「たった一つ」 やよい

3月29日 夜

 昨日はみんなにお誕生日をお祝いしていただいて、とても嬉しかったです。
 私は、まだ幼い部分が残っていたり、とても未熟ですが、そういう部分も含めて、受け容れてもらって、みんなの家族としてここで生活させていただけることが、本当に有り難いことだなと、思いました。

 お父さんが最近、遠い目標を持つことについて話してくださいました。
 私は、自分は何を目標にしたらよいのか、考えていました。
 私のなのはなでの大きな役割は畑だと思います。
 私は、なぜなのはなでみんなと畑をするのか、畑をする意味はなんなのか、知りたいと思いました。漠然とした答えを出してみても、それは曖昧で抽象的なものであったと、正しい目標ではなかった、お父さんとお話させていただいて、気づきました。

「正しいノウハウ、方法はたった一つしかないと思うんだ。それを見つけることで、これからなのはなに来る人、同じように傷ついた人がより自立しやすくなる。それはとても大きな意味があることだと思うよ」
 お父さんはそう話してくださいました。
 私は、その言葉を聞いたとき、とても嬉しかったです。その嬉しさは、時間、日が経つごとに大きくなっていきました。
 
 今の混沌とした世の中で、農業のあるべきたった一つしかない、正しい方法を見つける。
 それは、とても大きな意味があることだと思いました。
 なのはなファミリーは真面目さ、優しさ、正義が通る場所、みんなが安心して過ごすことができるユートピアで、私はそんなユートピアを広げていきたいと思います。でも、それを具体的な目標に置き換えられていませんでした。
 お父さんが教えてくださったように、その目標が達成されたら、その先にユートピアが実現されるのだと思いました。お父さんとお母さんはいつもそのユートピアを求めて、生きているのだと思いました。

 この幅の畝を立てて、こんな風に種を蒔いて、水やりをして、追肥をすれば、確実にいい野菜ができる。それをこれからなのはなに来る人や、将来傷ついた人が、そのノウハウを実践することで、より自立しやすくなったり、やりがいや喜びを感じて、気持ちが作られたり、そのノウハウにさらによりよくする工夫を付け加え、進化させる楽しさを感じることもできる。
 私は、そのたった一つしかないノウハウを今いる仲間、家族と協力して見つけていく、そういう生き方をしていきたいと思いました。
 もし、本当にそれが実現できたなら、自分が味わった苦しみや、苦しかった日々、そのことで歪んでしまった自分、偽りの自分でいなければならなかった窮屈さ、疎外感、孤独、それらのマイナスはすべて意味のあることにできると思いました。
 マイナスは、プラスになり、救われる人がたくさんいる、それは、今は出会わないけれど、これからなのはなに来る人、未来で出会う人、生きている間に会うことがない人もいるかもかもしれないけれど、そう思うと、とても嬉しいなと思いました。
 苦しみがすべて浄化されるのだと思いました。

 そして、そこに「自分」はいらないのだと思いました。自分がこういうことをやったから、あなたは助かりましたよ、という風に、結果を自分の利益のようにするのではなくて、自分だと気づかなくても、ただ助かった、と思ってもらえるように答えを見つけていく、それでいいのだと思いました。それが利他心だと思いました。
 でも、私はまだどこか評価を得ようとしている浅はかな部分があると思いました。そういう「自分」をとっていきたいです。
 それは、日々の生活でも同じことだと思いました。私は、えてして浅いよかれの気持ちで動いてしまうときがあります。

 たったひとつしかないノウハウを見つけていく、それはとても遠い大きな目標だけれど、いつもそのことを胸の中に抱こうと思いました。日々、みんなと畑に出る時間や、作業する時間、作業の段取りを考える時間、野菜を調べる時間、チームのみんなとコミュニケーションを取るとき、仕組みを考えるとき、今ある身近なこと、それらは、遠い目標に繋がっていると思って、いつも一番いい形を探して、みんなと見つけていきたいです。
 そして、それらはいつも美しくて、綺麗なものでなくてはいけないのだと思いました。
 やりやすくて、分かりやすく簡単で、シンプルで、楽しい、やりがいを感じられる、見た目も、内容も美しい、いつも綺麗に、美しさを求めていかなくてはいけないのだと思いました。そうやって、自分自身も周りのみんなと美しく生きていきたいと思いました。

 そう思うと、私はいまはまだとても未熟です。考えが浅いところ、認識違い、勘違い、考えがいたらないところがたくさんあります。
 毎日小さな失敗とか、こうすればよかったと思うことが本当にたくさんあって、毎日へこむけれど、たくさん気づかせていただけることはとても有り難いことだと思いました。そうやって気づかせてもらえる私は恵まれていると思いました。
 お父さん、お母さん、あゆちゃん、まえちゃん、スタッフさんがたに注意してもらえること、ときには怒ってもらえることが本当に有り難いことだと思いました。ミーティングをする前までは、怒られることに対して、とても敏感で拒否していたけれど、今は悔しい気持ちになるけれど、本当に有り難いことなのだと思いました。
 私を信じてもらっている上で、理解されている上で、善意の気持ちで向き合ってもらっているのだと思いました。そう思うと申し訳なくもなります。

 畑をしていると、いろんなことを考える必要があって、私はしばしば頭が混乱してしまったり、精一杯になってしまいます。精一杯になってくると頭が走ります。イライラしたり、人に対して強くあたるような態度を取ってしまったり、孤独をちょっと感じたりするときがあります。
 でも、イライラしたり、焦ったり、孤独を感じてしまうときというのは、どこか自分が間違っているからだと思いました。
 本当は、私よりももっと大きいスケールでの考えがあったり、他の人も考えているのに、全部覚えておかなくてはいけない、全部把握しておかなくてはいけない、自分でなんとかしなくてはいけない、と自分だけで頑張ってしまって、視野が狭くなってしまっていると思いました。優先順位をつけるのが私はとても苦手で、取捨選択がへたくそです。俯瞰する力がとても乏しいと思いました。

 なのはなファミリーのそのときそのときの流れや、全体の空気を感じて、読み取る意識、訓練をしながら、まえちゃんが立ててくれる予定、伝えてくれる方針にしっかりとそって、動かなければならないと思いました。自分だけでなんとかしようと思ったとたん、横の繋がりを忘れてしまったり、飛び越えて、偉そうになったり、失礼なことになってしまうと思いました。

 チームや野菜のことで、上手くいかないときは、人のせいにするのではなくて、自分の考え方、仕組みが悪いのだと思いました。孤独を感じてしまうときがあるのは、自分を囲って、人と壁を作って、助けを自ら拒んでいる、ということだと思いました。

 あゆちゃんが、
「リーダーの人というのは上の人と、下の人を作って、中間がなくなってしまう。リーダーになる人はえてして孤独を感じやすいんだよ」
 と教えてくださいました。私は、本当にそうなってしまっていたなと思って、自分で自分の首をしめていたのだと思いました。今も、気をゆるせばそういう状態になってしまうと思いました。
 上手くいかなくても、失敗しても、いつもオープンに明るく、そして周りにいる人たちに対して、誠実であれば、助けてくれる人はきっといつもいるのだと思いました。
 誠実さや、謙虚さが欠けてしまえば、対等でなくなってしまい、お互い様の関係ではなくなってしまうのだと思いました。
 
 お父さんに畑の相談をさせていただいたり、まえちゃんにいろんなことを相談させていただく中で、私はすごく極端な思考回路だということが分かりました。
 偏った完璧主義なのだと思いました。少しでもうまくいかなかったら、全否定したりしてしまったり、悲観的に考えがちで、本当はそこまで大変にしなくてよかったり、そこまで心配する必要がなかったりするのだと思いました。いろんな対策、逃げ道があるということ。こうでなくてはいけない、と思った幅から少しでもずれれば、何がなんでもその幅にもっていかなくては、と思ったり、でも本当は、その幅からずれてもよかったりすること。

 私は、とても極端な考え方をしてしまいやすくて、それはとても自分の頭のとても使いにくい部分だと思いました。正しいことに拘りすぎて、本質が見えなくなってしまうことがあります。もっと、視野を広げて、柔軟性をもって、物事に取り組んでいきたいです。
 一生懸命がいきすぎると、利己的になって、自分の都合良く、ものごとを考えたり、変えてしまうということがあります。自分の仕事しか見ない、自分のプランを最優先する、というのじゃなくて、視野を大きく持って、いま何が一番必要な作業か、とかどこが大変なのか、とか俯瞰して考えられるようになりたいです。そして、困っている人がいれば、助けたり、力になれるような人でありたいです。
 頭の中に残っている「自分」を少しずつ、いつかはすべてとりさりたいです。

 今年の夏は、忙しくなるだろうけれど、忙しさの中でも、大切なことを見失わないようにしたいです。今年見つけられる一番いい形をみんなと協力して見つけたいです。スタッフさんにも、メンバーのみんなにも失礼がないように、誠実に関係を取っていきたいです。誠実に真面目に毎日生きて行きたいと思いました。
 でも、頑張りすぎないように気をつけます。