「人を受け入れる」 まち

1月4日

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。31日の紅白歌合戦が楽しすぎました。みんななんでそんなに面白いの、素敵なの、と思うくらい、楽しくてあっという間のひとときでした。

 衣装部として感じたことがありました。衣装部は、私はただ仕事としてやっている側面がありました。イベントなどを円滑にするための一部である衣装部だと。でも、昨日のみんなのステージの輝きぶりを見ていて、感じました。みんなの魅力とか、深さを表現させる、大事な大事な尊いことを私たちはしている、と思いました。衣装で、みんなのステージが決まります。衣装でみんなの心を表現しています。みんなの深さが、衣装に表れ、ステージを飾っていました。浅い人にはこんな衣装の使い方はできない、と思いました。衣装でみんながステージの上で輝いている。みんなの心の美しさを表している、私たちはそれのお手伝いができる仕事をしているのだ、と思いました。うまく言えなくてすみません。

 衣装部の仕事は、大変なこともあります。でも、それがどれだけ尊くて、ありがたいことかと思いました。私はもともと衣装考案につくのが好きでした。みんながわいわい、ああでもない、こうでもないと、衣装を合わせて目をきらきらさせている姿が単純に好きなのと、欲しい衣装を頼まれて準備して、みんなが良い感じの衣装を作ることが出来ていくことが、みんなのお手伝いをできている気がして、それもとても嬉しいからです。でも、もっと深い、と思いました。衣装部の仕事はもっと深い。みんなの魅力や美しさを表現する大事な衣装を、管理したり取り扱ったりできる重要な仕事だと思いました。やりがいがもっと感じられると思いました。大晦日のみんなの輝きぶりを見て、そう感じました。

 お正月は本当に楽しくて、あっという間に過ぎていってしまったと思いました。もっと、あと5日くらい楽しみたい、と思うけれど、もうちょっと遊びたいくらいの気持ちの方が、人生をいろいろ楽しめるかな、と思います。実行委員もみんなそれぞれ頑張っていて、みんなを楽しませようという利他心溢れる中でゲームができて楽しかったです。

 自分のことになってしまうのですが、フレディ会議をしてから、体が軽くて動きやすいです。無邪気になっていると思います。今まで、15年間、何をしても自分に対する罪悪感との戦い、という感じで、遊んでも作業をしても、何か自分の悪いところを探して見つけて一人自己嫌悪していたのですが、それがなくなって、純粋に生きることができていると思います。純粋に楽しいし、変な罪悪感もありません。なんでだろう、やっぱりフレディ会議のおかげかな、と思います。

 フレディ会議は、もともと紅白でBreak Freeのメンバーが集まって、さあどんなことをしようか、と話し合ったとき、もう私は面白いことしかできない、と言っていて、つきちゃんも、私、今年ははっちゃけたいの、と言っていて、じゃあ面白いことをしようか、でもどうせなら年末だし、みんなで吹っ切れるようなことしたいね、何か枠を取り払って自由になれるようなこと言おうよ、と決めて、主にのりよちゃんが全部引っ張ってくれてフレディ会議はできました。
 
 フレディ会議は、自分の内容を他のフレディたちが受け止めてくれて、一緒に解決してくれるのも有り難いのですが、実は、他の人の気持ちを一緒に受け止めることも、自分にとって大きなプラスだったんじゃないかと思います。みんなが自由になりたい気持ちを共有することによって、ああ、いつも元気で完璧に見えるこの人も、同じような気持ちを抱えていたんだ、と感じると、同じ繊細な仲間として、より相手のことを好きになれました。まさに、ミーティングと同じような感じだと思いました。

 頭像作りが終わって、昼食のとき、まきちゃんが、「私は実行委員だったけど、同じ部屋にのりよちゃんとまちちゃんがいて、2人が肯定的な空気を出してくれて嬉しかった」とコメントしてくれました。私は、はっとしました。私は頭像作りのとき、特に肯定的な空気を出そうと意識したわけではなく、純粋に楽しい、という気持ちでやっていたのですが、そうやって感じてくれる人がいるんだ、と思いました。私はなのはなに来て、そこそこ経つのですが、特に仕事ができるわけではなく、何かに長けているわけでなく、リーダーができるわけでもなくて、だからといって自己否定するわけでもなかったのですが、自分の明るい特性を生かせれば、自分の存在に感謝してもらえたり喜んでもらうことができるのだと思いました。それは私にとってもすごくありがたいことだと思いました。

 肯定的な気持ちと明るくて前向きな気持ちを持ち続けることで、誰かを助けることができるのなら、私はそこを生かしていきたいと思いました。自分はきっと、それが向いていてやりやすいし、それをすることで、私自身、生きていきやすくなり、そんな自分を肯定できます。今年はそれを意識して生きていきたいと思うし、もしかしたら、それが私の人生のテーマになるのかもしれないと思いました。

 未熟だったときは、何も目立つものがない自分に対して生きていく価値がない、何か目立ったものを手に入れないと生きていけない、と思っていて自己否定の塊だったけれど、もういい年だし、自分の箱というか、自分の落としどころを見据えて、それに沿って、自分が無理なく、人のために生きていくことができる道を定めて生きていきたいと思います。

 頭像作りはとても楽しかったです。自分の顔、特に笑った顔(私は希望のある顔を笑った顔にしました)をまじまじと鏡で見ることはあまりなかったので、新鮮な気持ちでした。私は醜形恐怖があって、特に自分の笑った顔は顔がひどくて気持ちが悪くて自分で見ようなんて怖くてできなかったのですが、みんなが私の笑顔が素敵とか言ってくれるので、それでいいのかもしれないと思って、今回も見ることができました。自分の笑顔を鏡で見ていると、自分ではあまり好きになれないこの顔でも、みんなが好きと言ってくれるのだから、悪くないのかもな、と思えて、さらに、これで希望のある感じを出そうと思うと、悪くないを通り越して好きかもしれない、と思えました。
 
 口の形を縁取ったり、目を作るのが難しかったです。口って笑うと、伸びて意外と上唇が薄くなるものだと思いました。私は口が小さめで、大きい口に憧れるので、薄めの口でもちゃんと形を縁取って、はっきりした唇を作りました。私は笑うと目がなくなります。頭像を作るとまるで線のように目を作らなくてはならなかったけれど、目がなくなることは自分の中でも好きなところだったので、それはそのまま、頭像に表すことにしました。

 髪型も意外と難しくて、私は自分がショートヘアーでラッキーだと思いました。のっぺりとならないように、粘土のちょっとずつを頭に乗せて、割り箸で襞をつけていきました。なんだか奈良の大仏みたいだな、と思ったのですが、これが意外と好評で、すごい、まちちゃんどうやったの、と多くの人に言われて、ちょっと嬉しかったです。りゅうさんも褒めてくださって、まちちゃんに似ていたよ、と言ってもらえて嬉しかったです。

 みんなの出来上がった頭像を観覧するのもとても楽しかったです。こんなこと言ってはいけないのかもしれませんが、全体的に、みんな、実物の方が可愛いな、と感じました。頭像が不細工だった、というわけではないのですが、私から見たみんなはもっと素敵な顔をしていると思ったのです。こういうのって自己評価も関係しているのかな、と思いました。みんな、もしかしたら、自己評価が低いのかと思いました。そんなの、すごくもったいないと思いました。みんなすごく素敵だ、と思います。

 今日の集合のときに、お父さんが、相手も好きでお付き合いが始まって、の話をされていて、つい、私はうきうきした気持ちで聞いてしまって、お父さんが、なんだかまちちゃん嬉しそうに聞いているね、と言ってくれて、それに対してみんなが笑ってくれて、幸せな気持ちになりました。みんなが、私を受け入れてくれていると思いました。

 自分が受け入れられている、認められていると感じることは、この上ない幸せを感じます。きっと、私はなのはなに来て最初からずっと、みんなにありのままを認められて受け入れられていたのだと思います。被害感情が強くて、自分がそれを受け入れられなかったけれど、その事実を受け入れ、認識できるまでここまでかかりました。みんながずっと、私のことを優しく温かく好きでいてくれて、受け入れてくれたからです。最近、ものすごく温かい気持ちになります。こんなに幸せなんだ、と思います。でも、歪んだ認識で、自分が受け入れられていない、と感じてしまう苦しさも理解できます。だから、私も、いつも人を温かく受け入れて、その人が認めてもらう幸せを感じてもらうまで、ずっと受け入れられる人間になりたいと思いました。自分がされて嬉しかったこと、今の温かさを、人に還元できるようにしたいです。

 私はできることも少ないし、何かに長けているわけでもないです。でも、私は一生懸命、真面目に、相手に寄り添おうとすることができるし、肯定的な空気を出すことができるかもしれない。それで、人を幸せにすることができるなら、そうやって生きてきたいです。なのはなに来るまで、その真面目さをどう使えばいいか分からなくて、真面目になればなるほど苦しくて、敢えて不真面目になってみようと思っても、身の丈に合わなくて苦しくて、割り切って不真面目にもなれなかった。でも、もうそんな苦しさは感じる必要ないんだと思いました。私は自分の真面目さを人を受け入れることに使うことで、相手も幸せにすることができて、自分も幸せになれるのだと思いました。

 みんなの笑顔だったり、言葉だったりが、とても温かく感じて、自分も人のために一生懸命動きたいと思います。今年はもっと、安定した自分を作れる1年にしたいです。もっと温かく人を笑わせられる人間にもなりたいかな。お母さんがおっしゃる通り、ネタ帳を作った方がいいかもしれない。いつでも、相手に対する「好き」の気持ちが、相手の笑顔がお返しとなって返ってきて、それで自分も幸せを感じることができる生き方をしたいです。

 1日から連続で書いたので、読みにくい日記になってしまって申し訳ありません。読んで頂いてありがとうございます。もっと1日1日の内容を細部まで濃く書き記したいのですが、長編小説が出来上がってしまいそうなので、自分の中で留めておきたい温かい気持ちを中心に書かせて頂きました。今年も温かい気持ちで生きていくことができますように。人を幸せにすることで自分も幸せを感じられる1年となりますように。ありがとうございました。