「『銀二貫』を読んで」 りんね

*『銀二貫』を読んで

 高田郁さんの、『銀二貫』を読んだ。
 本当に、すごい物語だった。壮大な物語だった。物語の中の、20年余りの歳月を、私も共に歩んでいるように感じた。
 そして高田郁さんの物語は、読んでいて報われる。希望があり、答えがある。そんな物語を書くことは、本当にすごいことと思った。

 この小説にも感じたことは、著者の、人の心の表し方が、本当にすごいことだった。
 時には間違いも犯すが、ひたむきに誠実に走り続ける松吉に、たくさんの人が手を貸してくれていた。
 最初はとても意地悪だった番頭の心の変わり方も、とても共感した。元から彼は、嫌な人としては書かれていなかった。
 松吉の一つ上の、同じ丁稚だった梅吉が養子にとられ、結婚して子供が生まれたときなんかは、自分のことのように嬉しくなった。
 また、19年ぶりの帰郷で、松吉の29年の人生が報われたような出来事にも、本当に自分の人生も報われたような気がした。
 松吉が、20年も想い続けていた人と結ばれたときは、店主和助と、番頭善之助の気持ちになって、「やっと、か」とほほえましくなった。
「おおきに、ありがとうさんでございました」というような上方、大阪商人の言葉遣いも、なんとも人情味があって、好きになっていった。「はい」、は「へえ」である。
 そして、物語の締めくくり方が、何とも言えず美しかった。

 また、物語の中に登場するエピソードがリアルで、面白かった。
 糸寒天を苦心して作る際、雪に埋もれさせて、糸寒天を凍らせる方法が出てきた。それは、雪に埋もれさせることで、外側からゆっくり凍っていくので、粘りのある良い寒天となる、という方法だった。
 これは、なのはなの霜対策などにも共通することがあると感じた。
 松吉の挑戦は、高田郁さんの挑戦でもあったと思って、本当にすごいなあと思った。

 松吉は、何年もかけて、一つ達成したと思えば、またすぐに次の壁にぶち当たっていた。いつも逆境の最中にあった。
 そんなとき、半兵衛が松吉にこう言った。「一里の道は遠くても、一歩ずつ歩けば必ず辿り着く。転んだら、また立ち上がったらええんや。あんたは一歩歩き始めたんやから、諦めたらあかんで」
 それは、自分に言われているようで、そうだ、一歩ずつ進もうと思わされた。

 あとがきに、高田郁さんはこの効率化の時代において、ものすごく非効率な人だと書かれていた。
 登場する料理は、満足するものができるまで、実際に自分の手で作り続けること。些細なことでも東京の国会図書館まで数日籠って調べにいくこと。
 ああ、努力の人なのだと感じた。こんな人が小説を書いてくれることが、とてもありがたく感じた。

 銀二貫や、出世花や、みをつくし料理の世界を想うと、心が暖かくなる。登場人物たちに、心を支えてもらうような気持ちになる。
 私も、いつか高田郁さんのように小説を書けるようになりたいなあと思った。