「宝物の気持ち」 ゆい

8月19日
 
 午後、お父さんお母さんに浴衣を選んで頂くことができ、とても嬉しかったです。これまでなら選ばないような浴衣が、なんとなく今の自分にあうような気がして選んでみたら、それでいいねと言ってもらえました。帯はあゆちゃんが赤いものを選んでくれ、お父さんお母さんが、帯もいいねと言ってくださって、本番に着るものが決まりました。
 衣装部さんが準備をしてくれて、たくさんの浴衣の中から、自分に似合うものを選んでもらえるなんて、とても贅沢だなと思います。
 私は、みんながどんな浴衣を選んでもらったのか、それを見るのが楽しみです。みんなきっと、1人ひとりにあって、綺麗なんだろうとう思うとわくわくします。

 夜の集合では、誰かがたくさん質問を出してくれていて、共有させてもらえて嬉しかったです。最近私も質問を入れていないので、何かみんなと共有できる良い質問を入れたいなと思います。
 今日の質問では、自分も苦しいときには同じパターンにはまると感じる、共感できるものがありました。
 そこで、お父さんが、自由さについて話してくださって、私はそのとき、「ああ、そっか、そうだった。そう思えれば自分から離れ、ずっと生きて行ける、生きて行きたいと思えるんだった」と感じました。将来、保証なんてないけれど、逃げたくて安定を欲したりするとずっと苦しいです。そうではなくて幸せのその日暮らし。一日いちにちを精一杯、誰かのために生きて行く、人格を高めていく。それしかないです。そういうお父さんお母さんの子どもとして、誰かに繋げるために生きるという気持ちになれたときだけ、私はいつも、目の前の霧が晴れ、不安が消えて、すごく前向きに、生きていこうと思えます。

 自分が何に苦しんだか忘れちゃいけないとお母さんがおっしゃいました。
 私は摂食障害になりました。それを無駄にしません。生きる意味をもらいました。
 誰の評価でもないです。神様に対して、役割りを果たすことを誓うような気持ちで、エンドレスに成長していく。そういう生き方をします。
 
 お父さんが、私がなのはなに来てまもないころに、「お父さんはお前が本当に欲している自由を知っているよ」とおっしゃいました。
 今、私はまだ自由を100%身体に入れられていないけれど、感覚が分かります。苦しさにとらわれてくると、その自由さがなくなって、安定したいと思い始めます。
 でも、目が覚めるように感じるとき、確かにこれは間違いがない、私はこう生きる、という強い意志を持てるときがあって、それをいつでもぶれずに持っていられるようになればいいと思いました。
 お父さんお母さんを第一にして、過去の価値観とは切り離れるというのは、自分が自由にぶれずに生きていくことなのだと思いました。

 明日誕生日が来てしまいます。正直、来て欲しくないような気持ちですが次の一年、精一杯で生き、誰かのために頭と心を100%使える明るく希望のある人になっていきます。なのはなで教えてもらったことを広げ、回復した1人として、後に続く人のために全力で楽しんで働きます。みんなのことを思うだけで、勇気をもらえ原動力になります。それは、本当に、私がなのはなでもらった宝物の気持ちだと思っています。