【7月号①】「仲間と進む、自立への一歩 ―― 父の日の会を通して、得たもの ――」やよい

 二日間にわたって、なのはなの父の日の会が行なわれました。なぜ自分たちは摂食障害になったのか、何が苦しかったのか。苦しみの根源である心の傷。それを越えてどう生きていくのか。

 父の日の会では、過去の経験を劇にして、演技をつけ、セリフを言います。環境は少しずつ違えど、摂食障害の私たちが負った普遍的な苦しみをどう超えていくのか、気持ちをセリフにして言うことで、苦しみを昇華させ、前向きに生きていくために、一人ひとりが、みんなが見ている前で表現しました。 

苦しさのもととなった心の傷と、それを越えてどう生きていくかという気持ちを、全12チームが寸劇に仕立て、みんなの前で演じました。

 
 会の準備は本番の約一か月前からはじまりました。一人ひとりの過去の経験をいくつかのシーンに分けて、劇にしますが、各チームに分かれて、チームのメンバーで協力して劇を作っていきました。

 まずは、劇の脚本を作るための材料集めからはじまりました。材料集めができたら、脚本書きにうつります。

 父の日の会の内容を知ったとき、少し不安に感じました。過去のことをあまり覚えていないので、経験を箇条書きにすることはできても、セリフまで書くことができるのか。過去のことを劇にするのは難しく感じました。

脚本が完成したら、チームで読み合わせです

  
 でも、チームのみんなでお父さんに脚本を確認させていただいたときに、自分にとってわかりやすい場面にしていい、セリフはイメージで自由に作ってしまえばいい、ということを教えていただいて、その言葉にとても心が軽くなりました。

 自由自在にといったら語弊があるかもしれないけれど、少し誇張して、見てくれるみんなに分かりやすく面白くなるように書いてしまっていいんだなと、気づきました。見てくれる人に、笑って欲しい、笑ってもらって、忘れられるただのおかしな思い出になってほしいと思いました。

■過去にタイムスリップ

 脚本を書くのは、自分ひとりではなく、チームのみんなと協力して書けたことがとても心強かったです。ひとつのパソコンを、チームのメンバーで囲って、一緒に脚本を書き、悩みながらも、セリフを考える時間は楽しかったです。

台詞の言い回しも、繰り返し練習しました。

  
 他のメンバーの脚本を一緒に考えていても、自分が経験してきたはずなのに、自分のことほど客観的に見づらくて、苦しみを昇華させる脚本を書くことの難しさを強く感じました。でも、一緒に会話したり、質問して、もやもやとしたものをつきつめていくと、こういうセリフを言ったほうがいい、というのが見えてきたりしました。本人が客観的に見づらいのであれば、私は過去にタイムスリップした気持ちになって、どういう風に劇にすればいいのか考えました。

 一緒に悩んで、思いついたら一緒に笑って喜んで、紆余曲折しながらも脚本ができるととても嬉しかったです。演劇練習に移ると、演劇練習をしたことでしか気づけない、気づきがありました。演劇練習で、私は地方の方言を話しますが、他の登場人物を演じてくれる人にセリフの言い方を伝えていると、私は昔こういう風に、こんなイントネーションで話していたのだ! と思い出しました。

■喜劇に変えていく

 劇を練習しはじめると、今までになく、自分が味わった経験が、おかしいものだったと気づいて、練習が面白くなりました。何回か、心の傷を癒すミーティングは受けてきたけれど、劇で演技をつけ、セリフを言うことで、より高い客観性を持って自分の過去を見ることができました。

 これは思い出せない、恐ろしい、怖い経験ではなかった、これは「喜劇」だったのだと思いました。でも、ただの喜劇だと流すことはできなくて、その苦しみに対して、おさえてきた、自分が言いたいこともあふれて、そしてけじめをつけたいと思いました。その気持ちをみんなに聞いてもらいたいと思いました。

 一人ひとりの劇に出てくる登場人物は、チームのメンバーで演じます。私も、チームメンバーが主人公である劇に出てくる強いキャラクターを演じさせてもらいましたが、それが私にとってとても貴重でありがたい経験でした。

 はじめ演劇練習がはじまったときは、演じ方が分からなくて、少しとまどってしまいました。真面目に演じてしまうと、シリアスさがましてしまいました。これでは恐ろしい経験のままになってしまう、これではいけないと思いました。困ったときに、チームのメンバーのみんなが、こうしたらいいんじゃないか、とアイデアをだしてくれました。

 ある日の練習、勇気を出して、思いっきり、おかしく演じてみると、本人役の子が大笑いしてくれました。その瞬間、とても嬉しかったです。それからというもの、夜寝ているときなども、脚本にあるシーンをどう演じるか、どうすれば面白おかしくなるか、考えました。

 演じ方が分からない、上手くできないときは苦しいけれど、試行錯誤しながらも、みんなが一緒に考えてくれて、体験を、ユーモアに転換させながら、演じ方を見つけていく時間は、いつも笑いが起こって楽しかったです。

 なぜ、登場人物を演じるのか。なんのために。それは、主役の子の、未解決のままである苦しさを昇華させるため、その子のため、でした。上手く演じられなかったとき、それは自分の悪い癖で、どう見られるかという、周りの目を気にしてしまっていたのもありました。自分に自問自答して、これは自分のためにするのではない、たった一人のためにするのだ。ということを、何度も自分に言い聞かせました。

「私、気持ちが出しやすくなったよ」
 
 本人役の子がそう言ってくれました。本人役の子が喜んでくれたら、本当に嬉しくて、やる気が倍増しました。そうやって、メンバーのみんなと演劇を練習する時間は、紆余曲折がありながらも、一緒に成長していっているのを感じました。

 本番まで、チームの劇はこのままでいいのか、けじめをつける自分の最後のセリフはこのままでいいのか、チームのメンバーとどう向き合えばいいのか、など不安はいくつかあり、その中で過去のことを思い出すことで自分の気持ちも上がり下がりして、練習から、チームのみんなから逃げ出したくなるような気持ちにもなったことも何度かありました。でも、そういうときチームのみんながいたからこそ、最後まで逃げずに、あきらめずに、本番まで練習をし続けることができました。チームの一員として、逃げずに、できることを全うしていきたいと思いました。

■お母さんの言葉

 チームのメンバーとの向き合い方が分からなくなったときに、お母さんに相談させていただきました。お母さんがそのとき教えてくれたことが、とても印象に残りました。

 井戸の中にいる子を助けるとき、井戸の上から、「お〜い! 登っておいで」というのではなくて、その子がいるところまで一緒におりて、一緒に登ってくる。摂食障害の子が立ち直るとき、そういうふうに回復し、それが回復の方法であるということ。

 その話は、夜の集合で、お母さんから今まで何度も聞いていたはずなのに、私はこの会を通して、チームのメンバーとどう向き合っていくかを考えたとき、そのことがちゃんとは理解できていなかった、とはじめて気づきました。

 私は、お父さん、お母さんの話を聞いて、「自分にはそういうところが足りないんだ!」と気づくと、早く自分もそこまでいかなくてはいけない、自分も理解できるようにならなくてはいけない、早く、早くと思ってしまう傾向があり、それはいいことでもあるけれど、他の人から見ると、おかしくもあるということ。

 そして、それを自分だけでなく、他の人にも求めてしまっていたということに気づきました。理解されずに井戸の上から、ただ声をかけられて、自分たちが理解されず苦しかったことを、自分も同じようにしてしまっていたのだと思いました。

「やよいは、その子の気持ち、心に沿って、一緒に考えようという姿勢が足りないよ」

 ああ、本当にその通りだと、気づかせていただきました。

「井戸の上から声をかけるのではなくて、その子のところまで降りて一緒に手を取って、一緒に上に登っていく。お母さんは、やよいにそういうスタッフになってほしいと思っているよ」

 未熟さを痛感したと同時に、お母さんがくれた言葉がとても有り難くて、嬉しかったです。

 本番の日が来ました。一人ひとりが、勇気を出して、潔く、自分の過去と決別する決心をセリフとして言いました。その姿に、共感し、勇気をもらい、同じ仲間であることを誇りに思いました。

 同じ苦しみを感じたからこそ、だからどう生きていくのか、ということも改めて考えさせられました。劇では、どのチームの発表でも何度も笑いが起こりました。お父さんが、会がはじまる前に、自分が苦しかった、恐ろしかった体験は、劇にしてみると喜劇になる、そしてその劇をみんなに見てもらって、知ってもらうことで、今まで自分の足を絡め取っていた「傷」から「忘れられる思い出」に変わるのだと、教えてくれました。

「これは一人対みんなのOMTだよ。自分の気持ちを洗いざらい、みんなの前で表現し、ひとりのものからみんなのものにして、苦しさを昇華させていく。だから、全部、肯定して聞いてね」

 本番の前日の夜の集合で、お母さんがそう教えてくれました。

 本番、ステージでセリフを言う本人役と、前で聞くみんなとの間に絆が生まれ、暖かい空気で包まれているのを感じました。お母さんが教えてくれた「一人対みんなのOMT」が本当に起こっているのだと感じました。

 みんなの前でだからこそ、勇気を持って、自分の中にある苦しみを洗いざらい表現することができ、それを無条件に受け止めてもらえる。そして、聞いてくれるみんなも、自分のこととして、環境は少しずつ違えど、同じ苦しみを負った仲間として、一緒に共感することができる、だからどう生きていくか、同じ方向性で、過去とけじめをつけることができました。

 本番で、本人役が心の傷に対し、けじめをつけるセリフでは、みんなで作る空気があったからこそ、今までのどの練習よりも、気持ちがストレートに表現されていました。そのことが本当に嬉しかったです。

■仲間の財産に

 私は、ずっと過去に対する怒りが手放せませんでした。そして、怖さと不安。いつ自分がバカにされるか、落とされるか。自分を縛る恐怖。私は、なのはなに来てはじめてひとりの尊い人間として、受けいれてもらいました。

 だから、もう無理に正義を通そうと思わなくてもいい。理不尽だった過去はみんなに知ってもらえた、だから私は、怒りは捨ててもいい。過去に対する正義心は必要ない。正義を通そうと、もう思わない。みんなの前で大きな声で、そう断言しました。

 本番前日、最後のセリフについて相談したとき、お母さんが、

「やよいはまだ、ここにいても、誰かにバカにされるんじゃないか、落とされるんじゃないか、と怖がっているんだよ。だから、ここでは誰もバカにしたり、落とす人はいなくて、安心してなのはなで生活したほうがいい、ということをセリフに入れた方がいいと思うよ」

 と教えてくれました。

 お母さんの言葉を聞いたとき、涙がこみ上げてきました。それは、私が心の底から求めていた言葉だったと思いました。その言葉は、私にとって、お母さんからの大切なプレゼントでした。

 今いるここに、誰一人として、私をバカにしたり、落としたりする人はいない。私がどんなに失敗しても、間違っても、誰もバカにしたりしないし、ましてや嫌われることもない。だから、私はなのはなで何も怖がることなく、心配することなく、安心して過ごしていいのだということが分かりました。

 だから、過去のことは忘れます。さようなら、苦しかった日々。私はもう、苦しさを超えて、生きていきます。
 そうセリフで言いました。

 自分の苦しかったことも、どう感じていたかも、そしてどう決着をつけるかも、自分の心の中をすべてみんなに聞いてほしかったです。知って欲しかったです。そして、私の気持ちをみんなに受け止めてもらいました。

 みんなの前だからこそ、勇気を持って、セリフを言うことができました。そのことが本当にありがたかったです。この日までに得た物は、かけがえのないものになりました。そして、この日、ステージで表現されたことは、これから先出会う仲間にとって財産になるのだと思いました。

 お父さん、お母さん、みんなの仲間として、回復の道を築いていく一人として、これからもずっと生きていきたいと思いました。自分の依存を手放し生きていく一歩を、みんなで歩めたことが、嬉しかったです。
  

父の日には卒業生から、たくさんのお花や贈り物が届きました