「幼い頃のわたしが欲しかった言葉」 るりこ

9月17日

○ありがとうございました
 個人的なことになりますが、今日、みんなのなかで誕生日を迎えさせていただきました。正直、この日がくることがずっと嫌だと思っていたけれど、やっぱりみんなにお祝いをしてもらえて、心から嬉しかったです。ありがとうございました。

 お父さんとお母さんからいただいた言葉から、感じたことがいくつかあります。まとまりがないかもしれないけれど、言葉にして残しておきたいです。

 夕食のとき、最後にお母さんがこう言ってくださいました。
「るりこが真面目だってことはもう十分わかった。だから少しくらい不真面目になっていいよ。一度きっちりできる人は、少しくらい不真面目になっても大丈夫だから」。
 お母さんのこの言葉を聞いたとき、わたしは幼いころからずっとずっと、誰かにこう言ってもらいたかったのかもしれないと思いました。

 物心がついたときから、不安定な家族のなかで、わたしだけは母に言われる前にきっちりとやろう、自分の身の回りのことは自分で管理しようと思って生きてきました。勉強も、周りから「ちょっと真面目過ぎじゃない」と言われるくらい頑張りました。幼稚園の年中さんのときから先生に、「るりこちゃんはしっかりものだから」と言われました。周りの大人はみんな、わたしはしっかりしていると思っていました。そう言われるたび、わたしは誰にも迷惑をかけたり、手間をかけさせてはいけないと思いました。みんなが言う良い子でいたい。ずっと、そう思ってきました。

 受験のときも、周りと競争するためだけの目的のない勉強は疲れたのに、大学進学という道を進まないわたしが、認めてもらえることはありませんでした。結局すべては大学だけなのか。
 世間体だけが大切で、わたしの頑張りを見てくれる人は周りにいなかったです。

 一体どこまで頑張ればいいのか、先が見えませんでした。そしていつからか、苦しくなるくらいまで頑張らないと自分の存在価値が受け入れられなくなって、常に自分を追い込むようになっていました。自分で自分を痛めつけていないと安心できなくなっていました。

 なのはなにいても、その気持ちがありました。真面目じゃないと思われることを異様に恐れる気持ちがありました。ちょっと疲れた、そう感じても、心と身体を休める自分が許せない。見えない誰かに見張られて、突き動かされているような感覚がぬぐい取れませんでした。真面目じゃない、ズルをしている。誰もそんなこと言わない、思わないとわかっているのに、真面目じゃないという評価が下されることが自分でもわからないくらいに、強烈に怖かったです。

 でも最近、そういう状態が苦しいと感じていました。身体は休みたいのに、心が許してくれなくて、疲れだけが溜まっていく。でも、真面目じゃない自分は許してもらえないと思うから、お父さん、お母さん、スタッフさん、誰にも相談もできない。安定感があって、誰にも迷惑をかけない自分でいないと認めてもらえない。
 その思い込みが強すぎて、全部1人で抱え込んで、1人で解決しようとして、1人で苦しくなっていました。

 狭い狭い枠に抑え込まれて、自分に行き過ぎを課すと、それを他人にも要求してしまう気持ちもありました。大した理由もなく当番を変わっている人がいたり、少しいい加減な作業をしている人を見ると、どうして? それは自分にはできないという気持ちが生まれて、苛立ちにもなってしまいました。
 最近のななほちゃんの日記に書いてあった言葉が、自分にも当てはまりました。
「自分は義務的にしてしまうから苦しくなる。だから、楽しそうにしている人をみると羨ましくなってしまう」
 わたしもそうです。一度こうと決めたら何が何でも譲れない、変えられない頑固さもあって、楽しむはずのものがどんどんと義務的になり、いつしか苦しいだけものになっていく。そんなときに人生を楽しんでいる人をみると、羨ましくて仕方ない。
 でもそれは、わたしの頑張り方が間違っていたからでした。

 こんな生き方は苦しいだけだと、自分でも感じていました。このまま行っても、本当には人生を楽しめない、良い生き方は歩めない。そう思う気持ちが、ここ数日ひしひしとありました。自立したとしても、明るい先が見えなくなっていました。

 そんなときに、誕生日がやってきて、お父さんとお母さんがわたしの現状にアドバイスをしてくださいました。
「るりこはまとまっていて、一見欠点がなさそうに見えるけれど、そこが欠点だ」
「そのままだと、苦しいと思うよ。今の状態から脱皮しないと」
 ああ、お父さんとお母さんは全部わかっていたんだなと思いました。ずっとずっと自分を押し殺して、良い子を演じてきたけれど、もうそんな固い殻は捨てていいんだと思いました。

 お母さんが、「少しくらい不真面目になってもいいよ」とおっしゃってくださったとき、これはわたしの勝手な解釈になるかもしれないけれど、「もう苦しい頑張りはしなくていいよ」と、幼い頃のわたしが欲しかった言葉を、お母さんが掛けてくださったのかなと思いました。

 今まで、家族や母親に認めてもらおうと、ずっと頑張ってきた。でも振り向いてもらえることはなかった。わたしの頑張りはまだ足りないの? 一体どこまで頑張ったら、もういいよって認めてもらえるの?
 そんな心の叫び声が完全に癒えていないから、わたしはなのはなにいても、狭い枠のなかで自分を苦しい方へ追い込んでいたのかもしれないと思いました。
 でもお母さんが、「もういいよ」と言ってくださいました。また、わたしが恐れていた、(一度、真面目じゃない自分を許したら、もう二度と戻れないんじゃないか。このまま落ちていってしまうのではないか)という不安に対しても、
「一度きっちりできる人は少しくらい不真面目になっても大丈夫だから」
 と言ってくださいました。

 嬉しいという言葉は適切ではないかもしれないけれど、そうお母さんが言ってくださったとき、少しだけ心が楽になって、これまで守ってきた何かから解放されたような感じがしました。
 わたしはもう、苦しい頑張りはしなくていいんだ。本当に安心して、心と身体に正直になっていいんだと思えました。それと同時に、もう本当に自由になりたいと思いました。狭い枠、狭い世界で生きていくだけの人生はもう嫌だ。わたしはわたしの人生を、自分の足で立ちたい、歩きたい、生きることを心から楽しみたいと思いました。

 わたしは小学生、中学生、高校生と、成績表の左側を重視した人生を生きてきました。そんな生き方に一見成功したように思えたけれど、実際、得たものは何もなくて、待っていた世界はモノトーンの色がない世界でした。
 わたしがいつか親になったら、わたしはこどもにそんな生き方は教えたくないです。わたしはお父さんとお母さんが教えてくださるように、成績表の右側が充実した世界を教えてあげられる大人になりたいです。
 
 だからまずは自分が生きることを楽しみます。みんなのなかで楽器、ダンス、スポーツを通して、もっと豊かな気持ちと身体を作り直します。
 この1年は良いことも悪いことも含めて、みんなのなかで自分をさらけ出して、良い子だけの自分から脱皮します。

 まだまだ書きたいことがあるけれど、今夜はここまでにします。

P.S
 今日は1日、何か行動を変えることはしていないけれど、自分に対して優しい気持ちでいたら、それだけで1日中、心が穏やかでいられました。

 読んでくださって、ありがとうございました。