【4月号⑬】「今期最後の味噌の仕込み ―― 黒大豆の味噌作りと塩糀作り ――」 ななほ

 僕の名前は『塩糀花道』。そして、僕には『黒大豆味噌乃』という名前の妹がいて、ついこの間、黒大豆と結婚し、三年後には熟成されたお味噌になるのです。

 僕たち兄妹を育ててくれたのは、味噌作り第三弾の『糀時代』のメンバー。 

 ゆりかちゃんを中心に、かにちゃんやさきちゃん、よしみちゃん達が僕たちを大切に、心を込めて育ててくれました。僕にはとても素敵な人生のサクセスストーリーがあり、今回はその一部始終を紹介いたします。

 

 

■『糀時代』

 『糀時代』のみんなは僕たちが生まれる前から、家庭科室で準備をしていました。育苗機のセットに、種付け台のビニール張り、糀箱の熱湯消毒など、まだか弱い僕たちが元気に醗酵できるように、綺麗に消毒をして、楽しそうに僕たちの誕生を待っていてくれていました。

 あの頃の僕はまだ、粉状の糀菌でしかなかったから、机の上でみんなの様子を伺うことしかできなかったけれど、こんなに素敵な世界に生まれてこれると思うと、とてもワクワクしました。

 そして迎えた味噌作り二日目は蒸米から始まり、朝からお米を蒸した甘ーい香りがして、家庭科室いっぱいに湯気が立っていました。みんなが前日からお米をザルにあげて水切りをしてくれていたお陰で、一粒一粒のお米がしっかりとして、ツヤツヤして光り輝いていて、とても綺麗でした。

 三段の蒸籠を入れ替えながら、お米を蒸しているみんなの姿を見ていたら、ゆりかちゃんが、『ヒネリモチって言って、耳たぶ程度の柔らかさになったら一番いい蒸し加減だよ』と話していました。 僕はそれを聞いて、(お米の蒸し加減でも今後の醗酵具合が異なるんだな)と思い、時間を計りながら、確実に蒸米をしていく糀時代のみんながすごいなと思いました。

 一番最初は十九分ほど、二段目以降は八分前後で蒸し上がっていき、蒸しあがったらすぐにお米を種付け台にひっくり返し、団扇で必死にお米を煽ぐ。

 (あれれ? 僕が宙に浮いている)と思ったらすぐ、ゆりかちゃんやかにちゃんが茶こしを使って僕たちをお米につけていくところで、気が付いたら僕はお米の上に。すると、他のみんながお米と僕たちをギュッギュッともむように擦り上げていき、お米一粒一粒に満遍なく、僕たち糀菌をつけていきました。

 人肌程度に冷めたお米にくっついて、ぬくもりを感じながら、種付けの作業は終わり、無事に僕は『塩糀花道』として、妹は『黒大豆味噌乃』として、この世に生まれました。

 

 

■潤みが出て

 そして、引き込みの作業。僕たち兄妹は三十二箱分の糀箱に均等に入り、ナマコ型に整えてもらったあと、ほんのりと温かい布巾を被って、育苗機の中へ。

 育苗機は二重のビニールで覆われていて、中には二百ワットの熱をはなつ電熱器と、お湯の入った小鍋が二つずつ。育苗機の中は常に湿度九十パーセントくらいを保っていたいらしく、僕は湿度が高い心地よい環境の中で、午前十一時から、午後の八時半までスヤスヤと眠ってしまいました。

 

 

 ハッと目が覚めた頃には、切り返しの準備が行なわれていて、もう一度僕たちは育苗機の外へ。お米に潤みが出て白い点が見えてきた頃、僕たちは切り返しと言って、攪拌されました。

 『糀は一人で歩かない』種付けのときにゆりかちゃんが話していたように、僕たちは一人で歩くことができないから、お米を攪拌することで、満遍なく繁殖できると教えてもらいました。

 お米の塊を解していくみんなが、「わー! 綺麗」「潤みが出ている!」と喜んでくれて、思わず飛び跳ねてしまいました。そう、この時だけは僕たちはピコピコと動くことができるのです。具体的に言うと、熱々のご飯の上にのせたかつお節のように。

 攪拌されてもう一度ナマコ型に整えてもらったら、育苗機の中にいる間は、一時間ずつ『糀時代』のみんなが交代交代で見回りに来てくれて、その度に「少し糀の香りがする」「よく発酵するんだよ」と声をかけてくれました。

 夜の間も僕たちが発熱し過ぎないように、電熱器の強さを調整してくれたお陰で、一時間に一度ずつ、糀箱の温度が高くなり、順調に発酵することができました。なのはなの味噌作りをマニュアル化してくれた歴代の味噌メンバーさんや、今期の第一弾、第二弾のみんなが残してくれたデータがあるから、こうして、僕たちは米糀になれる。

 そう思うとありがたくて、卒業生のみんなとも味噌作りを通して繋がっていられると思うと、つい、心が温まって温度が上昇してしまい、かにちゃんやさきちゃんを驚かせてしまいました。

 

 

 

■黒大豆で仕込む味噌

 味噌作り三日目は盛り込みの作業から始まります。夜の間も一時間おきに『糀時代』のみんなが見回りに来てくれて、ゆりかちゃんが扇風機を当ててくれたり、よしみちゃん達が入れ替えをしてくれました。

 朝七時、僕たちのナマコ型は薄くなり、何度も何度もパラパラとお米の塊を解してくれました。

 少し発熱し過ぎてしまった時もあったけれど、見回りの度にみんなが声をかけてくれて、糀時代の新曲『私を攪拌して』も聞かせてくれました。

 この曲を聴いていたら何だか心が穏やかになり、育苗機の左右、上下の温度が均一になりました。何度も何度もみんなが歌ってくれました。

 そして迎えた、一番手入れでは、僕たちがものすごく真っ白なフワフワとした塊になっていたので、みんながこれでもかと近寄って、ジーっと僕たちを見つめるから、少し照れてしまいました。

 ナマコ型の真ん中に一本の溝。しっかり攪拌。放熱。酸素を供給する目的もあるので、みんながしっかりと攪拌してくれました。

 夜にも二番手入れでしっかりと放熱してくれて、四日目の朝には予定通り、仕舞仕事を迎えました。 仕舞仕事はその名の通り、最後の手入れで、ついにナマコ型を卒業し、米糀を箱一面に広げて、川の字を描くようにくぼみをつけてくれました。

 そして夕方には出糀を迎えることができました。出糀は、米糀で言う成人式のようなもの。『糀時代』のみんながお祝いをしてくれて、育苗機の外へ出て一晩を過ごすことになりました。

 明日は、味噌乃ちゃんがついに晴れて仕込まれると思うとドキドキしたけれど、僕も塩糀として美味しくなるんだと思うと、勇気が湧いてきました。

 

   

   

■大理石のような

 そして迎えた仕込みの日。黒大豆味噌は大理石のようで、味噌玉作りに来てくれたみんながとても嬉しそうで、清々しい朝でした。 『糀時代』の『私を攪拌して』も喜んでもらえて、「攪拌してほしい」と口ずさみながら、みんなが味噌玉を丸めていく姿はとても華やかで、明るい気持ちになりました。

 僕もその日から二週間後に『塩糀』として瓶に詰められて、お父さんとお母さんやあゆちゃんとりゅうさんの元へと届き、もう少ししたらなのはなの子に美味しく食べてもらうことになります。

 二週間の間も、毎日、交代交代で、さきちゃんやよしみちゃん、『糀時代』のみんなが僕を混ぜに来てくれて、時には「チーズの香り」「フキノトウの香り」と言われたり、最後は「バナナ!」と言ってもらえて早く、みんなに食べてもらいたいなと思う今日この頃です。

 以上、僕の誕生から塩糀になるまででした。

 

塩糀は仕込んだ後2週間手入れし完成しました