「わたしにはいつも」 みつき

8月1日

 昨日、みんなで海水浴に行ったという出来事が、夢だったのではないかというように感じられます。
 でも、中庭に干してある浮き輪や、自分やみんなの日焼けを見ていると、ああ、本当なんだ、夢じゃないんだなと思い起こされます。

 今までずっと、海のない場所で過ごしてきたわたしにとって、昨日見た鳥取の海は本当に忘れられません。
 目をつむったらすぐに思い出せるくらい、鮮やかに目に焼き付いています。
 あんなに綺麗な海を見たのは、初めてでした。
 透き通った海の水、サラサラの白い砂。
 また、みんなが見せてくれた小魚やアメフラシ、アオサノリやアサリなど、海の生き物たちが自分のすぐ近くに居たことが、うれしかったです。
 また、みんなで食べたスイカの美味しさに驚きました。かじりつくたびに汁が滴って、甘さが火照った体に染みわたりました。
 ふと、誰を見ても、その顔は笑っていて、わたしもつられて笑顔になりました。
 海で泳いでいても、ただ海を見ているだけでも、何をしても楽しくて、尊いものを感じました。

 海は、なのはなのみんなに似ているなあ、と思いました。
 どこまでも大きく広がっている海のように、みんなはいつもわたしを大きく受け止めてくれます。
 わたしが不出来でも、失敗しても、「大丈夫だよ」「どうってことないよ」と、快く許してくれます。
 透明の海の水のように、みんなは純粋で、濁りがなくて、誠実な姿を見せてくれます。
 さざ波のように、みんなは優しくわたしを導いてくれます。
 ときどき、本当に困ったときは、大きな波のように、わたしをグッと前向きなほうへ引っ張っていってくれます。

 どうせ泳げないし、肌も弱くて日焼けしてしまう、と今まで海と自分は遠い存在に感じていたけれど、そんな気持ちもどこかへ飛んで行って、わたしは海 のことも、みんなのことも、もっとだいすきになりました。
 ずっとここにいたい、ずっとこうしていたいと感じるくらいでした。

 古吉野に帰ろうと車に乗り込んだとき、寂しい気持ちでいっぱいだったのですが、すぐにその気持ちもなくなりました。わたしはもう、「それじゃあね」と誰かと別れる寂しさも、ひとり真っ暗な部屋に帰る事もないのだということを思い出しました。
 海が見えなくても、海がそこになくても、わたしにはいつも海のようなみんながいるから、安心していていいのだと気が付きました。