「みんなのための欲に」 ちさ

4月27日

 今日はうまくいかなかったこともありました。当番のヘルプにいったのはいいけれど、ピンチの空気の中で落ち着きを失ってしまっていたのだと思います。リーダーさんとぶつかってしまって逆に足を引っ張ってしまったのはすごく申し訳なくて、力になれなかったことにしょんぼりしていました。

 けど、いいこともありました。
 夜にお父さんお母さんのスクランブルエッグのお話を聞いて、スクランブルエッグではないけれどニラなどをいつか入れて卵焼き焼いてみたいなとひそかに思っていたのですが、そのお話に背中を押されて、お父さんとお母さんに聞いたらやってもいいよと言ってくださってうれしかったです。ニラを刻んでいると、餃子を思い出しました。餃子って本当にニラの香りなんだなと思いました。癖のある香りではあるけれどすごく食欲をそそられるこのにおいが私は結構好きです。餃子というとりゅうさんが思い浮かびました。
 刻みながら、黄色い卵焼きに緑のニラがちりばめられている断面を想像するとすごくうれしい気持ちになりました。緑が濃すぎるかもしれませんが、少しなのはな畑みたいだなと思いました。新しいことをしたり、特にお料理はすごくワクワクするなと思いました。

 少しわがままを言ったら、まみちゃんが笑顔で「やろう!」と言ってくれたこともうれしかったです。今日はなるちゃんと一本ずつやりました。何回焼いてもすごく緊張します。少しでも焦る気持ちがあれば、お料理はすぐに表に出るなと感じます。卵焼きだと破けてしまったり、形がいびつになってしまったり、何回やっても余裕はないです。けどそのがけっぷち感、緊張も楽しいです。
 夜にはお父さんとお母さんが見せて、と言ってくださったのもうれしかったです。自分が喜んでいるからテンションを合わせて喜んで上げる、というのではなくて、自分の喜びをお父さんとお母さんが心から喜んでくださっているように感じてそのことがとてもうれしかったです。

 最後に、そんなことを通して考えたことがあります。当番でうまく動けなかったことへの落ち込みや、リーダーさんがいつも役割分担をしてくれる中で自分からやりたいことをいうのがわがままなのではないか、という気持ちが最初ざわついてしまったことについてです。それこそお母さんが夜にもおっしゃっていたように、当番で少しモヤっとした気持ちになってしまったのは、リーダーさんに対する自分の評価を気にしていた、利己的な気持ち故だし、自分からやりたいことを言ってしまったことへの罪悪感も、周りの人からわがままだと思われたらいやだな、という気持ちが原因だと思いました。

 けど、うまく動けなかったとしても、力になりたい、と思って言ったのには違いなくて、良かれと思ってやりました。自分もやってみたいと思ったし、みんなにも喜んでほしいなと思って、やってみました。それだったら失敗したとしても、自分の意見を出してしまったとしても、みんなのための欲だったらいいのではないかと思いました。お母さんなんて無理やりでもみんなのための欲に持っていくよ、とおっしゃっていました。いい子に逃げるのはやめて、みんなのための欲なら、胸を張ろう、と思いました。それだったら失敗しても怖いことなんてないです。恐れるものはないです。そう思えたとき気持ちがさっぱりしました。

 みんなのためだけの濁りのない気持ちで、自分の精一杯でいつも生きていたのならば、恐れるものは何もないのではないかと思いました。それでうまくいかなかったとしても、割り切れるとおもいました。反対に、モヤモヤとした罪悪感が生まれるのは、自分がベストを尽くせていないから、自分の在り方に嘘があるからです。
 すごいことをしようとは思いません。だけど、いつでも自分のベストを尽くして、みんなのために後悔のない今を過ごしたいです。

 短いですが少しでもかけてよかったです。書くと気持ちが前向きになります。
 お母さんに笑顔で「おやすみ」と言ってもらって、今日はいつもに増してよく眠れそうだなと思いました。
 読んでくださりありがとうございました。
 おやすみなさい。