
9月12日のなのはな
稲刈りの季節がやってきました。なのはな稲刈りのオープニングを飾るのは、5月に手植えをした光田んぼ上での、もち米の手刈りです。
田んぼまで歩いていくと、田んぼに近づくにつれて、稲の香ばしい香りに包まれて、胸がいっぱいになりました。手植えの日から約3か月で収穫を迎える稲は、あっという間に大きくなり、お米の重みで穂が垂れて、今にも収穫を待ち望んでいるように見えました。そんな中、家族みんなで稲刈りの日を迎えることができてとても心強かったです。
なのはなの稲刈りでは、稲を刈っていく人と稲の束を藁で結んでいく人で組になって進めます。私はあんなちゃんとペアで稲を刈っていきました。
稲を刈っていると、ザクッザクッという音だけが田んぼ中に響き渡り、その音を聞いているだけで仲間の存在を感じました。
最初は心も身体も少し緊張していたのですが、刈り進めるにつれて大きな田んぼや稲の香りに安心して、気が付いたら夢中になっていました。
ふと、顔をあげると麦わら帽子に赤い長靴を履いたみんなが、柔らかい笑顔を向けてくれて、1つの田んぼに家族全員で作業をしている光景に温かい気持ちになりました。
稲刈りをしていると、誰かが何かを言ったわけではないのに、お互いに隣の人を気遣って、どこか一部分が遅れているということもなく、整然と稲が刈られていきました。
その中にいると、いつもお父さんとお母さんが話してくれるような、無償で助け助けられる関係が稲刈りで自然に生まれているのを感じて、いつもそんな関係を作れるようになりたいと思いました。
田んぼの中間地点まで刈り進められた頃、お父さんが、「休憩しましょうか!」と声をかけてくれて、田んぼの中で集合しました。
「昔の人はコンバインが無いから、隣近所の人が集まって1枚ずつ、協力して手刈りをしていたんだよ」
とお父さんが話してくれました。お父さんのお話を聞いていて、稲刈りは利他心の文化の象徴で、私たちの主食となるお米を作ることで、モラルの高い文化が築かれてきたのを感じました。
なのはなファミリーのお米作りは5月の播種から始まります。種籾を撒いて約20日で田植えとなり、それから約3か月で収穫を迎えます。ついこの間、家族みんなで田植えをしたばかりにも感じるのですが、こうしてお米作りについて1から知ることができるのは日本人として、とても誇らしいことのように思いました。
お父さんのお話を聞いて、改めて田んぼのほうを見ると、黄金色に光る稲の穂が喜んでいるように感じました。時代が進化して、田植え機やコンバインなど機械でのお米作りが盛んになる中でも、こうして手植えや手刈りができるのは、本当に日本人として、今を生きる1人として豊かなことだなと思いました。
後半戦、どんどんゴールが見えてきて、そこに向かって全力で動くのが気持ち良かったです。
「全身を使って、お米作りを味わってください」
とお父さんが言っていたように、頭も心も身体も全て稲刈りを通じ、みんなの存在を通じ、癒されていくのを感じました。
無事にゴールしたときは、隣で一緒に作業をしていたみんなと顔を見合わせて笑いました。じわじわと込み上げてくる喜びや達成感を感じながら、すぐに終わっていない所のヘルプに行き、集中して稲を刈っていくのが楽しかったです。後ろを振り返ると、刈られた稲の束が結びやすいように交差されて置かれ、稲の海になっていました。
刈り終わったあとは、あゆちゃんに教えてもらいながら稲の束を結っていたのですが、1束でもずっしりと稲の重みを感じて、嬉しくなりました。気が付いたら、盛男おじいちゃん監督の下、手刈りと同時進行で立てられたはぜ干しの土台に、稲の束が干されていました。毎年、盛男おじいちゃんにはぜ干しの方法を教えて頂いて、頑丈でたくさんの稲を支えるはぜ干しが田んぼに連なって立っていくと、力が湧いてきます。
最後、みんなで稲の束をはぜ干ししていくと、5列のはぜが完成しました。それでも干し切れない分は、お父さんが声をかけてくれて、2段重ねに干していったのですが、刈り取った稲がいっぱいに並んでいく光景がとても美しかったです。
はぜ干しされたお米を見ていると、心が満たされ、豊かな気持ちになりました。昔の人は、こうやって仲間と一緒にお米を作り、田植えをし、稲刈りをし、はぜ干ししていたのだと思うと優しい気持ちになりました。
日本人として、私たちの主食となるお米作りをこうして1から見て、動いて、全身で体験させてもらえることが嬉しいです。
なのはなの稲刈り幕開けを、家族みんなと暖かい気持ちで迎えられて嬉しかったし、改めて仲間の存在があるから私はよく生きたいと思うことができます。
これからも稲刈りで感じた気持ちを忘れずに、日々の生活に向かっていきたいです。
(ななほ)