「心を持って」 まち

1月5日

 おはようございます。今は朝食前なんですけど、思ったことを書かせて頂きたいです。

 昨日、人を受け入れることに真面目になる、と日記に書かせてもらいましたが、本当に、その通りに生きていきたいです。私は、いつも明るくて前向きでいて、人を優しく受け入れることで、人を幸せにすることができるのだと思いました。外の世界では持てあましてしまった真面目さを、そこに生かしたいと思いました。人が笑ってくれると自分もとても幸せな気持ちになること。品がなくてだらしない欠点があるにも関わらず、みんなが私の存在に感謝して受け止めてくれること。自分の至らないところも受け止めてくれているというありがたみ。自分はどうやってこれを人に返していけるのだろうか。ちゃんと、軸を持って、人を暖かくすることで幸せにする生き方をしていきたいです。きっと、私はそうでしか生きていけないと思いました。

 自分が人を笑わせたり、楽しいことを人と共有できると、とても幸せな気持ちになります。私が欲しかった幸せはこれだと思いました。ずっと、自分は、世間一般的な「幸せ」を形通り手に入れても、自分の中で満たされないものを感じていました。自分は変なんだと思っていました。仕事が順調になって、生活が安定してきても、何か心を持てあましていて、何か大事なものを忘れている気がする、そう思って、答えを探すように仕事を辞めたり、生活を変えたりしてきました。もっと大きな「幸せ」があれば、満たされるのかもしれない、と思って、美味しいものを食べたり、飾りを手に入れてみたりしてみても、心は違っていました。自分は変なんだと、変わっているのだと思いました。

 お父さん、お母さん、私は「利他心」の幸せを手に入れた、実感できた、と解釈していいですか。人と暖かい気持ちになることで、今まで欲しかったような暖かさが心に一気に広がり、心が満たされたような気持ちになります。自分からそれができることがとてつもなく嬉しいです。私が求めていた幸せは、利他心ゆえの幸せだったのでしょうか。私は、今、とても幸せです。お金があって、自由で、好き勝手やって、今より体重が10キロくらい軽くて、綺麗と言われていたときより、500倍、今が幸せです。心が満たされます。

 私は、利他心があるのかどうか分かりませんでした。長いこと苦しくて、果たして、私はお父さんやお母さんが思うような回復の仕方をするのだろうか、こんな年まで苦しかったのだから、自分はいやらしい部分がありすぎるのだから、本当に自分はなのはなで回復するような人間なのだろうか、と思っていました。自分は汚い、底意地悪いから、回復しないんじゃないか、と思っていました。

 でも、お父さんに言われた通りに、思ったことや、自分の心の中で綺麗だと思う部分を日記に書き留めていったり、なのはなで生活していくうちに、自分のドロドロした部分が見えてきて、それと戦いながらよく生きようと模索していくうちに、自分なら、これができる、無理なく人も自分も幸せにすることができる心持ちを発見できたような気がして、そうすると一気に腑に落ちて、心が満たされました。ごめんなさい、自分で勝手に、回復する、しないとか、そういうことを書いてしまって。でも、今は、この満たされた感じを、書き留めておきたいのです。

 欠点は、めちゃくちゃあります。ごめんなさい、未熟で、ちゃんと成長するから、だから今は、寄り添うことで幸せにさせてください。できないこともたくさんあるし、迷惑を掛けてしまうこともある。それでも、私はもう自己否定しない。どうすれば自分も人も満たすことができるのか、その自分なりのやり方、幸せのなり方を分かっているから、焦らないし、それがあれば、いつだって幸せになれる。人さえいれば。人と暖かい関係をとることで、幸せになれます。

 しょうもない競争の精神で、私も大きく苦しまされた一人です。今でも、ときどき、それが顔を覗かせて、いらいらしてしまったりすることがあります。人より秀でていなければ、優れていなければ、とちらっと出てしまうことがあります。いやいや、そんなところに幸せはないから。今を楽しく、人と溶け合うことで、幸せを感じていたいです。そこにしか、幸せはないのだと。お父さんの、人との関わりの中でしか幸せはないんですよ、と語気を強くしておっしゃる意味が、今はものすごく分かります。

 みんなの笑顔が私の幸せです。みんなの笑い声が、私の幸せです。みんなが幸せなら、私も幸せになります。自分は、人を笑わせることが好きです。人の素敵なところ、可愛いところをいっぱい共有できることが嬉しいです。そうでしか、私は満たされない。人を優しく、暖かくすることで、私も幸せになるし、自分が苦しかったことが報われる。そうでしか生きられない。本気で思います。自分が生きられる道を見つけた気持ちになります。

 神様はなんで、私にこんな性格を与えてくれたのだろう。生きる使命を与えてくれたのだと思います。外の人より繊細で、外の世界ではうまく生きられなかった私は、なのはなで、自分の使命を全うしながら、人を幸せにする生き方を見つけることができたと思いました。この世界は闇だと思いました。ここにしか幸せはないのに。その真逆の方向で世間全体が動いている。強く、生きていく。こうでしか生きられないよ、強い意志を持って、逆風に耐えながら、強い心で、生きていく。強い利他心でしか生きていけないと思いました。

 なんでこんなふうに急に思うことができたのだろう、と思います。やっぱり、フレディ会議のおかげかな、と思います。いや、ずっと、なのはな全体が、私のことを見守ってくれていたのだと思います。気が付いたら、できる当番が増えていたり、セブンブリッジの実行委員をさせてもらったり、衣装部を担当させてもらったり、そうやって、いろんな仕事をさせてもらいながら、自分の枠にはまる利他心の心持ちを模索させてもらっていたから、ふっと分かるときがきたのだと思いました。私がしょうもないコメントを食事でしても、暖かい目で笑ってくれたり受け入れてくれたから、私は自分が感じる幸せに気が付くことができたのだと思いました。なのはな全体が、私の回復のために、ずっと、見守っていてくれたのだと思いました。それは、私がなのはなに来てからずっとだったのだと思いました。

 なんだか熱くなってしまってすみません。そして、偉そうに、利他心について語ったり、回復について書いてしまったりしてしまって本当にすみません。今の幸せの感じを書き留めたくて、つい、書いてしまいました。こうやって書かせて頂くことで、自分の心にもちゃんと定着させることができるような気がします。今日も、暖かくて、幸せな一日が始まります。自分ができることを、ちゃんと心を持って、頑張っていけますように。朝ですが、いったん提出させて頂きます。長い文章、読んで頂いてありがとうございました。