「お米と共に私の心に」 なお

9月12日

 好きな季節は秋。
 稲の香りの中で、そう思った。場所は、光田んぼ。五感で、秋を感じていた。黄金色の稲の海。秋の色が視界の端から端まで広がる。稲の香ばしい香り。私にとってこの香りは秋を知らせるものだ。ざくっ、ざくっ、鎌が切れ味良く刈る音は、音だけでなんとも心地よい。稲を束ねる私の親指に感じる、確かな痛み。しっかりときつく縛れている証だ。私の五感が、稲刈りの喜びを目一杯感じている。ああ、秋が好きだ、と思った。

 光田んぼには、家族全員が集まっている。盛男おじいちゃんが、なるあしの立て方を教えてくださった。永禮さんは、あけみちゃんとペアを組んで、稲刈り部隊にいてくださる。お父さん、お母さん、みんなでの手刈りの稲刈り。午後一杯で1枚の田んぼを刈るため、刈るのも、藁で縛るのも、はぜ干しも、気持ちと時間に余裕を持って、安全に、確実にできた。おだやかで、満ち足りた空気の中に私はいた。

 お米作りの文化は、利他心の文化なのだとお父さんがお話をしてくれた。田植機やらトラクターやら、コンバインがない時代から脈々と続いているお米作り。それは1人ではできないこと。じいちゃんばあちゃん、父ちゃん母ちゃんの家族だけでもできない。地域のみんなで協力して、各家庭の田んぼの稲狩りを順繰りしていった。お互い様でないと、作れないお米。それは、人は1人では生きていけないということの、ひとつの象徴なのだと思った。
 
 夕食の席で、盛男おじいちゃんはこう話してくださった。
「いま、手刈りの稲刈りを体験したことのある人はほとんどいない。お米作りを播種から手刈りまですべて自分たちでしている。それを知識として知っているだけではなく、体験できるというのは、これから生きていくときになにがしか、必ず活きてくる」

 おじいちゃんとお父さんお母さんの話を聞かせてもらって、思うこと。それは、利他心の気持ちは、きっと知識として『利他心が大切』と頭でわかっているだけでは、心に深くは根付かないのだ。たとえば、お米作りを通して、体験としてみんなでお米を作ることで、利他心はお米と共に私の心に育つのだ。なのはなの生活、作業が、身体を動かして、頭を使って、心を使って、自分の人生の体験として積み重ねることで、私は利他の心を心に積み重ねて自分の生き方としていくのだ。誰かのために、役に立つ自分と、誰かに、たくさんの人に支えてもらう自分を、毎日の生活で体験して、体験して、自分の生き方を作っていくのだ。そこにある喜びや、生きている意味を、しみこませていくのだ。毎日が、手刈りの稲刈りのように。毎日が、手植えのように。私のいまの仕事も、そんな風に作っていくのだ。周りの人と、そんな風に生きる毎日を作っていくのだ。

 ああそうだ。五感のひとつは、まだ感じていない。そう、味覚。新米の味。それは、もう少しだけ先のことだ。これからコンバインでの稲刈りがはじまる。今年は3台体制での機械刈り。心強い。好きな季節、秋。豊かで、満たされる季節だ。