「求めている幸せ」 せいこ

9月4日

 昨日、25歳になりました。正直、25年も人間をやっているような気がしなくって、まだ実感的には人間をはじめてから3日目くらいのような気分です。それくらいに私はまだまだ心も体も鈍くって、すぐドジを踏んでしまって、至らないところばかりなのですが、今日、みんながたくさんお祝いしてくれて、大好きなみんなから、
「せいこちゃんのことが大好きです」
 と、何度も言ってもらって、本当に幸せでした。この気持ちをもっともっとみんなに還していけるように、まだ見ぬ誰かへも還していけるように、これからも毎日、身を尽くして生活していきます。そういう生き方が私にとっての幸せなのかもしれないと思い始めています。

*初めての台所
 昨日初めて台所作業に入らせていただきました。河上さんやまりこちゃんやゆいちゃん達と一緒に作業できたことがすごく嬉しかったです。
 河上さんから、あらかじめ使う分量の野菜をなるべく正確に量ってから下処理することなど、後の人が困らないような作業の仕方を教えてもらえてました。河上さんは、良い作業は何か、悪い作業はどこが悪いのかというのをはっきりと具体的に教えてくださって、とてもありがたかったです。台所の作業も、仕事をたくさん覚えて、もっともっとできるようになりたいです。

*同盟サミットにて
 昨日のテーマは、「音楽の良さ、フラダンスの魅力はどこにあるのか」でした。私は、今まで、比較的たくさん音楽に携わってきた方なのかもしれませんが、音楽の良さが何なのか、いまいち良くわかりませんでした。まちちゃんがこのテーマについて、「音楽やダンスをする人とそれを観る人との間に共感が生まれ、演奏で自分たちの気持ちが伝わることが何よりの魅力だと思う」
 というようなことを言ってくれて、そうなんだ、とすごく心に響きました。

 なのはなに来る前まで、私にとって音楽は、「何もできない自分が、人前で恥をかかずにできる唯一もの」というような位置づけでした。なのはなに来る前までの自分を取り巻く環境は、一見何不自由なく見えても私にとっては居心地にいい場所ではなくって、訳もなく辛くて、苦しかったです。いつも、
「神様、私は、辛すぎます。せめて曲だけは、音楽だけは、いつだって自由に作れる人にしてください」
 と願う毎日でした。当時の私は、曲が作れればなんでもよかったです。作った曲に、本当の私が貫きたい正義や伝えたい意志が含まれていなくても全然構わなくって、吐き出すように作っていました。それで自分で自分の首を絞めているような感覚になることもありました。今思うと、私の考えはものすごく浅かったです。

 もし、また自分が音楽をする気持ちになった時は、その時は、自分が本当に届けたい人に届くような音楽をしていきたいです。誰にも言えない苦しさを抱えている人たちに届くような、何より、今ここで一緒に生活しているみんなに、深く深く届くような音楽をしたいです。
 そのためにはどうしたらいいんだろう……。これは正解かわかりませんが、私自身が心の奥底で求めている本当の幸せを追求していく生き方をしないといけない気がします。私の求めている幸せは、言葉にすると、「自分の全てを良かれの気持ちで目の前の人に捧げること」「人間としてあるべき生き方をすること」(うまく言葉にできませんでした)なのですが、それをもっともっと色んな角度で、色んな自分の感覚で、深く深く落とし込まないといけないと思います。
 
 今は音楽から離れているほうが居心地が良いので、あまりまた音楽をとことん演奏したり作ることは考えていないのですが、こうした意識で私が成長していく中で、もしまた音楽を作ることができたら、今までとは比べ物にならないくらいに本当に届けたい人のための音楽が作れると思います。
 私のこの気持ちは独りよがりではないですか? 利己心じゃないですか? また間違っていたら教えてください。
 
 明日も自分にできることを精一杯頑張ります。