4月30日
*ハウスミーティング
お父さんは、いつから利他心でしか生きていくことができないと思ったのか、そんな質問の中で、お父さんは「利他心とは、つまり共感ということ」と教えてくださいました。
「自分の傷に、共感してくれる人がいたならば、生きていくことができたはず」
その時、ふと、自分が質問しようと思っていた答えが近くにあると、感じました。
「共感に、情緒は必要ですか」
情緒とは一体何なのだろう。なんで情緒がいるんだろう。
小説はとても好きです。なのはなに来て、初めて本を面白いと思いました。
お父さんは良く、情緒を育てるには小説を読むこと、と教えてくださるけれど、その情緒って、一体何のための情緒なのか、わかっていなくて、わたしの中で、小説を読むということは、生きる源ともいえる力が湧く、とても大事なことであり、1日に1分でも欲しい大切な時間、という位置づけでした。
「共感と情緒は、相関関係にあります」
利他心でしか生きていけない、傷ついた私たち。
利他心とは共感。その共感が深ければ深いほどに癒される。
そしてその共感は、情緒と繋がる。
「情緒とは何か」
お父さんお母さんが、わたしの傷を「お前は悪くない」と言ってくださったとき、ボロボロと涙が出てきました。
ずっと、わたしが良い子でないから、悪いことをしたからされて当然の罰だったと思おうとして、思い込みきれないことが、解決したときに、そこには、お父さんお母さんの深い共感と理解がありました。
わたしが、その共感に癒されたように、わたしが回復して、そしてまだ見ぬ誰かを癒し、救うために、「情緒」はなければならない、それも深ければ深いほどに、良い回復と今の社会に、必ず役立つ自分の大切な宝になるだろうと思いました。
これからもずっと、本を読み続けます。
あるべき心の姿を、感じ続けていきたいです。
今日も一日ありがとうございました。
おやすみなさい。