「当事者意識」 なつみ

2月16日

「壊れました」と「壊しました」は違う。
 お父さんはそう話してくださいました。
 わたしはあまりに無責任だったと思います。わたしは「壊した」のに、「壊れた」と思って、最低でした。
 ネジが取れていることも、ネジが緩んでいることも全部他人任せに、誰かがやってくれるだろうと、適当に流していました。いつか、誰かが直してくれるだろうって、無責任でした。
 壊してしまったのに、ネジがあれば直るだろうって、どこか大丈夫だと思ってしまっていました。それはそうだけれど、どうして壊してしまったのか、根本的なところを見ないで、どうにか自分を安心させようと、逃げてました。
 壊してしまったという事実が重荷で、安心なんかとてもじゃないけれど出来なかったです。
 お父さんに、「壊れたことについて、どう思う?」と聞かれたとき、改めて自分の無責任さに気が付きました。泣いた事も、卑怯だと思いました。泣いたら、お父さんは言いにくくなるし、お母さんは気を遣わなきゃならなくなるし、それがわかっていても、耐えずに泣いたのだから卑怯です。

 お父さんは「みんなの責任だ」とおっしゃっていて、今回はわたしが現場の当事者になったから、無責任さに気が付くことができたし、物を壊すとみんなが困ること、使えなくなってしまうことは、悲しいこと、そしてお父さんお母さんは悲しむことがよくわかりました。
 最初から、ちゃんとどんなことにも当事者意識と責任を持っていれば、壊すことはなかったけれど、失敗を経たこれからは、もう二度と同じ失敗はしないです。こんな気持ちにはならなくていいと思いました。
 失敗して得たものを、これからに活かします。お父さんお母さん、すみませんでした。
 みんなにも、不便をかけてしまってすみません。白井さんに、同じネジがあるか相談して、私も手伝えることをします。