人間になります。罪悪感でズタズタにした自尊心を、満足させられる生き方を、します。罪悪感を、もう2度と感じなくていい生き方をします。「本当はこうあるべきだ」ともう1人の、心の中の自分が訴えている行動をします。

 まとまりのない文章になりました。読んでくださってありがとうございます。お休みなさい。