「体感」 えりさ

5月14日 

 

 久しぶりの日記になってしまいますが、最近のことを書き留めたいです。

 集合でお父さんは作業をする時考えて動くことの大切さを教えてくださいました。

 何も考えずにとにかく言われた通りに動くのではなく、リーダーさんになったつもりで常に意思を持って、視野広く動く責任が1人1人にあります。

 私はもっと自分から離れ、みんなのためになる責任を持つ必要があります。とても大きい課題です。

 2日前、私は定植されてばかりのナスに水やりをしていた時、根本から切れていた株を見つけて、掘ってみると根切りムシがいました。「これは担当者に伝えないと」と思ったのですが、完全に忘れてしまいました。

 これは、私がちゃんと野菜に対する責任感を持っていないからです。

 担当野菜のスイートコーンに同じように、定植した次の日に根切虫被害が見つかったら、必ずリーダーのやよいちゃんに報告していると思いました。

 担当者じゃないからナスの根切り被害を他人事のように感じていたため、報告するのを忘れました。プレヤーではなく、水やりだけをしに畑に訪れた、無責任オブザーバーでした。本当に無責任で、残念でした。

 担当野菜でなくても、自分のことのように全ての野菜を見ていきます。

 

 これは何事に対しても当てはまります。
 ゴミが落ちていたら、その場所の掃除担当でなくても、気付いたら拾う。花瓶の水を変える。手が足りてなさそうだったら声をかけなくても助けに入る。
 これは当たり前です。
 私にはまだまだ自分に対するこだわりが強かったり、自分からちゃんと離れられていないことがあって、こうして、無責任なことをしてしまいます。

 もっとみんなのために、利他心だけで動くように変わりたいです。

 

  • ダンス練習

 昨日あゆちゃんに『シャンデリア』を見てもらいました。

 久しぶりにあゆちゃん中心のダンス練習だったのですが、あゆちゃんの見る、あるべき理想のイメージに近づくようにみんなと一体となった時間が本当にありがたかったです。
 さやねちゃんやゆりかちゃんとのダンス練習も一緒なのですが、みんなと動き、気持ちを綺麗に揃えることを重視しています。なぜなら、なのはなでのダンスは自分を綺麗に見せるのではなく、みんなと大きな、大切なものを表現することが目的だからです。優しい、利他心の世界を見る人に届くことを信じて表現しているからです。

 私は2019年のウィンターコンサート前の練習では、このことをちゃんと理解できていませんでした。なので、あゆちゃんとのダンス練習が少し苦しく感じることがありました。指摘されると、攻撃されている気持ちになってしまい、落ち込んでしまいました。
 自分が綺麗に見えてないんだ、と変な悲しさ、利己的な悔しさを感じてしまいました。
 しかし、昨日のダンス練習は全く違いました。あゆちゃんが「すごく綺麗になっている!全然違う!」と大きな笑顔を見せながら、どんどんみんなの動きが揃っていく過程にものすごい喜びを感じました。体制をキープするのがキツくても、腕の角度、姿勢、表情を細かく全員で揃えていく時間が本当に嬉しかったです。みんなの一部になって、あるべきイメージに近づくことにつれ、自分に対するこだわりがどんどん消えていくことを体感しました。
 センターで伸び伸びと踊るれいこちゃんは鳥で、彼女を囲む私たちは森や茂み。「私を見て、と自己主張するのではなく、頭を冷やして、気持ちはずっとれいこちゃんに向けるんだよ」あゆちゃんの言葉は本当にわかりやすかったです。
 曲のサビの時、歌いながら手を伸ばす振りがあるのですが、この時「ただ自分の中指を見るのではなく、もっとその先の何かをイメージしないといけない」とあゆちゃんが言うと、後ろで見ていたお母さんが「自分の中の神様に行き届きますように、と思ったらいいよ」と教えてくださいました。
 お母さんのこの言葉をイメージしてサビを踊ると、自分の中の何かが込み上がる感じがしました。

「今までの利己的な人生観、訳もわからず苦しんでいた時間、無念感、これからの原因を全てわかって、これから私は利他心の人として生きていきたい!この強い思いが自分の中の神様に行き届きますように!」と思いながら自分の中指の遠く先を見てサビを踊りました。そして、となりで踊っているあやかちゃんや円の中心で踊るれいこちゃんを感じて、自分は1人ではない、新しい人生に向かって1人で歩んでいないんだと、ものすごい安心感を感じました。

 涙が出てきそうなくらい、すごく、感情的な瞬間でした。

 最後にお父さんにダンスを見てもらい、「ダンスをする時の表情に日々の生活の心持ちが現れる」と教えてもらいました。「一生懸命に、厳しく生きている人は厳しい表情ができる。甘えて毎日生活している人はちゃんとした表情はできない。」

 ただお客さんに「すごい」と思わせる、綺麗なダンスをするのではなく、私たち全員で伝えたいことがちゃんと届くように、表情を作っていかなければいけません。曲の世界を実際に見ながらダンスをしないと伝わりません。

 私もしっかり伝わる演奏ができるように、日々の生活から甘えを打ち消し、厳しく生きます。

 

 夜、『ザ・グレテスト』のダンス練習をしたのですが、私は他のダンスメンバーとカウントがずれたり、止めが足りていないです。これは私がダンスに慣れていないからではなく、私の甘えが現れているからです。
 お母さんに教えてもらったことで、『ザ・グレテスト』は世の中を不当で生きにくくする張本人たちに対する怒りそして新しい世界を切り開く強さを表現する曲です。
 私はみんなでこの曲を通して伝えたいメッセージをしっかり表現できるようにもっと強く心持つ必要があります。優しくない価値観を完全に捨てて、切り拓く人になり切る必要があります。

 16日の本番まで練習頑張ります。

 

  • 自分の中の神様

 先日のお昼の集合でお父さんお母さんは自分の中の神様についてお話してくださいました。宗教の信仰者じゃなくても、自分の中の神様がいることを信じ、神様という存在の一つの支店として、誠実に、真面目に生きる大切さを教えてもらいました。
 本当に、誰が見ていて、どう評価されるのではなく、自分の中に神様がいて、神様が見ているから私は真面目、一生懸命に生きるしかないと思いました。たまに羽目を外したり、怠けたり、甘えたり、逃げたりする生き方は、外の世界で許されていても、摂食障害になった私にとって、人生を諦めることです。
 お母さんが言っていたみたいに、「神様なんて信じない」というスタンスは本当に利己的だと思いました。神様がいないから好き勝手にしても良い、例え悪いこと、優しくないことをしている予感があっても、神様がいないし、誰も見ていないから大丈夫だ思い始めると、人生が終わります。
 改めて、私の人生はまだ見ぬ誰かのものです。私は世界をもっと生きやすい場所にする一つのパートです。あまり力にならなくても、自分ではない、誰かのために、そして自分の中の神様に誠実に、精一杯生きます。

 答えは本当にそれっきりです。

 

  • 夜の集合 (箇条書きになってしまうけれど、書き留めます)

 今日の夜の集合のお話をしっかり心の中に落とし込みたいです。
 まず、私はお父さんが言っていた通りの人です。自分を実力以上に見せかけ、自分を守ろうとしていました。自分の欠落を薄々自覚しているけれど、それがみんなにバレてしまうことが怖かったです。その延長で、お父さん、お母さんに私の浅さを指摘されるからお父さんお母さんやハウスミーティング、夜の集合に質問を出すことを恐れていました。
 実は私はかなり未熟者であることはバレバレです。
 だから私の恐れる気持ちは本当に意味ないです。エネルギーの無駄です。
それより、もっと自分に正直に生きて、今の自分ができることを精一杯頑張る必要があります。
 私はまだ自分に対するこだわりが強く、自分を守ろうとする傾向があるのですが、お父さんの言葉をしっかり落とし込み、今日、今から少しずつでも変わります。

 限界を生きること。

 お父さんは限界で生きることが本当に生きることだと教えてくれました。
 余裕を持って、楽をして生きることを目指す人が多数である今の世の中ですが、摂食障害になった私たちはその価値観を持ってしまうと、すぐに苦しくなってしまいます。

 仲間と一緒によくなること。

 仲間を支えながらお互いよくなることの喜びを教えてもらいました。

 なのはなでシスターをする時も、新しく入所する人をと一緒にいることによって、自分も回復までの道のりをより深く理解できて、よくなっていける。

 本当に、回復とは人と人との間にしかない。

 なのはなではみんなお互いを支えながら、お父さん、お母さんの身も守る中、光に向かって、生きている。

 なのはなのような環境を競争の外の世界にも広めるのが私たちの使命。

 血縁関係なくても無条件に仲間を助け、助けられる世界を切り開くことが私たちの使命。なのはなファミリーを言葉で表すのは難しい。

 生き方で広める。

 今日お父さんお母さんのお話を聞いて、私は本当に守られるいるなと改めて思いました。

 本当はもっともっと書きたいことがあるのですが、消灯が近づいているので、ここまでにします。